2022年12月1日木曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その343]

 


「そりゃ、ウチも具合が悪うなったら、『バド』に診てもらうことはあると思うんよ」


と、少女『トシエ』は、如何にも申し訳ないといった表情でそう云った。


1967年4月のある土曜日、広島市立牛田中学を出た1年X組のビエール少年と『ボッキ』少年が、『ハナタバ』少年と、後で『秘密の入口』で会おう、と別れたところであった。いつからか、ビエール少年と『ボッキ』少年の背後にいた少女『トシエ』が、『秘密』という言葉を捉え、何の『秘密』か追求していたところ、遠りがかった赤い髪の若い外国人女性が、『バド』と呼ばれているビエール少年に対して、アメリカ人なのかと訊き、ビエール少年と英語での会話を交わしたのを見て、『ボッキ』少年と少女『トシエ』が、ビエール少年の英語力に感嘆していたことから、ビエール少年が見ているというNHK教育テレビの『テレビ英語会話』話題へとなっていた。そして、更に、少女『トシエ』が、奥さんが英語喋れない訳にはいかないから、自分も『テレビ英語会話』見るようにすると云い出し、少女の妄想は、ビエール少年の妻となった自分が、『整体拝受』の際の『ホスチア』だって作るかもしれない、とまで拡がっていっていた。しかし、『ボッキ』少年が、自分はキリスト教の知識のない理由として、お経の一節、『ナ~ムア~ミダ~ンブー』を唱えたことから、広島には『浄土真宗』の家が多いらしい、とビエール少年が博識ぶりを見せ、『ボッキ』少年も『東本願寺』、『西本願寺』を持ち出しはしたものの、『浄土真宗』が『東』と『西』とに別れた事情を知らず、ビーエル少年が、元は一つの『本願寺』だった『石山本願寺』を信長が攻撃したことが原因と説明しだした。そして、その『石山本願寺』信長がなかなか攻め切れなかったのは、『毛利輝元』が『石山本願寺』に食料とか武器なんかを提供して味方したからだとも説明をしたのだ。そこで、少女『トシエ』が、『石山本願寺』にお好み焼きも差し入れしたのだろうか、と云い出し、ビエール少年はそれを否定したが、少女『トシエ』は今度は、『もみじ饅頭』を差し入れしたのだろう、と云い出しことから、話は『もみじ饅頭』という名前の謂れ(『伊藤博文』が名前のヒントを与えた)へと派生していっていた。だが、話は、『伊藤博文』が、山口県光市出身であることから、『夢の超特急』に移っていったものの、今度は、『光市』から臨海学校へと移ってきたのであった。『光市』は、当時(19060年代である)、広島の学校がよく臨海学校で行くところであったからである。そして、最初は臨海学校に興味なさげであった少女『トシエ』が、ビエール少年と(だけではないが)教室で一緒に寝ることになるであろう臨海学校に眼を輝かせ、あろうことかネグリジェを着るとまで云い出し、ビエール少年は、『かわいい魔女ジニー』の姿態を思い出し、股間に『異変」を生じさせていたが、『ボッキ』少年の言葉で、どうにか『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻ったのではあった。だが、『浄土真宗』を広めた『親鸞』の子孫『蓮如』の関連して、晩年、『浄土真宗』に改宗した『一休さん』へとまたまた話は逸れたが、ビエール少年は、なんとかまた『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻し、『信長』が和睦の為、『本願寺』に渡した『一文字呉器』に言及したところ、少女『トシエ』は、『呉器』を『ゴキブリ』と勘違いし、『ボッキ』少年は、『一文』から『ジャイアント馬場』の『十六文キック』の言及してきたので、ビエール少年は、あらためて『一文字呉器』を解説したが、『ボッキ」少年がなかなか理解できないでいる様子である一方、少女『トシエ』は、『ジャイアント馬場』の『十六文』は、実は『文』ではなくアメリカの靴のサイズに由来するというビエール少年の説明を理解していることを自慢し、更に、ビエール少年がアメリカの靴のサイズのことまで知っていることまで自慢げに云い、アメリカで靴を買う時にはビエール少年に付き添って欲しいと云出だし、その際には『ガラスの靴』を買うと云ったことから、話は、今度は、『シンデレラ』に及び、ビエール少年は、『シンデレラ』があだ名であり、その名前の由来について言及していたところ、少女『トシエ』がいきなり、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と叫び声を上げた。そして、『シンデレラ』からさらに派生してドイツの国鉄の名前を出したところ、少女『トシエ』がまた、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と、ビエール少年のドイツ語力に感激し、叫び声を上げたのもものかわ、ビエール少年は、ドイツ語、フランス語、英語で、『シンデレラ』の名前の由来を解説したが、『ボッキ』少年は、話を『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情を戻すよう要求したものの、話は、また『ゴキブリ』から『アブラムシ』、そして、その英語『コックローチ』、更に、スペイン語の『クカラチャ』へと展開してしまった。そこからまた、スペインに絡んで、少女『トシエ』が情熱的な『フラメンコ』を踊りたいと云い出し、更に更に話は派生し、『星のフラメンコ』を歌った『西郷輝彦』から、当時(1960年代である)の歌手の『御三家』の『橋幸夫』、『舟木一夫』、そして、『舟木一夫』のヒット曲『高校三年生』へと展開し、今、『高校』という言葉から『広島皆実高校』について、『ボッキ』少年と少女『トシエ』は、語り始め、少女『トシエ』は、『広島皆実高校』にある『衛生看護科』に入って、看護婦になりたいと云った。で、『ボッキ』少年は、『広島皆実高校』は、元は『県女』だと云い、続けて、何故か、当時(1967年頃である)始った視聴者参加のテレビ番組『家族そろって歌合戦』の審査委員長である作曲家『高木東六』を出してきた。それは、『高木東六』が、自分の妻が『広島皆実高校』の前身である『広島県立広島高等女学校』(『県女』)の出身であることから、『広島皆実高校』の校歌を作曲したからであった、と『ボッキ』少年は説明したが、ビエール少年は、そのことに興味なさげであった為、『ボッキ』少年は、美人女優『月丘夢路』も『県女』出身だと説明したところ、少女『トシエ』が、自分も『皆実』の『看護科』に入って、『月丘夢路』みたいな美人の看護婦さんになると云い出し、更には、ピンクの看護師服の存在を持ち出してきたことで、ビエール少年の体のある部分は、『ピンク』という言葉に微かに『反応』しかけたのであった。そして、続けて、少女『トシエ』の胸に聴診器をあてる姿を想像させられ、またもやビエール少年の体のある部分は、微かに『反応』しかけたのであった。


「いや、ボクは、医者になるつもりは…」


ビエール少年は、あくまで自分が医者になるという前提で話を進めていく少女『トシエ』に反駁を試みるが、


「心配しんちゃんなや。ウチ、看護婦さんになるけえ、『バド』を助けてあげるよね」


少女『トシエ』の方は、それを反駁とは捉えず、不安と捉えるのであった。


「お医者さんになったとしても、どこの病院のお医者さんになるか分らないから」


だから、少女『トシエ』が看護婦になったとしても、医者の自分に付くことになるとは限らない、というつもりで発した言葉が、少女『トシエ』の勝手な前提を肯定しまっていることに直ぐに気付き、


「いや、だから、ボクは、医者になるつもりは…」


と、再度、云い直そうとしたが、少女『トシエ』の言葉に遮られた。


「牛田で病院すりゃあエエ思うんよ」

「え?ここで?」


医者になるつもりはなかったものの、医者になるとしたら、大学病院等の大きな総合病院で働くことを無意識の内に想定していたビエール少年は、自分が町医者となっている姿を思い描けなかった。


「お父ちゃんもお母ちゃんも、ウチが牛田におる方が安心するう思うんよ」

「え?」


少女『トシエ』の云わんとすることは、なんとなく察することはできたが、その逞しい想像力に、ビエール少年は、一文字の言葉しか発することはできなかった。


「なんか、看護婦さんいうたら、お医者さんと結婚する人ようけえおるいうて聞いたことあるんよ。うふっ」


と、少女『トシエ』は、『少女』から『女』へと変る過程でのハニカミを見せた。




(続く)





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