初めて田上(たがみ)勝俊さんを見た時、これはただ者ではない、とエヴァンジェリスト氏は思ったそうだ。
NHK BSプレミアムの「らいじんぐ産」の「カーナビ」編で見たのである。
取材スタッフは、世界初のカーナビを作った人のインタビューに向かい、目指す人物は普通の民家から出てきたが、その人(田上勝俊さん)の目は普通の人間のものではなかった。眼光の鋭さは恐怖さえ感じさせるものであった。
田上勝俊さんは、「カーナビを作ったのではない」と云う。田上勝俊さんが、本田技術研究所で世界で初めて作った「カーナビ」が、「カーナビゲーション」ではなく、「エレクトロ・ジャイロケータ」という名前であったから、ではない。ジャイロ技術を使ったものであり、現在のカーナビのようにGPSを使ったものではないから、ではない。
田上勝俊さんは、「プログラムド・ドライビング」を実現しようとしたのだ。「自動運転」である。クルマに乗車して目的地を指定すれば、後はクルマが自動的にそこまで連れて行ってくれるというシステムを開発しようとしたのである。
「プログラムド・ドライビング」の一要素として、「コース誘導」があったのである。つまり、今で云う「カーナビ」である。それは壮大な目標を達成する為に必要な一要素に過ぎなかったのだ。
しかし、「革新」はこうして生まれるのであろう。小さな目標、目先の目標を目指していては、「革新」は生まれないのだ。「思想」がなくてはいけないのだ。
「自動運転」という「思想」、「大志」があり、その実現を目指すことで、必ずしもそれ自体は直ぐに実現せずとも、その結果として(副産物として)「革新」(カーナビ)が生まれるのだ。
田上勝俊さんにとって、「カーナビ」はあくまで「副産物」であり(大変な副産物ではあるが)、大いなる目標への過程に過ぎず、「目指すもの」は「未完成」であったのであろう。ミスター・シューベルトがいつも云うように。
ヒトは「思想」を持たなければならない。「思想」なくしてビジネスの真の成功はない。
貴方は、貴方のビジネスで何をしたいのか?.............私たちは自身にそう問うべきである。
「思想」を持つであろう田上勝俊さんは、実は「ASIMO(アシモ)」の生みの親でもあるらしい。エヴァンジェリスト氏は、田上勝俊さんが普通の人ではないと思い、調べて、そう知ったそうである。
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