東京に出てきたエヴァンジェリスト氏には、とても違和感がある。8時15分になっても、サイレンが鳴らないのである。8月6日である。
氏の出身の広島では、8月6日、8時15分になると、市内中にサイレンが鳴る。そして、皆が黙祷をする。
氏は戦後生まれであり、勿論、被爆はしていない。しかし、8月6日、8時15分にサイレンが鳴ると、その瞬間(原爆が投下され、爆発した瞬間)が思い出されるのであった。
その瞬間の記憶はあるはずがないが、その瞬間が、文字通り、「思い出される」感覚があるのであった。
エヴァンジェリスト氏は、その名に相応しくなく(エヴァンジェリスト=伝道師らしくなく)、非宗教的な人間である。しかし、氏は思うのである。「自分は、誰か原爆で死んだ人の生れ変わりかもしれない」
8月6日8時15分にはそれ程に「実感」があるのだ。
氏が子どもの頃、広島の街には、顔や頸筋にケロイドを帯びた人たちが普通に歩いていた。それは特別な光景ではなかった。
学校では、やはり普通に「原爆教育」があった。
そんな環境にあり、追体験をした結果、「それ」が自身の記憶と化したのかもしれない。
………しかし、東京では8月6日、8時15分になっても、サイレンが鳴らないのである。
サイレンが鳴らないだけならまだしも、誰も何もなかったかのごとく振る舞っているのだ。
東京の誰にも、氏のような「実感」がないことは分っている。それは仕方のないことであることも理解はしている。が、それでいいのか、と思ってしまうのである。
氏の両親は、当時、郡部に住んでおり、被爆はしていない。しかし、義伯母は被爆者であり、その子どもたち(つまり、氏の従兄弟たち)は、被爆2世である。義伯母も従兄弟たちのこれまで幸い発症はしてこなかったが、最近、義伯母が具合が悪くなったと聞いており、まさか今になって(義伯母は80歳くらいである)、と心配している。
修学旅行等で広島を訪れ、原爆資料館(平和記念資料館)で展示物を見た子どもたちが館を出る時に泣いている姿をよく見かけた。
氏にとっては「普通」のものが、その子たちには(大人たちも)「異常」なものであったのだ。
8月6日8時15分にサイレンが鳴らない東京では、そして東京以外の地でも(長崎は別であろうが)、その時に「異常」なことがあったどころか、「それ」があったこと自体、認識されていないとしか、氏には思えない。
8月6日、8時15分になっても、サイレンが鳴らないことに、エヴァンジェリスト氏は大いに違和感を覚えるのである。
問題は、原爆だけではないのであるが。
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