2010年7月1日木曜日

美しくなければいけない(後編)


私の属する営業チームは(他の営業チームのことは知りません)、ビジュアル系営業を目指すべきだと思っています。実は、営業も、美しくなければいけない、と考えるからなのです。

作る営業資料も、営業の説明も、デモも、美しくなければいけません。誰もが素直に理解できるものでなければいけません。そして、営業自身も美しくなければいけないのです。

美しくなければいけない、ということに関しては、実は、「パソコンの父」、アラン・ケイも同じようなことを云っています。アラン・ケイって。ご存知ですよね?「パソコン」なるものを発想し、実際に出て来た「パソコン」の中でもMacを評価された方です。

美を伴わないエンジニアリングは、蟻塚を作るようなものか、あるいはそれ以下のことに過ぎないし、エンジニアリングのない芸術というのは、形態を伴わない空虚なものを作るに等しい。両者は一体となるべきである。過去のすぐれた科学者や芸術家で、道の片側だけ歩んですませた人はいない」

「常識」に囚われないことについても、こう云っています。

「すぐれた科学者100人中98人は、研究を行う際に、肉体的な感覚(運動感覚)を使っている。ということは、創造性とは、過去に遡り、幼児期に経験した段階を取戻すことだといえる。天才というのは、意識的に幼児期を再現できる能力のことをいう」

「単に賢いだけでは、なにもなし遂げられない。知能が高くても、『普通の考え方』をしている限り、普通のことしか思いつかないからだめなんだ。そして大人になるということは、普通に考える癖をつけてしまうことだ」

因に、野依教授はMacユーザーのはずです。テレビのインタビューを受ける教授の背後には、打ちかけの論文が映ったMacがありました。

そういえば、猪木さんも、「非常識」という本を出版しています

その本の中で猪木さんは仰言っています。

「いまの日本は、企業も教育も、そして恋愛にいたるまで、ある意味で「型」にはまりきってしまっているのではないだろうか。
 たしかに、絶対的なルールは必要だとは思う。しかし、いまの日本社会のようにルールだけに縛られてしまうと、本当の自由が見えなくなってしまう。

「非常識」な猪木のプロレスはまた、美しくもありました。

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