「4年後は、出られるかどうか、分らないなあ」
「はあ?」
「ロシアだよ」
「出るつもりなんですか?」
「64歳では無理と云うのかね?」
2014年6月25日、2014年サッカー・ワールドカップ・ブラジル大会で、日本代表が敗北したその日の名古屋駅のホームであった。
まさかと思ったが………昔はスリムで格好良かったのではないかと思わせるところがなくはない後ろ姿の老人と、なんと、鹿が、電車を待ちながら、会話をしていたのだ。
その二人の、いや一人と一頭の後ろに立ち、電車を待ちながら、一人と一頭の会話を聞いていたのだ。
4年後は64歳、ということは、その老人は60歳なのであろう。
「本田圭佑は、4年後も当然目指したい、と云ったらしいではないか。ワシも4年後を目指してもよかろう。今回の大会の結果からすると、そろそろワシの力が必要であろう」
まるでエヴァンジェリスト氏のように戯言を云う老人だ。2018年サッカー・ワールドカップ・ロシア大会に選手として出ようと云っているのだ。
………と、鹿が云った。
「ああ、出られるんではないですか」
鹿がかる~く云い放った言葉に老人は狼狽えた。
「うっ!?出られるのかあ?」
鹿を揶揄ったつもりであったところが、肯定で返されたのだ。
きっと、「無理ですよお!何云ってるんですかあ」とでも云って欲しかったのだ。なのに、鹿ったら、「ああ、出られるんではないですか」と、老人の予想、と云うか、期待に反した答を返してきたのだ。
老人にありがちな他人(ヒト)を揶揄って喜ぶような輩には、肯定返しが有効である。この60歳の老人が揶揄ったのは、ヒトではなく鹿であったが、揶揄われた鹿は見事、肯定で返したのだ。
しかも、それはただの肯定返しではなかった。
「ええ、出られるんではないですか、監督として」
ただの肯定返しではなかった。超「肯定返し」反転ひねり、であった。
選手として出られる、と60歳の、しかもサッカー経験もない老人に云うかと見せて、実は選手としては無理、と反転してみせたのだ。そして、更に、でも監督なら行けるのではないか、とこれも実はあり得ないことを、しかも老人自身も創造だにしなかった、ひねった発想をぶつけて来たのだ。
「う~む!」
一人と一頭の後ろで、「これはただの鹿ではないぞ」、と思わず、唸ったところ、こちらの唸り声に反応した鹿が振り向いた。
「えっ!」
それは、鹿ではなかった。アオニヨシ君であった(ヒトである)。
エヴァンジェリスト氏が、失礼にも、
「お前、鹿だろう!?」
といつも云っている青年、アオニヨシ君、エヴァンジェリスト氏の会社での後輩であったのだ。
ということは……..
昔はスリムで格好良かったのではないかと思わせるところがなくはない後ろ姿の老人も振り向いた。そう、エヴァンジェリスト氏、その人であった。
「君…..君もコイツのことを鹿だと思ったのだろう?」
何も返せず、私は固った。