セミナーが終りました。次は、名古屋でセミナーを開催する案も浮上しています。名古屋で思い出すのは、野依教授です。名古屋大学の先生で、ノーベル化学賞受賞者ですね。
一時、私が「キラル・ガストン」と名乗っていたのは、この野依教授の研究の影響でした。
何故、私が「キラル」を名乗ったのかというと、野依教授が「サイコロを振って出る目の確率は、実は右手と左手とで違うんですよ」と云われたのが強く印象に残っているからなのです。
それはつまり、「常識」に囚われていてはいけない、と云われているのであり、それに共鳴したからなのです。「キラル」を、「常識」からの脱却の象徴と捉えたのです。
野依教授は、こうも云っています、「既定の価値観の中でやっていたらつまらない。異端でありたい」。
私も「異端」でありたいと、思っています。何しろ、「○○イタン」ですからね。「異端でありたい」と云わなくても、「Macなんて使って、とっくの昔から異端だろ」と、どうせ皆さんは仰言るのでしょうけれど。
「異端」の要素を持たないと、つまり、「常識」から脱却できないと、いい仕事はできません。
野依教授は、更に、こうも云っています、「研究室では”いい子”だけではなく変人、奇人を10%ぐらいキープしておかなくてはだめ」。
私の属する「世界」も同様だ、と思っています。変人、奇人を10人に1人くらいの割合で置いておくべきでしょう。個人としても、「異端」の要素は必要ですが、組織としても「異端」の要素は必要なのです。
そうして、この「異端」発言以上に、私の心に残っているのは、野依教授のこの発言です。「研究は美しくなければならない」。
研究、言い換えれば、仕事、は、その成果は、美しいものでなければ、いい研究、いい仕事であったとはいえないのです。
クソーコーノ氏の作るシステムも私は、美しい、と思います。美しいものは、売れるのです(尚、クソーコーノ氏の作るシステムは美しいのですが、クソーコーノ氏自身が美しいと申している訳ではありません。じゃ、奇人、変人か、ですって?………..いや、まあ、そのぉ、「いい子」ではないすよね)。
美しい、というのは、言い換えれば、分り易いこと、ともいえます。野依教授は云っています。
「だれがみても納得できる形に仕上げていく。初めに『おっ』と思ったことをきれいになぞを解いていけば,それを基にした次の研究課題が見つかり,波及が大きい」。
貴方の作るシステムや、貴方の作る資料は、美しい、ですか?使用する時に、素直に操作できるシステムですか?見た時に、スッ、とその内容が頭に入っている資料になっていますか?