2010年6月28日月曜日

美しくなければいけない(前編)

セミナーが終りました。次は、名古屋でセミナーを開催する案も浮上しています。名古屋で思い出すのは、野依教授です。名古屋大学の先生で、ノーベル化学賞受賞者ですね。

一時、私が「キラル・ガストン」と名乗っていたのは、この野依教授の研究の影響でした。

何故、私が「キラル」を名乗ったのかというと、野依教授が「サイコロを振って出る目の確率は、実は右手と左手とで違うんですよ」と云われたのが強く印象に残っているからなのです。

それはつまり、「常識」に囚われていてはいけない、と云われているのであり、それに共鳴したからなのです。「キラル」を、「常識」からの脱却の象徴と捉えたのです。

野依教授は、こうも云っています、「既定の価値観の中でやっていたらつまらない。異端でありたい」

私も「異端」でありたいと、思っています。何しろ、「○○イタン」ですからね。「異端でありたい」と云わなくても、「Macなんて使って、とっくの昔から異端だろ」と、どうせ皆さんは仰言るのでしょうけれど。

「異端」の要素を持たないと、つまり、「常識」から脱却できないと、いい仕事はできません。

野依教授は、更に、こうも云っています、「研究室では”いい子”だけではなく変人、奇人を10%ぐらいキープしておかなくてはだめ」

私の属する「世界」も同様だ、と思っています。変人、奇人を10人に1人くらいの割合で置いておくべきでしょう。個人としても、「異端」の要素は必要ですが、組織としても「異端」の要素は必要なのです

そうして、この「異端」発言以上に、私の心に残っているのは、野依教授のこの発言です。「研究は美しくなければならない」

研究、言い換えれば、仕事、は、その成果は、美しいものでなければ、いい研究、いい仕事であったとはいえないのです。

クソーコーノ氏の作るシステムも私は、美しい、と思います。美しいものは、売れるのです(尚、クソーコーノ氏の作るシステムは美しいのですが、クソーコーノ氏自身が美しいと申している訳ではありません。じゃ、奇人、変人か、ですって?………..いや、まあ、そのぉ、「いい子」ではないすよね)。

美しい、というのは、言い換えれば、分り易いこと、ともいえます。野依教授は云っています。

「だれがみても納得できる形に仕上げていく。初めに『おっ』と思ったことをきれいになぞを解いていけば,それを基にした次の研究課題が見つかり,波及が大きい」

貴方の作るシステムや、貴方の作る資料は、美しい、ですか?使用する時に、素直に操作できるシステムですか?見た時に、スッ、とその内容が頭に入っている資料になっていますか?

2010年6月20日日曜日

ひと味違う私の指…….沖縄の光景(後編)

しかし、その沖縄にはしばらく行っていません。プロの旅人失格です。以前は、年に3度も沖縄出張していたこともあったのに、このこところ、沖縄出張は何故かミスター・チョーテイが独占し、連れて行ってくれません

しばらく訪問していない沖縄ですが、沖縄で思い出すのは、サワラナイデ・ジョームです

サワラナイデ・ジョームは、私の沖縄のお客様、引合先企業に顔がきくのです。知合いだらけのようです。R社のキー・パーソンはサワラナイデ・ジョームの同級生です。他所者の私が直接営業するよりも、サワラナイデ・ジョームの協力を得た方がいいのです。

サワラナイデ・ジョームが協力してくれるのは、私の会社と販売提携関係にある会社のコイカオ氏が紹介してくれたからです。コイカオ氏は、サワラナイデ・ジョームとは、仕事で知合っただけの仲です。そして、サワラナイデ・ジョームは、私とは更にそのコイカオ氏に紹介されただけの仲です。

しかし、サワラナイデ・ジョームはとてもとても協力的です。部下のセンダイジャナイ氏もそうです。因に、センダイジャナイ氏はペルー生れだそうです。

サワラナイデ・ジョームやセンダイジャナイ氏は、つまり沖縄の人は、知合いになれば、大した知合いでなくとも、親身になって世話をしてくれるのです。感激です。

サワラナイデ・ジョームは初めて会ったその夜に、私を接待し、私の指をなめてくれさえしたのです(イヤアアン)。

1次会の居酒屋を出ると、女性が付く店に連れて行ってくれました。私は女性好きですが、そういった店に行くのは好きではないのではありません。しかし、サワラナイデ・ジョームの気遣いです。断る訳にはいきません。

お話をしたり、カラオケをしたりして、しばらくした時です。私は、カラオケも好きではないのですが、おつきあいですので、何曲か唄いました。

その何曲目かの時、サワラナイデ・ジョームが私の手をとります。それまでも、私の手をとって、店の女性の肩に私の手を持っていくので、またそれか、と思っていました。

女性に手を出さない私への配慮です。私には不要な配慮ですが、情の厚い沖縄の仲でも特に情の厚いサワラナイデ・ジョームの心遣いですので、怒る訳にもいかず、困っていました。

手をとられたので、また、店の女性の肩に私の手を持っていくのだと思いながら、唄っていると、何だか、指がヌメッとします

「?」

しばらく何が起きているか分りませんでした。気のせいかと思いながら、唄い続けていると、やはり、またヌメッとします。

ふと、横を見ると、サワラナイデ・ジョームが私の指をくわえています。そして、「ヒュー」と私の指で、指笛を吹くのです。その少し前に、ご自身の指で指笛を吹いていらっしゃいましたが、今度は私の指を使っているのです

「!!!!!」

私の指が犯されています。しかし、サワラナイデ・ジョームの親愛の情の表現です。「なにすんだよー!」とは云えません。仕方なく、その後も何度か、ヌメッと指をくわえられ、指笛を吹かれながら、私は唄い続けたのです。

まあ、こんな風に沖縄の人は、他人に優しいのです。見習いたいと思っています。ホントです。今度は、私が貴方の指を、貴女の指をなめましょうか?

ところで、沖縄出身のカンサイデモナイ・トーカイデモナイ・チュラデスさんはやはり他の人の指をなめているんでしょうか?

2010年6月18日金曜日

ひと味違う「死亡広告」…….沖縄の光景(前編) 

沖縄の新聞を開くと異様な一面を目にします。死亡広告です。勿論、沖縄に限らず、新聞には死亡広告が載ります。しかし、沖縄の死亡広告はナミではありません。なにしろ、一面全体が死亡広告なのです。それも1面に収まり切らないこともままあるようです。それがまた、ある特別な日にだけそうなのではなく、ほぼ毎日、死亡広告が1面、2面と載っているのです。

沖縄では毎日そんなに多くの人が死んでいるのか(?)というと、そうではありません。むしろ、豚を多く食する沖縄の人達は長寿のはずです。

では、何故、死亡広告欄が大きいのかというと、沖縄以外の地では、有名な人くらいしか死亡広告を出さないのに、沖縄では、誰かが死ぬと殆ど死亡広告を出すのです。しかも、一つの広告欄が大きいのです。沖縄以外の地では、喪主の名前の他に名前は殆ど挙げず、後は「親戚一同」くらいですましていると思いますが、沖縄の死亡広告では、その「親戚一同」の名前を一人一人挙げているのです。それも、海外移民の多い所ですので、「在アルゼンチン」とか「在ペルー」といった親戚の名前まで出すのだそうです。ですから、一つの死亡広告が大きくなるのす。

沖縄は情の厚い土地です。家族、親戚を大事にします。だから、こんな死亡広告になるのです。家族、親戚に留まらず、知合いも大切にします。

だから、死んだ時だけではなく、結婚する時もタイヘンです。披露宴の参加者は普通で、500人くらいだそうです。500人です。私の披露宴は、金もなく、親の猛反対を受けながら、なんとか諒解を得てのものだったので、40人くらいとかなり小振りでしたので、偉い違いです。

2010年6月14日月曜日

一緒に住んでもいい。

タッチーがマドモワゼル・エヴァンジェリストに云ったそうだ。

「お義父さんと一緒に住んでもいい

娘であるマドモワゼル・エヴァンジェリストが結婚しても同居を望むエヴァンジェリスト氏の希望通り、一緒に住んでもいいと、タッチー・マウンテンダーが云ったらしい。

タッチー・マウンテンダーは、マドモワゼル・エヴァンジェリストのカレシさんである。

「アイツは、どうして一緒に住んでもいい、って云うの?」
「(お父さんが)面白いからだって
「甘い奴だ。たまに会って話すのなら面白いかもしれないが、始終一緒だと、五月蝿いだけだぞ」

と、云いながらも満更ではない顔をするエヴァンジェリスト氏に、

「ね、いいよね?」とマドモワゼル・エヴァンジェリストは訊くが、エヴァンジェリスト氏は返事をしない。

「ね、いいでしょ?」としつこく訊くので、仕方ないといった風にエヴァンジェリスト氏は口を開く。

「結婚を認めた訳ではない。最低条件は、ちゃんと働き、家を持つことだ」

タッチー・マウンテンダーは、6/4に19歳になったばかりだ。マドモワゼル・エヴァンジェリストはまだ18歳である。

「まだ、無理だよ。でも、バイトはちゃんとしてるよ

「……..」

自分は60歳近くなっても家を持てないくせに

「……..」

2010年6月6日日曜日

赤いタオル

過日、久しぶりに猪木さんにお会いした時、猪木さんは赤いマフラーをしていらっしゃらなかったが、猪木さんといえば、赤いマフラーだ。それは、現役時代の赤いタオルの延長なのだろう。

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コーナー・ポストに向いて両手をロープに置き、アントニオ猪木(現役時代の猪木さん)は、リングアナウンサーのコールを待ちます。リングアナウンサーが、「ア・ン・ト・ニ・オ、いのーきー」とコールすると、ガウンの紐をほどきながらリング中央に振り向き、両手を上げます。勿論、アゴは誇らし気に反り返っています。

そして、ガウンを脱ぎ捨てると、首に巻いた赤いタオルを両手で持ち、そのままその赤いタオルで首を2度、3度としごきます。そうしてから、右手で赤いタオルを首からさっと取り去ると、観客席に投げ込みます

これが、現役時代のアントニオ猪木の登場シーンです。

この所作は、アントニオ猪木の癖、習慣とお思いですか。いえ、違います。これは猪木さんが考えつくしたコールの受け方なのです。計算しつくした結果なのです。

アントニオ猪木は、自宅で何度も練習したのです。どんな仕草が格好いいか、どんなポーズが観客に力強く見えるか、色々と考え、考えた仕草を鏡に向って何度も何度も練習したのです。猪木さん自身がかつて、そう明かしていました。

これがプロです。貴方は、お客様のところに訪問する際に、ただ何気なくお客様の会社の中に、入っていっていませんか。

ガウンを着、赤いタイルを首に巻いた自分をイメージしましょう。ガウンを脱ぎ捨て、そして赤いタオルで首をしごき、さっとその赤いタオルを遠くに脱ぎ捨てる自分をイメージしながら、お客様の前に出ていきましょう。

そもそもリングに上がる前に(お客様を訪問する前に)、今日の客層を考え、イメージングします。エンド・ユーザーなのか、システム部門なのか、営業推進部門なら「恋するXXシステムを提案しよう」とか、といった風にイメージします。

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私は出張前夜、自宅の鏡に向って、翌日出張先で話す天気の話題を30分間、ブチブチブチと練習している、かどうか知りたい方はその旨、コメントに書き込んで下さい。