2011年10月20日木曜日

奥さん、それはいけません【飛行機でのマナー】

「君を見損なったな」

久しぶりに一緒に出張したワカシショー・ブラック氏に対して、お冠なエヴァンジェリスト氏である。

「いやあああ、云えませんよ。だったら、アナタが自分で云えばいいじゃないですか!」

二人は何を言い争っているのか?

飛行機を降りた時の会話であった.................


「いやあ、やられた。久しぶりだな。あんな奴は」
「どうしたんですか?」
「目を覚ましたら、おもいっきり背を倒していやがった」
「ああ、いますよね。飛行機の椅子の背を倒してくる人って」
「パソコンを開くのもやっとだった。ノート・パソコンを鋭角にしか開けなかった」
「ああ、困りますよね」
「りんごジュースを飲むのにも気を付けないといけなかった」
「熱い珈琲だともっと危ないですよね」
「その通りだ。さすが、君もプロの旅人予科練だけのことはある」
「予科練ですか?」
飛行機の座席は新幹線とは違うんだ。新幹線だって椅子の背を余り大きく倒すと後ろの人に迷惑だが、新幹線はまだしもだ。前の席と後ろの席とが、ある程度、空いているからな
「それでも、少ししか倒しませんよ」
「さすが予科練だ」
「相変らず、しつこいですね」
「しかし、飛行機は違う。前の席と後ろの席との間はかなり接近している。しかも、国内線だとせいぜい1時間前後しか席に座っていないんだから、椅子の背は倒してはいかのだ
「ほんと狭いですからね」
「だからワシは絶対、背を倒さない。他の人たちも背を倒さなくなっていた」
「確かに、最近、滅多に背を倒す人に遭遇しません」
「倒してきた奴には後ろからスリーパー・ホールドをかけてやろうかと思ったこともある」
「その気持ち、分ります」
「そうか、そうか。予科練を卒業させてやってもいいかなあ........」
「........でも、ウチの奥さん、おもいっきり倒すんですよねえ」
「はああああ?」
「おもいっきり倒すんです」
「飛行機でか?」
「はい、飛行機で」
「なにいいいいい!君は奥さんに注意をしないのか!?」
「しません」
「何故だ?」
「怖いのか?」
「怖いです。でも、内緒ですよ」


「君を見損なったな」
「いやあああ、云えませんよ。だったら、アナタが自分で云えばいいじゃないですか!」

開き直ったワカシショー・ブラック氏に対して、それ以上、エヴァンジェリスト氏は云えなかった。妻というものの怖さを知らなくはないからであったのであろう。

そして、独り言のように呟いた。

「奥さん、それはいけません。飛行機では椅子の背を倒してはいけません」

その声は決して、ワカシショー・ブラック夫人にまで届くものではなかった。



2011年10月9日日曜日

スティーブから学んでいない......

「我々は、スティーブから学んでいない......」

スティーブに先見性はなかった.....と、ついにスティーブ・ジョブズについて語ったエヴァンジェリスト氏が続けて語る。

「我々は、スティーブが創った未来を享受しているが、スティーブから学んではいない」

どういう意味か分らず、黙っていると、

「我々は、スティーブが創ったMacintosh、iPod、iTunes、iPhone、iPadで、それら以前の時代には創造だにできなかった生活を送れるようになった。今、iPhoneのない生活なんて創造できない。しかし........」
「しかし?」
「しかし、だ。我々は、いや、総ての者がとは云わないが、多くの者が、未来を創造してみせたスティーブの教えを学んでいない。スティーブが創った未来は享受しながらも、その未来を創造する方法を学ばない。未来を創造しようとしない。自分にできるとは思わない。未来の創造そのものではなくとも、未来を創造する為にとる方法論を実行しようとはしない
「いや、スティーブ・ジョブズのプレゼンテーションは、素晴らしく、『スティーブ・ジョブズ驚異のプレゼン』という本はベストセラーになってますよ」
「相変わらず、君は何も分っていない。確かに、スティーブはプレゼンテーション上手だ。が、ただスティーブのプレゼンテーションの仕方を、その表面(おもてづら)を真似ても何にもならない。
「それはそうですが..........」
「クリエイティブも大事ではあるが、それ以上に大事なのはオファーだ。プレゼンテーションの表現(クリエイティブ)よりも、プレゼンテーションする(提示する)内容(オファー)の方がより大事なのだ」
「ダイレクト・マーケティングでも云われることですね」
「スティーブは確かにプレゼンテーションがうまい。そのテクニックを学ぶのも良かろう。しかし、真にスティーブから学ぶべきものを知るべきだ。人々は、スティーブが創った未来は享受しながらも、未来を創造する上で不可欠な要素である固定観念からの脱却ができないのだ
「いや、誰でもがスティーブ・ジョブズのようになれる訳ではありませんよ」
「それが既に固定観念だ。スティーブは特別な存在ではなかった。誰でもがスティーブのようになれるのだ
「貴方もですか?」
「私はスティーブではない。エヴァンジェリストだ」
「???」

2011年10月8日土曜日

スティーブに先見性はなかった.....

「スティーブに先見性はなかった.....」

エヴァンジェリスト氏が、ついにスティーブ・ジョブズについて口を開いた。

同級生であったスティーブ・ジョブズに先立たれ、どういう気持ちでいるのかと気になっていたのだ。

因に、「同級生」というのは、エヴァンジェリスト氏の表現である。同学年という意味らしい。しかも、日本の学年に換算してである。エヴァンジェリスト氏は1954年生まれ。スティーブ・ジョブズは、1955年の2月生まれ(所謂、早生まれである)。エヴァンジェリスト氏とスティーブ・ジョブズが本当に同じクラスになったことがあるのか(文字通りの同級生であったのか)は、知らない。

「スティーブに先見性はなかった.....」

繰返した。悲嘆にくれているのかと思ったら、批判的言辞か.........

「そう、スティーブに先見性はなかった.....」

くどい!....しかし、それで分った。エヴァンジェリスト氏の気持ちが分った。

表情はいつもと変らず、何を考えているのか読めなかったが、同じことを三度云うところから、氏の動揺を私は読んだ。

しかし、あれだけ先見性があったと云われるスティーブ・ジョブズのことを先見性がなかったという真意が分らない。Apple社が出したコメントでも「先見の明があった」と云われているのである

「スティーブに先見性はなかった。彼は未来を創造したのだ。未来を見透したのではなく、未来を予測したのではなく、未来を創造したのだ」

アラン・ケイか!

アラン・ケイは云ったのだ、「未来を予測する最良の方法は、未来を創造することだ」と。有名な言葉である。

周知のことかと思うが、アラン・ケイは、Macintoshの源流とも云えるXeroxのAltoの開発に携わり、その後に、Appleのフェローにもなった「パーソナル・コンピューターの父」とも云われる人物である(美しくなければいけない(後編))。パーソナル・コンピューターという概念・言葉を考えたとも云われる。「Dynabook」なる概念・構想(云うまでもなかろうが、東芝のノート・パソコンのことではない)を提唱し、その実現がiPadと捉えることもできるのだ。

「スティーブは、日常生活にコンピューターのある未来社会を予見したのではない。音楽を、しかも大量の曲をウチの外で聞ける未来生活が来ると読んだのではない。音楽をレコード店に買いに行かなくてもいい時代が来ると予想したのではない。ウチの中でも、外を歩きながらでも、通勤電車の中でも、ゴルフ場でもどこでも知りたい情報を得られるようになる場面を想像したのではない」
「................」
「スティーブは、Macintoshで、iPod、iTunes、iPhone、iPadで、そんな社会を、そんな生活を、そんな時代を、そんな場面を創ったのである。そんな社会を、そんな生活を、そんな時代を、そんな場面を創りたくなり、それを実現したのだ」
「................」
「スティーブに先見性があった訳ではない。スティーブは、未来を創造したのだ。そして、我々はスティーブが創った未来を享受しているのだ」