「ガガは無垢だな」
珍しく人を褒める。
東日本大震災からの復興祈願という崇高な心を持って来日したレディ・ガガのことを河童(女ガッパ)だと茶化すエヴァンジェリスト氏のことを私は軽蔑していた。
しかし、氏にも人の心というものはあったようだ。
全身緑という奇抜な衣装で来日したレディ・ガガは、感謝状もプレゼントもいらない、と云った。その言葉を発するガガの目に一点の曇りもないことは、さすがのエヴァンジェリスト氏にも分ったようであった。
そこで、思わず口にしたのが、
であったのだ。しかし、
「やはりカッパではあったようだが」
「.....?」
「皿じゃ、皿じゃよ」
「皿?」
「『日本の為に祈りを。』の下だ」
「ガガが持って来たティーカップのことですか?その下?」
「ティーカップの下には何があった?」
「?...皿?......ま、まさか」
「そうだ。そのまさか、だ。ガガも粋なことをするなあ。ワシへのメッセージじゃろ」
呆れた。
ガガの頭の登頂部に、河童ならあるべき「皿」がないことから、河童のはずがない、と私が疑念を呈していたことを気にしていたようだ。
頭の登頂部に皿はなかったが、『日本の為に祈りを。』と自書したティーカップの受け皿として、頭の皿を使っていたのだ、と云いたいらしい。
ガガに敬意を表する気持ちに嘘はないようだが、それと河童問題とは、エヴァンジェリスト氏の頭の中では(心の中では)別なのだ。
「そういえば、日本に住みたい、とも云っていたな。本気なら、まつちかタウンの泉を紹介してやってもいい。まつちカッパも喜ぶことであろう」
心に正邪の両方を持つエヴァンジェリスト氏は、ある意味で、まさしく神の使いとも云える。
無垢なレディ・ガガも、「日本の為に祈りを。」というメッセージを発する際には河童の格好で(いや、緑の衣装で)登場し、「日本に住みたい」と云う際には、まぶたに目を書いて登場するというふざけ振りではあったのだ。