2010年4月28日水曜日

マダム、早速、怒る!........「アマの旅人」マダム・エヴァンジェリスト一人旅日記もどき

 
マダム・エヴァンジェリストが早速、怒った

4/27、マダム・エヴァンジェリストは旅に出た。有田焼の陶器市行きを軸とした九州一人旅である。
「ANAのお姉たちは、私が『プレミアムを利用する客には相応しくない』と思ったらしく上から目線の物言いだった。帰りの対応次第ではクレームだ」

マダム・エヴァンジェリストは、エヴァンジェリスト氏のアップグレード・ポイントを使って、プレミアム・クラスにアップグレードしたのである。その手続の際の対応、その後の対応ぶりにお怒りである。

アップグレードする際の対応(アンタみたいなおばさんが本当にプレミアム・クラスに乗るの?という視線)、搭乗する際の対応(プレミアム・クラスなので優先搭乗しようとすると、止められて搭乗券を確認された)、機内でのCAの対応(隣の席のサラリーマンには慇懃無礼な程の対応をするのに、自分の場合、新聞を頼む等すると露骨に嫌な顔をする)にお怒りである。

復路、ANAは汚名返上となるか。それともマダムの怒り爆発、クレーム対応に苦しむことになるのか。

2010年4月25日日曜日

新幹線に追い付いた!? 


結局、新幹線を止められず、自分達が乗るべき新幹線に乗ることができなかったマダム・エヴァンジェリストとマドモワゼル・エヴァンジェリストは、その後、どうなったのか、気になっていらっしゃる方もいるようです。

二人は、間違って乗った「のぞみ」に戻り、そのまま東京に向いました。席は、グリーン車です。乗るはずだった「ひかり」の席がグリーン車だったからです。夫であるエヴァンジェリスト氏が、めったに旅行をすることもなければ、家を持つこともできないその罪滅ぼしに、と奮発したのでした。

出発後、勿論、車掌さんが検札に来ます。おばさんであるマダム・エヴァンジェリストに怖いものはありませんので、車掌さんに事情を説明します。乗るべき「ひかり」に乗れず、止めてももらえなかった、と。車掌さんも、おばさんには逆らえませんので、「そうぞ、このまま乗って頂ければ、名古屋でそのひかりに追い付くので、そこで乗り換えて下さい」と親切な対応をしてくれました。

後でその経緯を聞いたエヴァンジェリスト氏は、やさしい車掌さんだなあ、っていうか、おばさんは怖いな、と思いましたが、マダム・エヴァンジェリストの考えは違います。

「けち!」と、その車掌さんを罵るのです。名古屋で乗り換えろと云わず、そのまま東京迄どうぞ、と云ってくれればいいのに、と云うのです。だって、「のぞみ」のグリーン車、ガラガラなんだからいいじゃない、そのままで、という理屈です。

この逸話から学ぶものは………………….特にある訳ではありませんが、もう一つのJRの車掌さんの対応と比べた時に、参考になるものがあるかもしれません。

それは、東北地方に出張した帰りの新幹線でした。

私が盛岡から乗ったその新幹線は速い「やまびこ」で、停車駅の少ないものでした。その「やまびこ」に仙台から1人のおじさん(私ぐらいのビジネスマン)が乗ってきました。

まもなく検札に車掌さんが来たのですが、そのビジネスマンと喧嘩にはなっていないようでしたが、もめています。やりとりがハッキリと聞こえている訳ではありませんが、どうも、小山辺りに行くのに、この「やまびこ」は仙台の次は大宮迄停まらないので、大宮迄行って、下りの新幹線で小山まで引き返すつもりであったようです。この「やまびこ」が大宮迄停まらないことを知っており、敢て、そうしようとしたようでした。

しかし、この場合、このビジネスマンは仙台から小山までの切符しか買っていないので、このビジネスマンが取ろうとした手段では、小山と大宮の間の往復の切符を買う必要があります。

車掌さんはそれを説明し、恐れいりますが、その代金をお支払い下さい、なんて感じで云っているようでした。

しかし、ビジネスマンは納得しかねるようで、かなり長い間やり取りは続きました。その内、車掌さんが立ち去ったので、解決したのかと思いきや、車掌さんは時刻表を持ってきて、ビジネスマンにさしだしました。納得のいかないビジネスマンにJRの法律書といってもいい時刻表を見せて、運賃ルールを確認してもらおうとしたのでした。

結局、ビジネスマンは代金を支払いました。

さて、この車掌さんは間違っていたでしょうか。いえ、全然、間違っていません。運賃ルールはその通りです。「プロの旅人」である私はそのことは良く知っています。

しかし、同じようなことをして私は代金を支払わなくて済んだことがあります。

東京から福島に行くのに、新幹線の中でいつも通りパソコンでの仕事に夢中になっていた私は、福島で降り忘れ、仙台迄行って、上りの新幹線に乗り換え、福島迄戻ったことがあります。しかし、福島と仙台の間の往復の切符の代金を払いはしませんでした。

私がズルをしたのではありません。たまたま車掌さんに見つからなかったからではありません。皆さんご存知の通り、善良にして紳士である私は、仙台に着いたところで乗っていた新幹線の車掌さんに事情を説明しました。

すると、その車掌さんは私にただ、上りの新幹線に乗り換えて福島迄戻るように云うだけでした。

運賃ルールをしっている私は、福島と仙台の間の往復の切符の代金は、と云いましたが、いいですよ、と云ってくれました。でも、乗り換えた上りの新幹線の車掌さんに代金を支払うよう云われるのでは、と云いましたが、その時は、また事情を云えば大丈夫ですよ、とのことでした。寝過ごしてよく福島で降りるところを仙台まで来てしまう人は少なくないんだそうです(私は寝ていた訳ではありませんよ)。

では、上述のビジネスマンの場合、間違って小山に停まらない新幹線に乗ってしまったと云えば、どうだったでしょうか。多分、大目にみてもらえたと思います。その時の車掌さんも決して、意地悪な感じの人ではありませんでしたから。

しかし、私が車掌だったら、このビジネスマンには、今回だけですよ、と大目にみてあげると思います。勿論、運賃ルールをちゃんと説明して、納得してもらってからですが

ある意味では、このビジネスマンは馬鹿正直だったのです。運賃ルールを知らなかっただけで、悪意をもってしようとしたことではないのです。

大目にみてもJRが多大な損失を蒙る訳ではないと思います。他の乗客の手前、大目にみるのがまずいとしたら、恐縮ですが、とデッキに来てもらい、そこで決着をつけます。

ルールは大事です。しかし、相手に悪意がない場合、ルールの運用は弾力的に行われてもいいはずです。

私は私のビジネスに於いて基本的に値引きをしません。しかし、お客様の担当者がそのことを十二分に理解した上で、自身の会社の上層部からの強い要請でどうしても、どうしても、値引きをして欲しいと云って来た場合には、なにがしかの条件を付けた上ですが、値引きに応じることはあります。

マダム・エヴァンジェリストに対応した新幹線の車掌さんも弾力的な対応をしてくれたのです(ただただ、マダム・エヴァンジェリストが怖かっただけかもしれませんが)。

マダム・エヴァンジェリストが望んだ通り、名古屋で乗り換えることなく、「のぞみ」のグリーン車でそのまま東京迄乗って行っていい、とまで云うべきであったかどうかは、判断の難しいところですね。

2010年4月22日木曜日

クソーコーノ氏はテンサイである。

クソーコーノ氏は天才である。しかし、困った人である。

氏は「システム」を作る人である。しかも売れる「システム」を作る人である。氏が作る「システム」は、人に優しい。使う人のことをとてもよく考えている。だから、使い易く、だから、売れるのである。

氏が作る「システム」は、人に優しい。しかし、氏は人には優しくない。

氏は、自身のことを「天使」だと云う。自分のメール・アドレスを「天使」にしている。自分のメール・アドレスを「まごころ」ナントカとしているミスター・チョーテイ並みである。そう云えば,ミスター・チョーテイの異名は、ワカ・クソーコーノである。

云うまでもなく、自分に「まごころ」があるという人間に「まごころ」はない。自分のことを「天使」という人間に天使はいない。

クソーコーノ氏は、人を追いつめる。2時間でも3時間でも、4時間でも5時間でも問い詰め続ける。

氏の質問は、「右」と答えても、「左」と答えても、正解にはならない。氏は、ずるいのだ。氏の質問に問題があるのだ。

質問自体がおかしいのだ。態とである。なんとなく当然のように思えることを前提として質問するのである。

しかし、「なんとなく当然のように思えること」は、必ずしも「当然」ではないのである。

これは、最近のマスコミでもよくあることである。確信犯であるクソーコーノ氏と異なり、マスコミは、必ずしも「当然」ではないことを「当然」と、自分達自身思っているのだろうが。

例えば、「説明責任を果していると思いますか?」なんて質問がよく為されている。一般市民は、この質問に対して「果している」とか「果していない」とか答えることになる。

これは罠である。

「説明責任を果していると思いますか?」という質問は、「説明責任がある」ということが前提になっているのである。

而して、本当に「説明責任」はあるのか?ケースにもよるであろうが、総てのケースで絶対的に「説明責任がある」とは限らない。

「説明責任を果していると思いますか?」という質問に対して、「果している」という答も「果していない」という答も正解ではない。むしろ、いつの間にか、当該の人間には「説明責任がある」ということが脳裏に刷り込まれるのである。

質問自体を疑ってかかるべきなのだ。

クソーコーノ氏は、この論理を使って来るのである。氏の「手」に乗ってはならない。氏の質問に対しては、先ず、その質問そのものの疑問を呈すればいい。そうすれば、氏は、結構、メロメロ,ヨロヨロになる。可愛いくらいに。

クソーコーノ氏はテンサイである。いや、天災以上の存在だ。氏に質問を浴びせられたら、二度と立ち上がれない程、打ちのめされる。

だから、一般市民は氏になかなか近寄らない。しかし、氏を避けてはならない。

氏は人々のことを思い、問うているのである。氏の質問には必ずしも正しいとは限らないことが前提となっていることに気付いて欲しいのである。

「常識的」なことは必ずしも「常識」ではないことに気付いて欲しいのである。

生きていく上でも、ビジネスでも、このことが(俗な言い方をすれば、常識に囚われないことが)大事であることを知らしめたいのである。企画の第1歩は、企画の前提を崩すことであるとも云われる。

氏が作る「システム」が使い易く、売れるのは、氏の発想が常識に囚われていないからである。人々は自身が気付かない内に、自身で「これは無理」と自身の周りに枠(制約)を作ってしまう。枠の範囲での発想では、いい「システム」は作れない。

「枠」に囚われないクソーコーノ氏が作る「システム」は、人に優しい。そして、一見、氏は人には優しくない。それは間違いない。それは氏がシャイだからであり、人々に気付いて欲しいという思いが、「強さ」になって出てしまうからである。

而して、実態は.........人々が「枠」に囚われないことを願うクソーコーノ氏ほど、人に優しい人はいない。

但し、クソーコーノ氏は、ヨーロッパ人ではない!?

2010年4月19日月曜日

渡邉と書いてロマンと読む。

今(4/19の23時)、西日本のF市である。この地で、「渡邉と書いてロマンと読む」ことを知った。

F市には「浪漫食堂」という店がある。これが「渡邉食堂」と読めるのだ。同行のモトヤミシツチョウ氏も同じく、「渡邉食堂」と読んでしまったのだ。

フォントというか、ロゴと云った方がいいのかもしれないが、デザインされた筆記体の文字が「浪漫」を「渡邉」と読ませるのだろう............と思いかけたところで、気付いた。「渡邉」は元より「ロマン」なのだ。

私が時々訪問する某社に「渡邉」という人がいる。私が敬愛する方である。

「渡邉」さんは、ロマンチストである。結婚してもう何年も経つのに、毎年、奥様と海外旅行に行く。長時間のフライトの間、隣り合せの席に座り、ずっと手を握り合っているのではないか、と噂する人もいる。

1年前に、慣れ親しんだ現場の責任者にまで登り詰めたのに、その地位を棄て、この4月からは、職種を変え、新たなジャンルでの挑戦を始めたロマンチストなのである。

そう、「「渡邉」は元より「ロマン」であったのだ。

2010年4月16日金曜日

真心を売る!?

今日も旅をしている。何しろ、私は「プロの旅人」なのだ。

今回の訪問先は、中国地方のK市である。相棒のツマノシンセキハ・コクミンテキビショウジョ・ダカラツマモビジン氏も同行したが、氏の地元である。

ツマノシンセキハ・コクミンテキビショウジョ・ダカラツマモビジン氏には申し訳ないが、何もない街である。

しかし、今回は新発見があった。

「真心を売る」店があったのだ。本当である。

九州のK市には、「まごころ営業」を掲げる風俗の店があり、同僚のミスター・チョーテイは、その店にちなんで、自分のメール・アドレスを「まごころ営業マン」としたが(怪しい奴である)、今回発見した「真心を売る」店は九州のK市の店とは、多分、関係ない。

では、この「真心を売る」店とはどんな店だと思いますか,皆さん?

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新幹線を止める








アナタは新幹線を止めたことがありますか?或いは、止めようとしたことがありますか?JR駅員に、新幹線を止めるように云ったことがありますか?

マダム・エヴァンジェリストは、8年前、劇団四季の「キャッツ」を観る為に、マドモワゼル・エヴァンジェリストと、「キャッツ」公演中の大阪迄、旅をしました。

その帰りのことです。11:16発の「ひかり」に乗ろうとして、間違って、ホームの反対側に停まっていた11:27発の「のぞみ」に乗り込んでしまいました。

11:15過ぎに、マドモワゼル・エヴァンジェリストが、「おかーこ、あっちの新幹線じゃないの?」と気付きました。

二人は急いで「のぞみ」を降り、「ひかり」に向いました。しかし、その時もう、「ひかり」はドアを閉め、動き出していました。

マダム・エヴァンジェリストがJR駅員に云いました、「あの新幹線、止めて下さい!!!」

……….いやあ、そう、云われても……………….
「あの新幹線に乗るんです!止めて下さい!!!!!!」
「んんん…………いやあ………….
「止めて下さい!!!!!」
「すみません。できないんです」
「どうして!?!!!?!!!」
「いやあ……….
「急病人が出たら止めるでしょう!」
「そうですが……………
「!!!!!!!!!!!」

新幹線を止めようとしたマダム・エヴァンジェリストのことを貴方は、どう思いますか?無茶苦茶だ、やっぱり、おばさんは怖い、とお思いですか?因に、マダム・エヴァンジェリストは当時、45歳、立派なおばさんでした。

確かに無茶苦茶です。しかし、本当に欲しいものがあれば、どんなことでもするのではないでしょうか。エヴァンジェリスト氏は、マダム・エヴァンジェリストから責められています。ウチは、何故、家が持てないのか。

家を持とうとした頃、バブルになったから、は理由にはなりません。元々給料が悪いから、も何も理由にはなりません。諦めることは許されません。本当に欲しいものは、諦めてはいけないのです。


[このゴールデン・ウイーク、マダム・エヴァンジェリストは一人旅に出ます。また、旅先で無茶を云わないか、エヴァンジェリスト氏は心配しているようです]

2010年4月11日日曜日

SPになった。

過日、SPになった。ボディーガードである。

私の相棒であるツマハ・オンナヤミシツチョー氏がお客様に重要物を届けるにあたり、護衛として同行したのである。

会社を出る前に、iPhoneのイヤホンを片耳にあて、ややハイテンションに本物の「SP」を気取る等したものだから、周りからは顰蹙をかってしまったが、数時間行動を共にしたツマハ・オンナヤミシツチョー氏からは、本当に嫌がられたようであった。

移動中、新幹線で並んだ席に座り、私から途切れることなく話しかけられたこともウンザリだったのであろうが(私としては仕方ない。重要物の運搬中だから眠らせる訳にはいかない)、トイレに行くのにも一緒だったのである。

但し、誤解しないで頂きたいが、「小」の方である。「大」の方ではない。

油断大敵である。トイレの中も安心していられない。いや、重要物はたすきがけした鞄の中とはいえ、用を足している間に盗られる可能性は他の時よりも高いのだ。

私は「大」も「小」もしたくはなかったので、ただツマハ・オンナヤミシツチョー氏が用を足すその後ろに立っていただけであるが、きっちりと見張り役を果したのである。

しかし、ツマハ・オンナヤミシツチョー氏の方は「見られていると、出るもものもちゃんとは出なかった」とこぼしたとも聞く。私はツマハ・オンナヤミシツチョー氏のナニを見ていた訳ではないのだが。

すっかり嫌がられた私は、帰路は一人飛行機に乗り、ツマハ・オンナヤミシツチョー氏は新幹線で帰京したのである。

しかし、重要物は無事、届けられ、私は見事、護衛役を全うしたのである。「SP」が必要になったら、是非、声をかけて欲しい。

2010年4月4日日曜日

グムスメの大学の入学式

昨日(4/3)は、グムスメの大学(女子大)の入学式であった。

新入生席の後ろの父母席から見ると、今時の新入生というものが分る。8割方の学生が髪を染めていたのだ。

グムスメもご多分に漏れず、高校の卒業式の後、髪を染めたがり、美容院に行ったのだ。高校で受けていた制約(髪染め禁止)からの解放である。

人間ってこんなものなのだろうが、ビジネス的に捉えると、これはマズイ。他人(他社)と同じことをしていては儲からない。

ビジネスの要諦は、他と違うことをすることである。iPadが発売になったが、これはこれまでにないジャンルの開拓を目指したものである。電子ブック・リーダーと捉える向きもあるが、それは違う。

新たな種類の(ある意味では、真の)パーソナル・コンピューターなのだと思う。

しかし、入学式に見る新入生の髪のように、人は他人と同じこと(流行り)をしたがるものなのだ。