2011年9月28日水曜日

石原プロ.......いいのか!?炊き出しカレー。

「『炊き出しカレー』発売だなんて、やりますね。石原軍団」

と云うと、エヴァンジェリスト氏は不機嫌になった。石原プロ系とも噂される氏が喜ぶであろうと思っていった言葉であったのだが......

「君は本当にいいと思うのか?石原プロのそのやり方を」

「売上の一部を被災地への寄付にあてるらしいじゃあないですか。素晴らしいではないですか」

高島屋がこの(2011年)11月中旬から「石原軍団炊き出しカレー」、「石原軍団炊き出しとん汁」を発売し、その後に「石原軍団炊き出しおでん」、「石原軍団炊き出しぜんざい」も発売するらしい。

「小林専務がいたら、あり得ないことだ」
「震災に便乗した商売と見られているのですか?」
「石原プロはそんな会社、集団ではない。高島屋も同じだ。純粋に被災者支援を考えてのことだろう」
「では、いいではないですか」
「いや、それでもよくはないのだ。『炊き出しカレー』は本当に『炊き出しカレー』だと思うかい?」
「思いますけど......」
「味は石原プロが作る『炊き出しカレー』のそれを再現するのかもしれない。しかし、『炊き出しカレー』は『炊き出し』をするから『炊き出しカレー』なんだ。味を再現したからといってそれは『炊き出しカレー』にはならない。渡さん、舘さんが、スタッフを含め石原プロの面々が、現地に行って、そこでカレーを作り、現地の皆さんに一人一人手渡しするから『炊き出しカレー』なんだ
「ま、いいじゃないですが(ヒトサシユビK風に)」
「小林専務がいたら、炊き出さない『炊き出しカレー』なんて決して認めなかったはずだ。これは被災者支援であってビジネスではないであろうが。まあ、小林専務がいなくなって(石原プロが新体制になって)、社員が自由な発想をするようになった一つの成果ではあるのかもしれない」
「だったらいいじゃあないですか。五月蝿い人だなあ」
「自由な発想をするようになったのはいい。その方向性を否定するものではない。しかし、この件に関しては、その対応振りはいいことではないのだ。ねえ、小林専務?」
「え?小林専務と連絡を取合っていらっしゃるんですか?」
「君には関係ないことだ」

船橋停車?

「ワシは、船橋停車にでもなるかぁ.......」

と、突然、エヴァンジェリスト氏が意味不明なことを云い出した。

「市川でチューシャするなら、そのちょっと先の船橋でテイシャしたっていいじゃあないか」

少し読めてきた。

「テルがあの歳でデビューするんだから、ワシだってデビューしたっていいだろう」
「テルって、まさかカガワ....」
「そうじゃ、照之だ」

くだらない!もう聞く気がしない。

もうお判りであろう。俳優の香川照之が46歳にして、「市川中車」名で歌舞伎デビューすることを云っているのだ。

確かに、46歳で歌舞伎デビューなんて聞いたことがない。しかし、だからといって「ワシは」にはならないであろう。「ワシ」には、歌舞伎役者になる資格もツテもないはずだ。

香川照之は、父親が市川猿之助(この度、二代目『市川猿翁』を襲名し、甥の市川亀治郎が猿之助を襲名するそうだが)なのだから、資格は十分だ。46歳という年齢からすると、それあり?な感じではあるが。

しかし、エヴァンジェリスト氏の場合、父親はただの設計士だ。戦艦大和の設計士だ(まあ、それはそれで特別ではあるが)。所謂「梨園」とは縁なしのはずだ(梨園[なしえん]を経営してもいないはずだ)

それに、エヴァンジェリスト氏は香川照之よりもおよそ一回りも年上、還暦に近いのである。その年齢でましてや歌舞伎デビューなんてあり得ないではないか!

尤も、エヴァンジェリスト氏は、「エヴァンジェリスト」を演じているのであろうし、石原プロ入りするのではないか、とか、AppleのCEOになるのかも、等と妄想がヒドイところも役者向きといえなくもない。

フェイスも結構いけてるし.........


ああやばい。いつの間にかエヴァンジェリスト氏のペースにはまりかけている。

2011年9月25日日曜日

「ままかり」か「鎌倉パスタ」か

「岡山と云えば『ままかり』だな」

久しぶりに岡山に出張したエヴァンジェリスト氏が、したり顔で云う。

ご存じかと思うが、「ままかり」は岡山名物の青魚である。「飯借」と書く。美味し過ぎて自宅のご飯を食べ尽し、隣家に「飯(まま)」を借りにいく程だ、というところから来ていると云われる。

「ままかり寿司がうまい!ままかり寿司と云えば、吾妻寿司だ。岡山駅在来線改札を入って正面の売店で売っている吾妻寿司のままかり寿司は絶品だ。但し、よく売れるからか早く買わないと売り切れてしまっていることもある」

調べてみると、吾妻寿司は100年以上続く名店であるらしい。岡山駅ビル「さんすて岡山」店(改札の外側)もあり、持帰り用の寿司の販売の他、カウンター席もあり、そこで食べることもできるようになっているらしい。

「岡山駅で吾妻寿司の『ままかり寿司』を買って、四国に渡る特急電車の中で食べた時には感動さえ覚えた」
「そんなに美味しかったんですか」
「そんなに美味しかった。それ以来、『ままかり』ファンになってしまった」
「『ままかり』は東京では食べられないんですか?」
「いい質問だ。東京ではなかなか「ままかり」は見つからなかった。が、見つけた。高級スーパーの成城石井で『ままかり』の酢漬けを売っている。これも絶品だ
「今回、久しぶりの岡山で、『ままかり』を食べたんですか?」
「ムッ………鎌倉パスタでカルボナーラを食べた
「はぁ?何故、岡山で鎌倉パスタなんですか?」
「岡山駅ビル内にあるからだ」
「何故、同じ岡山駅ビルにある吾妻寿司で『ままかり寿司』を食べなかったんですか?」
「う、五月蝿い!一緒に出張したオレハオトコダヒロイン氏が鎌倉パスタを食べたいと云ったからだ。それに鎌倉パスタもうまいではないか。….ところで、青魚と云えば、鹿児島の『きびなご』もうまいぞ」
「そんなことは訊いていません!」

エヴァンジェリスト氏が「ままかり」好きなのは嘘ではないのであろうが、今回の出張ではただ鎌倉パスタを食べたかっただけなのであろう。それならそうと云えばいいのに、オレハオトコダヒロイン氏のせいにするとは男らしくない。


2011年9月22日木曜日

スカリーは間違っていたのか?(後編)

「虚」中の「実」は、本来、「虚」である。そのはずである。「夢」の中に「現実」は存在し得ないように

しかし、それはそもそも「虚」であったのか?........と、エヴァンジェリスト氏は云う。

スカリーの教えは「実」である。彼のマーケティングの教えは決して間違っていない。

では、スカリー自身は「虚」であったのか?Appleに対するジョン・スカリーは「虚」であったのか?

彼は、Appleの最大のミスは、自分をCEOにしたことであるとか、Appleに於ける自分の業績はスティーブ・ジョブズに依るものである等と云っているらしい。スティーブ・ジョブズが去った後も(追い出された後も)、スティーブ・ジョブズのDNA(デザイン哲学等)に従いAppleは動き、業績は向上したといった意味であるようだ。

即ち、ジョン・スカリーは、Appleに於ける自身を「虚」であったと云っているに等しいのだ

しかし、スカリーは間違っている。スカリーが「虚」であるとしたら、Apple時代がそうであったのではなく、Appleに於ける自身を否定している今である

スティーブ・ジョブズが去った後(追い出された後)、スカリーはAppleの売上を10倍にしてみせたのだ。Macintoshがそれを実現したのだ。

Macintoshの源流には、パロ・アルトに始るスティーブ・ジョブズの発想があったことは確かである。Macintoshにはスティーブ・ジョブズのDNAが存在することは確かである(当初、スティーブ・ジョブズはMacintoshのプロジェクトには加わっていなかったはずではあるとしても)。

しかし、MacintoshのDNAはスティーブ・ジョブズのそれだけではないのだ。そこには、ジェフ・ラスキンのそれもあったであろうし(彼はMacintoshプロジェクトを立ち上げた一人である)、Macintoshには欠かせぬソフトウエア(ツール)であったHyperCardの開発者でるビル・アトキンソンのそれもあったであろう(彼はMacPaintやQuickDrawも開発している)。

また、ある時期Macintoshのデザインを担当したフロッグ・デザイン社のDNAもあったであろうし、「エヴァンジェリスト」なる存在(概念)を創ったといっていいガイ・カワサキのDNAもあることは間違いない。

そして........

そういった人々をリードしたジョン・スカリー自身のDNAもMacintoshの中にはあるのだ。

確かに、今のAppleの隆盛はスティーブ・ジョブズに依るところが大きい(勿論、スティーブだけの功績ではないことは、スティーブ自身がよく分っているはずだ、とエヴァンジェリスト氏は云う)。

しかし、Macintoshが1984年、衝撃的な登場をし、その後、進化し、成長していった過程にいたのは、スティーブ・ジョブズではなく、ジョン・スカリーであったのだ

今のAppleの隆盛をもたらしたスティーブ・ジョブズを見て、Apple時代の自身を否定してはいけないのだ。

................と、エヴァンジェリスト氏は云う。

「ジョンにそう云ってやりたいが、彼とは親しくはないのでね」

スティーブとは同級生だけど(日本的には同学年ということらしい)、という顔をして云う。

Apple時代のスカリーは決して「虚」ではない。

そして、スカリーの教えは「実」である。彼のマーケティングの教えは決して間違っていない。それは、「虚」中の「実」ではなく、「実」中の「実」なのである

......では、もう一人、エヴァンジェリスト氏にマーケティングを教えた(エヴァンジェリスト氏に初めてマーケティングなるものの存在を教えた)アノ人の教えは「実」であったのであろうか?

尊属傷害致死で逮捕され実刑を受けたアノ人の教えは「実」であったのであろうか。

「いずれそのことは語ることになるであろう」

そう云うエヴァンジェリスト氏の顔はいつになく厳しい。

2011年9月11日日曜日

スカリーは間違っていたのか?(中編)

「スカリーに学ぶところは多かった」

エヴァンジェリスト氏は述懐する。

「自分がスカリーから学んだものは『虚』であったのか?」

スカリーがApple時代の自身を否定すると(その時代の自分を『虚』とすると)、そのスカリーから学んだものの『虚・実』が問題となりかねないのである。

「スカリーとは知合いではないが、彼の自伝Odyssey: Pepsi to Apple.=邦題『スカリー【世界を動かす経営哲学】』- 会津泉・訳から学ぶものは多かった」

Appleの会長時代に出版されたスカリーの自伝は、スティーブ・ジョブズとの経緯の記述等、自伝であると同時に、マーケティング書でもあるのだ。

「例えば.......」とエヴァンジェリスト氏は云う。

『通常、競争相手を骨抜きにするには、競争の土俵そのものを変えてしまわなければならない』とスカリーは云うが、これはマーケティングそのもののことを云っているのである。

マーケティングは色々に定義可能ではあるが、エヴァンジェリスト氏は、それは「創造」であると云う。競合を持たない状況を作り上げることをいう、と云う。

『成功のための自分自身のガイドラインを確立すること』の重要性をスカリーは説いているが、それはマーケティングに限らず、有効な考え方/処し方であると、エヴァンジェリスト氏は云う。

即ち、成功の基準は他者に設定させず、自分自身で作るべきであるということなのだ

成功の基準は一様ではない。それは如何ようにも設定可能なものである。他者にそれを設定させると失敗の烙印を押されがちである。成功するか否かは、少々姑息な感じを持たれるかもしれないが、成功の基準を自分で設定するかどうかにかかっているとさせ云えるのである。

..........以上のようなことをエヴァンジェリスト氏は、スカリーから学んだ、或は、再確認をしたと云うのである。


2011年9月6日火曜日

スカリーは間違っていたのか?(前編)

「虚」中の「実」は、「虚」であるのか、「実」であるのか?


そもそもそれは、「虚」であったのか?

エヴァンジェリスト氏は自問する。スカリーのことである。氏は、意味深に云っていたのだ、「スカリーを忘れるな」と(スティーブ・ジョブズ辞任........「スカリーを忘れるな」)。

スカリ−といっても「Xファイル」の女性FBI捜査官ダナ・スカリーのころではない。ジョン・スカリーのことである。

ご存じかと思うが、ジョン・スカリーは、かつてのApple(当時は、Apple Computer)のCEOである。スティーブ・ジョブズに請われてAppleに来たのである(史上最大のヘッドハンティングとも云われた)。

ジョン・スカリーは、ペプシ・コーラの社長であった(ペプシコの、ではなく、ペプシコの子会社であるペプシ・コーラの、である)。ペプシ・コーラで、ジョン・スカリーは、当時、コカコーラを抜いてマーケット・シェアのトップをとったことで有名である。

スティーブ・ジョブズは、ジョン・スカリーのそのマーケティングの手腕をかって、Appleに誘ったのである。「一生、砂糖水を売っているつもりか」という有名な言葉で。

Apple移籍後、スティーブ・ジョブズとジョン・スカリーとは「ダイナミック・デュオ」として蜜月時代を過ごす時期もあったが、二人は相離反し、スティーブ・ジョブズはAppleを追われることになったことは周知の通りである。

しかし、それから8年後、ジョン・スカリー自身が経営不振からAppleを追われることになり、その後、何人かのCEOがAppleの立直しを図ったが実らず、スティーブ・ジョブズがAppleに戻り、iMacに始る今のAppleの大成功を実現したことは語るまでもなかろう。

問題は、現在のAppleの状態から、スティーブ・ジョブズが正しく、スティーブ・ジョブズを追い出したジョン・スカリーが間違っていたと見なされることである........とエヴァンジェリスト氏は云う。

ジョン・スカリー自身がそういった主旨の発言をインタビューでしているのである。

しかし、果して、ジョン・スカリーは本当に間違っていたのか?