2010年11月30日火曜日

ヨーロッパ移住計画

グソク・エヴァンジェリストがとんでもないことを云い出した。

「そうすれば、ヨーロッパに移住できるじゃん」

普段、ろくに口もきいてこないグソク・エヴァンジェリストが、エヴァンジェリスト氏に訊いて来た。

「お父さん(久しぶりに聞く言葉だ)、フランス語の文法を書いた本ある?初心者向けの(エヴァンジェリスト氏は仏文出身だから訊いて来たのだ」
「どうしたの?」
「いや、英語はほぼできるようになったから(大した自信だ)、今度はフランス語でもやってみようかと思って」
「フランス語覚えてどうするの?」
「そうすれば、ヨーロッパに移住できるじゃん」
「お前、アメリカに行って、行方不明者になるって云ってたじゃない」
「いや、アメリカは社会保障制度がしっかりしてないから。その点、ヨーロッパの方が安心じゃん」

行方不明者になろうと思う者が、社会保障制度の心配をするのには合点がいかないが、ほんの僅かな時間ではあったものの、久しぶりの親子の会話に満足したエヴァンジェリスト氏はその点には触れなかった。

ところで、皆さん、こんなグソク・エヴァンジェリストのことをどう思いますか?

2010年11月27日土曜日

思い出のK児島(その7).... 最終回

「やっぱ、買うわ」

「西瓜大好き」さんから「西瓜は最高です。迷わず買いましょう」とコメントを書込まれたからではないでしょうが、シショーは西瓜お買い求めになられたのです。

翌朝の幸せそうなシショー・エヴァンジェリストの顔を、忘れたくない訳ではありませんが、忘れられません。

「エヴァちゃん、西瓜、うまかったよ。ゆうべのあの西瓜、スゴイよ。あんなにうまい西瓜、たべたことないなあ」

シショー・エヴァンジェリストがご機嫌なのは、それはまあそれでいいことだ、と思いました。デシとしてはシショーの幸せは自分の幸せでもあるのです。しかし、そんなエヴァンジェリスト氏の考えは浅はかだったのです。

この後、K児島でもう1件仕事をして、M崎に向かうことになるのですが、そこに更なる出来事がエヴァンジェリスト氏を待っていたのです。その顛末は、いつか機会があれば「M崎編」で。

でも、何がエヴァンジェリスト氏の身に起きたのか、想像できる方はメールか電話か、口頭でお知らせ下さい。

2010年11月23日火曜日

思い出のK児島(その6)

夕食を済ませ、出張時いつもそうするようにコンビニに行ったところ、西瓜があったのです。その時まで知りませんでしたが(知る必要もありませんでしたが)シショー・エヴァンジェリストは大の西瓜好きだったのです

まさかあるとは思わないコンビニに、なんと、大好きな西瓜があったのです。

「エヴァちゃん、西瓜、西瓜だよ。コンビニに西瓜だよ!」

シショー・エヴァンジェリストは明らかに興奮しています。確かに普通、コンビニに西瓜はありません。珍しいのは確かです。

「買おうかなあ
「買えばいいんじゃないですか」
「んんん……..
……..(どうでもいいから、早くして下さい)
「んんん……..

エヴァンジェリスト氏はレジに向かいました。背後で、シショー・エヴァンジェリストの声が聞こえました。

2010年11月20日土曜日

思い出のK児島(その5)

もっと先まで行くと何か観光スポットでもあるのかと思い、暑いけれどまだ歩いていくのだろう、と勝手に決めていたエヴァンジェリスト氏は、見事に肩透かしです。

早くホテルに入りたく、もうそれ以上、熱暑の火山灰の道は歩きたくはありませんでしたが、下着だけでなくYシャツも汗に濡らし、靴は火山灰で真っ白にし、10分ほども歩いてきたのに、ただ歩いただけで、思い出のユースホステルを見て(エヴァンジェリスト氏はちゃんとは見ていません。見る必要もありませんでした)、また15分の道を項垂れて還るだけなんて、そんな目に遭おうとは思っていませんでした。

……………(それはないだろう。ただ、思い出の、しかもシショーの、シショーだけの思い出のユースホステルを見に来ただけかよ。フォークダンスを踊った可愛い女子大生の手の感触を思い出しに来ただけかよ)」

しかし、そうだったのです。ただ、思い出の(シショーの思い出の)ユースホステルを見に来ただけ、だったのです。

シショー・エヴァンジェリストにとっては、最高の出張になりました(私にとっては……….)。しかも、その夜、シショー・エヴァンジェリストには、更に嬉しいことがあったのです

2010年11月19日金曜日

思い出のK児島(その4)



しばらく感慨に耽ったままシショー・エヴァンジェリストは動きません。エヴァンジェリスト氏はといえば、暑さに口を開け、重い鞄を持ったまま俯き、灰まみれの靴をただ見ているしかありませんでした。

それはほんの2、3分だったかもしれませんが、エヴァンジェリスト氏には10分にも、20分にも感じられました。

「じゃ、行こうか」

と、ようやく動きだしたシショー・エヴァンジェリストは、そこからまだ先に進むのかと思ったら、回れ右か左かをして、来た道を戻り始めました

……………(え?これだけ?)」

2010年11月18日木曜日

思い出のK児島(その3)


「学生時代、あのユース・ホステルに泊ったんだよ………..
「へえええ(まあ、ご自由に)」
「懐かしいなあ」
「ええ(暑い)」
「あそこで、可愛い女子大生に会ってねえ……
「ほー(今は、おばさんになってますよ)」
「いや、ホント綺麗なんだよ」
「そうなんですか(嘘だ、とは云ってませんよ)」
「それでさ、夜にね、フォークダンスを踊ったんだよ、一緒にね」
「いいですね(時代ですね、フォークダンスなんて)」
……….踊ったんだよ、フォークダンス……….
「はあ(要するに、それだけなんですね。ナニもなかったんですね)」

2010年11月17日水曜日

思い出のK児島(その2)


フェリーで20分余りで着いたS島はまさに、火山島です。地面には一面火山灰です。その火山灰で埋もれた道をシショー・エヴァンジェリストはさっさと歩いていきます。テニスで普段、体を鍛えているシショー・エヴァンジェリストについていくのは、歳では若いものの、20年近くスポーツらしいスポーツもしたことのないエヴァンジェリスト氏には、大変でした。

しかも、8月、炎天下です。両脇に火山岩がころがった火山灰の道には、日影は全くありません。しかも、スーツを着て、出張の道具やお客様用の資料を詰込んだ鞄を持ったままの歩行です。暑くて、疲れて、顔を下に向けたまま、「ヒイコラバヒン、ヒイコラバヒン」と必死の思いで歩いていきました。靴は、火山灰で真っ白です。

ホントは今頃、冷房のよく効いたホテルの部屋でドラマの再放送(「はぐれ刑事純情派」か何か)でも見ていたはずなのに、なんでこんな目に合わなくてはいけないのか、と悲しくなりました。

と、シショー・エヴァンジェリストが立ち止まりました。少し先の小高いところに、何か建物があります。

「あれはねえ、ユース・ホステルなんだよ」感慨深気にシショー・エヴァンジェリストは、語り始めました。

2010年11月14日日曜日

思い出のK児島(その1)

エヴァンジェリスト氏は久しぶりにK児島に出張しました。K児島は、シショー・エヴァンジェリストとの思い出の地です

10年余り前の8月に、シショー・エヴァンジェリストと、出張した時のことです。

お客様との打合せが早く終り、「さあ、ホテルでのんびりテレビでも見ようか」と思っていたところ、S島に行ったことはあるの?」とシショー・エヴァンジェリストに訊かれましたS島はご存知、今も活動が活発な火山の島です。

その時、「行ったことはあります」と答えておけばよかったのかもしれませんが、根が正直者の悲しさか、「いえ、ありません」と云ってしまいましたS島は雄大で、エヴァンジェリスト氏も、その姿をK児島から見るのは嫌いではありませんでした。しかし、その島自体に行ってみたいとは思っていませんでした。

「じゃ、チョット、行ってみようか」と、フェリーに乗り場に連れていかれ、炎天下のS島の地を踏むこととなってしまったのです。

2010年11月4日木曜日

「コタツ」か「あんか」か

ところで、コタツ出しましたよ」さん、出された「コタツ」って「コタツ」ですか?


は?


「あんか」ではないですよね?


は?


「コタツ」は「コタツ」、「あんか」は「あんか」でしょうに、とお思いかもしれませんが、「あんか」も「コタツ」なんですよ


ウチ(私の実家)では、「あんか」は「コタツ」でした。寝る時に布団に入れ、足を暖めるものは、通常、「あんか」というと思いますが、ウチでは「コタツ」と呼んでいました。「コタツ」は勿論、「コタツ」でした。


つまり、ウチには「あんか」という言葉はなく、スベテが「コタツ」でした。はっきり覚えてはいませんが、「あんか」という言葉を知ったのは、成人してから(上京してから)であったかもしれません。


「あんか」を「コタツ」と呼ぶのは、ウチだけのことかと思っていましたが、ちょっと調べてみると、どうやら地域や世代によっては、「あんか」を「コタツ」と呼ぶようです。


皆さん、あなたのおウチでは如何ですか?「あんか」は「あんか」ですか?それとも「コタツ」ですか?

まだコタツを出していません。

コタツ出しましたよ」さんから、「さて.....あなたは何色派?(その6:最終回)」に対してコメントを頂きました。コタツ出しましたよ」さん、有り難う。アナタだけかもしれません。このBlogを楽しみにしてくれているのは。


それにしても驚きました、コタツ出しましたよ」さん。名古屋が本店の喫茶店コメダ珈琲」には、長靴型のクリームソーダがあるんですね。マダム・ゼッタイオンカンによると、長靴型の器って、バブルの頃に流行っていたそうなので、バブルの頃から出すようになったのかもしれませんね。


クリームソーダといっても、ソーダにのせられた「クリーム」は、アイス「クリーム」ではなく、ありゃ、ソフト「クリーム」ですね。でも、美味しそうです。ネットで検索すると、簡単に写真を見ることができます。


また、コメント、情報を下さいね。........それから、ラゾク・ダイスケの写真何とかお見せしますね。


ところで、私はまだコタツを出していません。