「ドドスコは、やはり男だった。男の中の男だ」
意味の分かるような、意味不明なようなエヴァンジェリスト氏の言葉だ。
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2012年4月27日、ついにその日が来た。マダム・ドドスコに会う日であった。
ドドスコ氏の同僚達により、その月に結婚式を挙げたドドスコ氏とその夫人であるマダム・ドドスコを祝う会が新橋のカフェコットンクラブで開かれたのである。
そのお祝の会でついに、エヴァンジェリスト氏はマダム・ドドスコにお会いしたのである。
悔しいが美人であった。歯ぎしりする程の美しさであった。
マダム・ドドスコがいくら美人でも、何も悔しがる必要はないと思われるであろうが、それには訳があったのだ。
いや、エヴァンジェリスト氏はドドスコ氏のことを「男」として好き、ということではない。いや、「女」としてとして好き、ということではない、と云うべきであろうか。
いやいや、ドドスコ氏は男なのだから「女」としてと云うのは、やはり変だ……..
とにかく、エヴァンジェリスト氏には「その筋の趣味」はない。「ドドスコスコスコ」と振付け踊りをする整体師や、「どんだけー」という美容師、ヒトサシユビKでもあるまいし人差し指を振りながら「云うよねえ-」と云うタレント達のような趣味・嗜好の持ち主ではない。
「これだけの美しさなら、致し方あるまい」
マダム・ドドスコにお会いしたエヴァンジェリスト氏は、そう自身を納得させたのだ。
「あれだけ美しい彼女がいたのだから、ウチのマドモワゼル・エヴァンジェリストに目もむけようとしなかったのだなあ」
ドドスコ氏と一緒に仕事をし始めた頃、「童顔SE」とも呼ばれる小池徹平ぶりの美貌もさることながら(エヴァンジェリスト氏はビジュアル系好きだ。自身がそうだから)、その仕事振りに惚れ込んだのだ(参照:スクープ!ドドスコ氏、婚約.....お相手は女性!)。
時には辛口ともとられるかもしれないコメントを吐くのも真実を見抜く力があるからこそであったし、「テンサイ」であるが故に一緒に仕事をすることは至難の技とも云われるイッキュー先生(旧名:シャラク先生)とも組んで出張のできる男であったのだ。
そんなドドスコ氏を娘(マドモワゼル・エヴァンジェリスト)婿にと考えたのだ。
「すみません。ボク、彼女いるんです」
「ウチのマドモワゼルは美人だぞ」
「もう何年も付合っているんです」
「結婚の約束をした訳でもあるまい」
「いえ、そのつもりです」
「この罰当たりめが」と他の男であったら思ったのであろうが、ドドスコ氏が醸し出す、彼女一筋の真摯な雰囲気に、エヴァンジェリスト氏は雑言を浴びせることはできなかったのであった。
とはいえ、「ウチのマドモワゼルの方がずっと美人なのに勿体ないことよ」とは心の中で思っていたのだ。
…………しかし、マダム・ドドスコは想像をはるかに超えた美人であったのだ。
「ウチのマドモワゼルに勝ることはなくとも、決して引けをとらない美しさだ」
悔しいが、そう認めざるを得なかったのだ。
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数年前に「ウチのマドモワゼルの婿に」と思った後、なかなか結婚しないドドスコ氏について、
「ひょっとしてカノジョと別れたのか。チャンスはまだあるかも」
と思っていたのだが、この度、ドドスコ氏は足掛け10年の愛を実らせたのだ。
エヴァンジェリスト氏は、云う。
「ドドスコは、やはり男だった。男の中の男だ。おめでとう、ドドスコ、そして、マダム・ドドスコ!!!」