2012年4月22日日曜日

同級生、生涯を終える【天満屋八丁堀店】



今日は(4月22日は)せっかくの誕生日なのに、エヴァンジェリスト氏はいつになくションボリしている。

「同級生がこの3月に生涯を終えていた…..」

「どうしたのですか?」という私の問いに答えたのか、或は、独り言を云ったのかは定かではなかったが、悲しげに呟いた。

同級生のスティーブ(スティーブ・ジョブズ)が亡くなったのは昨年(2011年)のことだから(参照:スティーブに先見性はなかった.....)他の誰のかことであろうかと思っていたら、エヴァンジェリスト氏の口からとんでもない言葉が飛び出した。

「天満屋だ」
「はあっ?」
「天満屋八丁堀店だ。天満屋八丁堀店が3月4日に閉店していた」
「同級生ではないんですか?」
「天満屋八丁堀店は『同級生』だった。同い年だったんだ」

広島中央百貨店が岡山の百貨店である天満屋に買収され、広島天満屋(八丁堀店)になった年、エヴァンジェリスト氏もこの世に生を受けたのだと云う。

エヴァンジェリスト氏が子どもの頃、マチに行くというと、八丁堀に行くことであった。広島市でのことである。

当時(昭和30年代、40年代)は、紙屋町にはまだ「そごう」はなく、そこはまだ「マチ」(買い物に行くところ、遊びに行くところ)ではなかった。

八丁堀には、福屋と天満屋があり、そこから金座街を通して本通りもあり、八丁堀は、マチ、広島の中心であり、天満屋はそのマチのまた中心の一つであったのだ。

翠町から赤バス(広島バス)の旭町線に乗って、八丁堀で降り、福屋、天満屋に行くのが子どものエヴァンジェリスト氏の楽しみであった。

天満屋が実は岡山の百貨店であることを知ったのは、もっと後年のことである。福屋と天満屋とは、広島を代表する2大百貨店(デパート)なのであった。

当時は、「そごう」だけでなく三越もまだなかった。

マチからの帰りは、天満屋前の旭町線のバス停から、また赤バスに乗るのであった。

エヴァンジェリスト氏は、18歳で広島を出て東京に行くまで、福屋と天満屋と一緒に育ってきたのだ。

しかも、天満屋は同い年であったのだ。その同級生であった天満屋が、2012年3月4日、生涯を終えていた(閉店していた)のである。エヴァンジェリスト氏がしんみりとするのも分らなくはない

自身の生涯(少なくとも会社員としての生涯)の終焉が近いことも、今日(4月22日)が誕生日であるだけに尚更、感じざるを得ないのであろう。

しかし、エヴァンジェリスト氏にはまだ老け込んでもらっては困る。このBlogに書くことがなくなってしまうではないか。

そこで、エヴァンジェリスト氏のあるべき今後の人生(第2の人生)について、緊急アンケートをとりたい

皆さんは、今後、エヴァンジェリスト氏は以下のどの道を歩むべきだと思いますか?


(1)鮃(ひらめ)の養殖をする
(2)IGF(Inoki Genome Federation:猪木の現在のプロレス団体)入りし、猪木の右腕となる
(3)AppleのCEOになる
(4)幸子プロモーションの社長になる
(5)総理大臣になる
(6)石原プロ入りし、プロデューサー兼俳優になる


右欄に2012年5月末まで設置するアンケートに投票頂きたい。


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