2014年10月12日日曜日

ほんの9年前のこと......戦争未だ終らず


その美少女は、生れた時代が違っていれば、もっと幸せな、いやもっと裕福な生活ができていたであろう。

彼女は、柴田真理さんである。

中国に生れだ。父親は日本人で東大卒の商社マン、美人の母親はドイツ人夫婦の養女である中国人だ。つまり、彼女は、日中のハーフである。

戦争がなければ、きっと裕福な家庭の娘としての人生を過ごしたことであったろう。


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エヴァンジェリスト氏は、少し前に録画していたNHKヒューマンドキュメンタリー「二人の旅路~日中 激動を生きた京劇夫婦~」という番組を見た。



戦争が彼女(柴田真理さん)の人生を大きく変えた。

父親は日本に強制送還された。母親は、夫を追って、娘と日本に渡ろうとしたが許可されなかった。

母親は娘と10年間、夫からの連絡を待ったが、連絡がとれることはなく、生活の為に中国で、中国人と再婚した。再婚生活は貧しいものであった。

娘が日本名(柴田真理)では迫害されるので、母親は娘の名前を「柴正莉(サイ・シンリ)と変えた。

娘は、貧しい生活を助ける為、14歳で京劇に入った。



美人な彼女は、京劇でも目立った存在となり、別の京劇団の所属のスターであった梁嘉禾(りょう・かほ)さんと出会い、結婚した。

直ぐには一緒に暮らすことはできなかったが、やがて二人一緒の劇団で舞台に立ち、夫の梁嘉禾さんは、1989年、京劇俳優の最高峰である「国家一級俳優」という資格を得た。大スターである


しかし、梁嘉禾さんはその大スターの地位を棄てた。

妻の真理さんが、実は日本人であることがばれ(実際には、日中のハーフであるが)、劇団仲間等から迫害を受けるようになったのだ。

愛する妻の為、梁嘉禾さんは大スターの地位を棄て、所謂、「残留孤児」にあたる妻と一緒に日本に(福岡に)渡った。1992年のことである。

日本では、二人をまともに雇ってくれるところがなく、バイトやパートをし、一時は中国料理店を開いたが、真理さんが体調を崩し、1年で閉店となった。

2009年から二人は、残留孤児支援給付費で暮らしている。



では、二人は不幸であるのか?

真理さんは、夫に京劇の大スターの地位を棄てさせたことを気にしている。しかし、夫はその地位を棄てたことを、妻と日本に渡ったことを悔やんではいない。

日本での今が、一番幸せ、と梁嘉禾さんは云うのだ。何という素晴らしい男であろうか。エヴァンジェリスト氏は、兎角、不満を云う自分が恥ずかしい。



ところで、真理さんの父親は、どうしていたのか?

父親は日本に帰った後、ウルグアイで事業を営むようになっていた。真理さんは、日本に渡る前にそのことを知り、父親とこっそり文通をしていた。こっそりしないと、日本のスパイと思われるのだ。

しかし、結局、真理さんが日本に渡る前に、父親は死亡した。



番組は、その後(柴田真理さん夫婦が日本に渡った後)、一時、中国に戻る真理さんと梁嘉禾さんを追った。

梁嘉禾さんが、20年振りに中国で京劇の舞台に立つからだ。勿論、主役である。

梁嘉禾さんの舞台は、番組では少し紹介されただけではあったが、それでも流石としかいいようがなかった。

まもなく石原プロ入りし、還暦過ぎながら俳優デビューし、ついでに「船橋駐車」という歌舞伎役者にもなろうかというエヴァンジェリスト氏が云うのだから、確かであろう。(参照:船橋停車【音羽屋】菊五郎は多湖輝か?【5次元空間を飛ぶ】「あっちゃんも一緒だったんですか?」(その3-最終回)




日本での生活振りを見た時には、日本語も十分には出来ず、辛い日々を送っている、ただの年寄りとしか見えなかったが、京劇に「戻った」梁嘉禾さんの姿は、表情は全く別のものであった。

こんな名役者が、故国の舞台を棄て、今、日本で貧しい生活を送っているのかと思うと、何とも云えなくなる。

京劇は、歌舞伎みたいなものである。言わば歌舞伎の花形役者が全盛期に役者を止め、愛する妻の為に別の国の貧しい生活を選んだようなものなのだ。



しかし、梁嘉禾さんは日本にいる今が幸せなのだ。

そんな夫に愛されている真理さんも幸せである。



しかし、である。

しかし、これで良かったのか?

戦争がなければ、真理さんは、上記のような貧しく苦しい生活をすることはなかったのである。

貧しい生活から京劇役者になり、こんな素晴らしい人間である梁嘉禾さんと出会い、結婚したのだから、結果としては「良かった」のかもしれない。



しかし、である。

しかし、ただ良かったとだけ云っていいのか?

人生はどうなるか分らない。東大卒で優秀な父親と美人の母親と一緒に暮らせていたとしても、何がしかの不幸が待っていたかもしれない。

一方、現実は、貧しく苦しい生活から、他にない良き連合いと出会えたのだ。



しかし、である。

しかし、真理さんの生活は、そして、梁嘉禾さんの今の生活は、本当にただ「幸せ」なものであるのか。

エヴァンジェリスト氏は、お二人の知合いでもなく、普段の生活振りを見ている訳ではないが、決して生活は楽ではないはずだ。

お二人とも日本語が達者である訳ではなく、残留孤児支援給付費だけでは生活は苦しいはずだ。再雇用者で「月8万円の手取り」であるエヴァンジェリスト氏には分るのだ。(参照:マルチ』VS『再雇用者』(その6=最終回)



戦争がなければ.....

戦争がなければ、真理さんの人生はどんなものとなっていたのか?そして、梁嘉禾さんの人生はどんなものとなっていたのか?

戦争とは何か?

戦争は国民を守るものでは決してない

戦争は国民の生活を、人生を、運命を変えてしまうものなのだ。国民を守る戦争、なんて詭弁に過ぎない。

真理さんの例を見ても分るように、戦争があったとしても、「幸せ」な人生となることもあろう。



しかし、である。

しかし、それは結果論なのだ。

戦争がなければ、人は自分の人生を自身で決めることができる。

しかし、戦争は、人が自分の人生を自身で決める権利を奪うのだ

それが戦争なのである。

戦争が、真理さんの人生を変えた。人生を変えられた真理さんは今、日本で、福岡で、色々な過去を背負い、色々の思いを持ちながら、生活されていると思う。

戦争は未だ終っていない。戦後70年近く経つ2014年の今も戦争は続いているのだ。



エヴァンジェリスト氏は、1954年の生れである。戦後世代だ。

しかし、エヴァンジェリスト氏が生まれるほんの9年前まで、まだ戦争は続いていたのだ。何の怖れもなく生活している同じところに、空襲に逃げ惑う人たちがいたのだ。



考えてみるがいい。

今から9年前、貴方は何をしていたのか。9年前は、昨日と大して変らない過去である。歳をとればとる程、9年前と昨日との差は小さい。

エヴァンジェリスト氏が、幸せな幼児期、少年期を過ごした昭和30年代も、実は戦争とそうかけ離れた時代ではなかったのだ。

そして、2014年の今も、戦争とそうかけ離れた時代ではない、というよりも、戦争は未だ続いているのだ

「終戦」で戦争が終った訳でも、終る訳でもない。

真理さんと梁嘉禾さんの人生がそのことを教える。

他にも巷には、戦争に翻弄された人たちは一杯いるはずだ。今もいるはずだ。

直接、戦火を受けずとも、親が戦争に翻弄された結果、その子の人生が変えられてしまった例は一杯あるはずだ。

それが戦争だ。

戦争は未だ終っていない。そして、戦争が終わらないまま、今また戦争は始るのだ。










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