「アータ、どうしたの?朝っぱらから鼻ウタ唄うなんて」
マダム・トンミーがビエール・トンミー氏に訊ねた。
2014年10月13日、ビエール・トンミー氏は、台風が近づき曇天となった空を窓から見上げ、「オッカーノウーエ…」と唄っていたのだ。
若い頃、夫がアグネス・チャンに入れあげていたことは聞いたことがある。しかし、マダム・トンミーは、嫉妬はしなかった。相手は芸能人であるし(要は、現実的な存在ではないし)、自分の方が若くて美しいという自信があったのだ。
実際、結婚してからの夫は、ヘンタイ混じりのスケベエではあったが、妻を裏切ることはしなかった(と、マダムは信じている)。アグネス・チャンの曲を聴くこともしなかった。勿論、アグネス・チャンの曲を唄うこともなかった。
しかし、今朝、夫は、
「オッカーノウーエ…」
と唄っていたのだ。
申すまでもない。アグネス・チャンの「ひなげしの花」である。
一体、夫に何が起きたのか?
嫉妬ではない。夫より1歳年下のアグネス・チャンももう、来年で還暦である。そんなおばあさんは、自分の敵ではない。自分はまだギリギリではあるが40歳台なのだ。
「アータ、どうしたの?朝っぱらか鼻ウタ唄うなんて」
「いや、何でもないさ」
「アグネス・チャンでしょ?」
「ああ?ああ、そうか、そうだったね」
自分が何を唄っていたのかも分っていなかったようだ。
「アグネス・チャンも昔は可愛かったのにね。いや、君の方がもっと可愛かったよ。今もね」
それはそうだ。それは自分でも分っている。
「彼女もすっかり文化人になってしまっちゃったね。何だか、物議を醸すようなこともよく云ってるしね」
夫は今はアグネス・チャンに批判的だ。安心した、いや、元々、心配なんてしていない。夫は今でも自分にゾッコンなのだ。
「……ウーラナウノ、アーノヒトノ、コーコロ」
ビエール・トンミー氏は、続けて「ひなげしの花」を鼻唄ったが、もうマダムが気にすることはなかった。
……しかし、マダム・トンミーは、分っていなかったのだ。
「クールコナイ、カーエラナイ、カーエルー」
と唄うビエール・トンミー氏の心には、ある別の女性があったのだ。アグネス・チャンでもない、マダム・トンミーでもない、別の女性だ。
曇天だが、今日(2014年10月13日)、その女性の存在が、ビエール・トンミー氏の心を晴れさせていたのだ。
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