2022年3月31日木曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その184]

 


ええ?誰?『ディック・ベイヤー』?」


と、『少年』は、父親の口から出てきた名前を繰り返した。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「ああ、『リチャード・ベイヤー』は、『デストロイヤー』の本名というか、正体だよ」


と、『少年』の父親は、また『少年』が聞いたことのない人の名前を口にした。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させ、一対(つまり2匹)の『狛犬』が、『阿吽の呼吸』の『阿形』の像と『吽形』の像であることまで話を進め、それが『仁王像』へと展開させた。しかし、ようやく『狛犬』の『狛』(コマ)の由来から、『天満屋』の発祥である『小間物屋』という店の呼び方の由来、ひいては、歴史ある『天満屋』という存在へと、『少年』が、話を回収したところであったのだが、父親は、今度は、『天満屋』と『イネ』との関係に触れ、そこから『イネ』を養育し、医学を教えた『二宮敬作』の地元、『宇和島藩』、その藩主『伊達家』へと話の展開させていたものの、『伊達政宗』の『伊達家』と『宇和島藩』の『伊達家』との関係等に話は派生し、続けて、『宇和島藩』の7代藩主『伊達宗城』と『シーボルト』の弟子『高野長英』との関係に触れ始めた。ところが、『高野長英』の脱獄に関連して、今、話は『モンテ・クリスト伯』、そしてその翻案者『黒岩涙香』へと派生し、『黒岩涙香』の翻案作品が『重訳』的なものであることに触れていたが、ようやく『高野長英』の脱獄方法がテーマに戻ってきたのも束の間、脱獄方法に関連して、マッチ、『化学』という言葉、『川本幸民』、中国の雑誌『六合叢談』や、宣教師『ハドソン・テーラー』へと、話は大きく逸れていったところで、『少年』は、『高野長英』の脱獄にまで話を戻したのであった。しかし、話はまたもや、『御様』(おためし)という刀の試し斬りをした山田浅右衛門』に、そして、その人物主人公とした『首斬り浅右衛門』という小説を書いた柴田錬三郎、更に、柴田錬三郎の代表作『眠狂四郎』を演じる『市川雷蔵』へと拡がっていこうとしていたが、『少年』が、なんとか話を『高野長英』の脱獄方法に戻しものの、話は何故か、プロレスラー『デストロイヤー』についてとなっていた。


「えっ?『デストロイヤー』は、『ディック・ベイヤー』なの?『リチャード・ベイヤー』なの?」

『デストロイヤー』は、『ディック・ベイヤー』であり、『リチャード・ベイヤー』だよ。『ディック』は、『リチャード』の愛称だよ」


と、『少年』の父親は、当時は(1960年代である)、プロレスファンでもまだ知らなかったであろう情報を、ましてや自身は特別プロレスファンでないにも拘らず、どこで仕入れたのか、『少年』に教えた。


「ああ、『トーマス』が『トム』というのとおんなじだね。でも、『トーマス』が『トム』になるのは、『トーマス』が短くなった感じで分るけど、『リチャード』が『ディック』になるのは、なんか変だなあ」

「ああ、確かに、そういう感じもするなあ。『リチャード』って、英語ではこう書くんだけど…それが短くなって、最初は、こうとか、こんな風になったんだとも云われるんだけど」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『Richard』、『Rich』、『Rick』と書いた。


「短くなった『リック』の音が、段々、『ディック』になったんじゃないかということらしんだけど」

「ふううん、確かに、音の感じは似ているよね」

「ただ、オランダ語から来ている、とも云われているようなんだ」

「え?オランダ語?『リチャード』は、オランダでは『ディック』なの?」

「ああ、『リチャード』は、オランダでは『ディーデリック』であり、その短縮形が『ディック』だとも云われているようなんだ」

「じゃあ、『デストロイヤー』は、『ディック・ベイヤー』であり、『リチャード・ベイヤー』でもあるとしても、どうして『インテリ』なの?」

「大学院の修士課程を出ているんだよ。『シラキュース大学』の教育学の修士なんだよ、『デストロイヤー』は

『シラキュース大学』って、よく知らないけど、修士なんだから、『デストロイヤー』は、うん、『インテリ』なんだね。プロレスの時は、なんか、凄い悪者だけど」


その時(1967年である)、『少年』も『少年』の父親も、後に米国大統領となる『ジョー・バイデン』が、ちょうどその頃、『シラキュース大学』のロー・スクールに在籍し、1968年には、そこで博士号を取得することになることを、勿論、知ってはいなかった。


「頭がいいから、悪者を演じることもできるんだと思う。それに、覆面を被っていると、別人格を装うのもやり易いんじゃないかな」

「でも、『高野長英』は、覆面を被って別人になりすましたんじゃないんだよね?お面をつけて生活したんじゃないだろうし」




と、『少年』が、話を『デストロイヤー』から『高野長英』に戻した時、


「ああ、やっぱり、耳は動かん…」


と、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、それまで『船を漕いでいた』老婆が、重力に逆らって、それまで閉じていた瞼をあげ、ようやく霞みが取れてきた瞼のその先に、バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声で呟き続ける青年を、フランスの美男俳優『ジェラール・フィリップ』のはまり役である映画『花咲ける騎士道』の『ファンファン・ラ・チューリップ』と見ていたが、その『ファンファン』の名前をニックネームに持つ俳優『岡田真澄』の兄である『E.H.エリック』が、当時(1967年頃である)、自分の耳を動かすCMに疑問を持ちながらも、自らの耳を動かそうとしたのであった。



(続く)




2022年3月30日水曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その183]

 


「いや、大丈夫じゃないさ」


と、『少年』の父親は、自らの顔の前で手を左右に振った。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「だから、江戸に戻った『高野長英』はな、偽名を使ったのは勿論だが、とんでもないこともしたんだ」


と、『少年』の父親は、またまた勿体を付け始めた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させ、一対(つまり2匹)の『狛犬』が、『阿吽の呼吸』の『阿形』の像と『吽形』の像であることまで話を進め、それが『仁王像』へと展開させた。しかし、ようやく『狛犬』の『狛』(コマ)の由来から、『天満屋』の発祥である『小間物屋』という店の呼び方の由来、ひいては、歴史ある『天満屋』という存在へと、『少年』が、話を回収したところであったのだが、父親は、今度は、『天満屋』と『イネ』との関係に触れ、そこから『イネ』を養育し、医学を教えた『二宮敬作』の地元、『宇和島藩』、その藩主『伊達家』へと話の展開させていたものの、『伊達政宗』の『伊達家』と『宇和島藩』の『伊達家』との関係等に話は派生し、続けて、『宇和島藩』の7代藩主『伊達宗城』と『シーボルト』の弟子『高野長英』との関係に触れ始めた。ところが、『高野長英』の脱獄に関連して、今、話は『モンテ・クリスト伯』、そしてその翻案者『黒岩涙香』へと派生し、『黒岩涙香』の翻案作品が『重訳』的なものであることに触れていたが、ようやく『高野長英』の脱獄方法がテーマに戻ってきたのも束の間、脱獄方法に関連して、マッチ、『化学』という言葉、『川本幸民』、中国の雑誌『六合叢談』や、宣教師『ハドソン・テーラー』へと、話は大きく逸れていったところで、『少年』は、『高野長英』の脱獄にまで話を戻したのであった。しかし、話はまたもや、『御様』(おためし)という刀の試し斬りをした山田浅右衛門』に、そして、その人物を主人公とした『首斬り浅右衛門』という小説を書いた柴田錬三郎、更に、柴田錬三郎の代表作『眠狂四郎』を演じる『市川雷蔵』へと拡がっていこうとしていたが、『少年』が、なんとか話を『高野長英』の脱獄方法に戻し、『少年』の父親も『高野長英』が匿われた『伊達宗城』の宇和島藩のことを語り始めたものの、宇和島藩から江戸に戻った『高野長英』の所業に触れようとしていた。


「変装でもしたの?...いや、それって、『とんでもないこと』ではないね」

「まあ、変装は、『とんでもないこと』ではないな。でも、いい線いっているぞ」

「じゃあ、覆面でも被ったの?『デストロイヤー』みたいに」

「おお、『The Intelligent Sensational』だな」

「え?ええ?『ジンテリ』?」

「いや、『ジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤー』だよ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『The Intelligent Sensational Destroyerと書いた。


「何なの、これは?」

「『デストロイヤー』の正式な名前だよ」

「なが~い名前だねえ」

「『Intelligent Sensational』というのは、名前の一部ではあるが、『デストロイヤー』を形容するような言葉だな」

「どういう意味なの?」

「先ず、Intelligent』は、『知的な』、とか、『知性がある』、という意味だな」

「ああ、インテリっていうことだね」




「そうだ。で、『Sensational』は、これは、まあ、難しい言葉ではないんだが、日本語で一言で説明するのは難しいなあ。まあ、『世間をびっくりさせるような』、とか、『みんなを興奮させ、大騒ぎさせるような』といった意味だなあ。で、『Destroyer』(デストロイヤー)は、そう、『破壊者』だ」

「へええ、なんだかとっても大げさな名前だねえ」

「でも、『ディック・ベイヤー』は、本当に『インテリ』なんだよ」


と、『少年』の父親が、また『少年』を戸惑わせるような言葉を口にした時、


「ああよおに、耳が動く訳がないじゃろうに、『E.H.エリック』わあ…」


と、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、それまで『船を漕いでいた』老婆が、重力に逆らって、それまで閉じていた瞼をあげ、ようやく霞みが取れてきた瞼のその先に、バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声で呟き続ける青年を、フランスの美男俳優『ジェラール・フィリップ』のはまり役である映画『花咲ける騎士道』の『ファンファン・ラ・チューリップ』と見ていたが、その『ファンファン』の名前をニックネームに持つ俳優『岡田真澄』の兄である『E.H.エリック』が、当時(1967年頃である)、自分の耳を動かすCMに疑問があるようであった。



(続く)




2022年3月29日火曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その182]

 


「『高野長英』は、『切放』(きりはなし)を利用したんだ」


と、『少年』の父親が、また新たな言葉を口にした。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「『きりはなし』?ひょっとして、火事で牢屋から出してもらえたの?」


と、『少年』は、またもや勘の良さを見せた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させ、一対(つまり2匹)の『狛犬』が、『阿吽の呼吸』の『阿形』の像と『吽形』の像であることまで話を進め、それが『仁王像』へと展開させた。しかし、ようやく『狛犬』の『狛』(コマ)の由来から、『天満屋』の発祥である『小間物屋』という店の呼び方の由来、ひいては、歴史ある『天満屋』という存在へと、『少年』が、話を回収したところであったのだが、父親は、今度は、『天満屋』と『イネ』との関係に触れ、そこから『イネ』を養育し、医学を教えた『二宮敬作』の地元、『宇和島藩』、その藩主『伊達家』へと話の展開させていたものの、『伊達政宗』の『伊達家』と『宇和島藩』の『伊達家』との関係等に話は派生し、続けて、『宇和島藩』の7代藩主『伊達宗城』と『シーボルト』の弟子『高野長英』との関係に触れ始めた。ところが、『高野長英』の脱獄に関連して、今、話は『モンテ・クリスト伯』、そしてその翻案者『黒岩涙香』へと派生し、『黒岩涙香』の翻案作品が『重訳』的なものであることに触れていたが、ようやく『高野長英』の脱獄方法がテーマに戻ってきたのも束の間、脱獄方法に関連して、マッチ、『化学』という言葉、『川本幸民』、中国の雑誌『六合叢談』や、宣教師『ハドソン・テーラー』へと、話は大きく逸れていったところで、『少年』は、『高野長英』の脱獄にまで話を戻したのであった。しかし、話はまたもや、『御様』(おためし)という刀の試し斬りをした山田浅右衛門』に、そして、その人物を主人公とした『首斬り浅右衛門』という小説を書いた柴田錬三郎、更に、柴田錬三郎の代表作『眠狂四郎』を演じる『市川雷蔵』へと拡がっていこうとしていたが、『少年』は、なんとか話を『高野長英』の脱獄方法に戻し、父親から『切放』について説明を受けるところであった。


「おお、よく分ったな。その通りだ。『栄蔵』が火をつけたのは、『御様物置』だが、火の手が牢屋にも迫ってくるだろう。こういう場合、『切放』という制度があって、囚人を牢屋から一時的に釈放することとしたんだ」

「へええ。でも、釈放して大丈夫なの?囚人は戻ってこないんじゃないの?」

「『切放』で、3日以内に戻って来れば、『罪一等を減じる』といって、つまり減刑されるし、戻ってこなければ死罪、つまり死刑になるんだ」

「ふううん、難しいところだね。戻った方が得な気もするけど、でも、『高野長英』は戻ってこなかったんだね」

「そうだ。弟子たちのところなんかに匿ってもらったんだが、『伊達宗城』(だて・むねなり)が伝手を頼って、『高野長英』を探し出し、自分のところに来ないかと誘ったんだ」

「おお、『伊達宗城』だね、宇和島藩の!」


と、『少年』は、ようやくまた巡り会えた知人のように、『伊達宗城』の名前を叫んだ。


「でも、『伊達宗城』はどうして、『高野長英』を自分のところに誘ったの?」

「そりゃ、優秀な学者だったからだ。『兵書』(へいしょ)なんかの翻訳をしてもらいたかったようだ」

「『へいしょ』?」

「ああ、『兵書』はな」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『兵書と書いた。


「そうだなあ、『兵法書』といった方が分りやすいかな。まあ、戦争の仕方なんかを解説している本だな。『高野長英』は、宇和島で匿われたが、程なく幕府にバレて、9ヶ月いただけで宇和島を去ることになるんだが、その間に11冊も翻訳書を出したとも云われているんだ」




「『高野長英』って、本当に凄い人だったんだね」

「そうなんだよお!『高野長英』は、宇和島を去った後、なんと、江戸に戻るんだ」

「ええー!江戸に戻って大丈夫なの?」


と、『少年』が、『高野長英』が今そこにいるように心配し出した時、


「『E.H.エリック』は、最近、なんでああよおな変なことしよるんじゃろ…」


と、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、それまで『船を漕いでいた』老婆が、重力に逆らって、それまで閉じていた瞼をあげ、ようやく霞みが取れてきた瞼のその先に、バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声で呟き続ける青年を、フランスの美男俳優『ジェラール・フィリップ』のはまり役である映画『花咲ける騎士道』の『ファンファン・ラ・チューリップ』と見ていたが、その『ファンファン』の名前をニックネームに持つ俳優『岡田真澄』の兄である『E.H.エリック』について、何か疑問を持っているようであった。



(続く)




2022年3月28日月曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その181]

 


「『栄蔵』って、『高野長英』の仲間だったの?それで、『高野長英』の為に、『御様物置』を火事にしたの?


と、『少年』は、ようやく『高野長英』の脱獄の秘密に迫り始めることができた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「仲間ではなかったんだが…」


と、『少年』の父親は、『栄蔵』説明を始めた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させ、一対(つまり2匹)の『狛犬』が、『阿吽の呼吸』の『阿形』の像と『吽形』の像であることまで話を進め、それが『仁王像』へと展開させた。しかし、ようやく『狛犬』の『狛』(コマ)の由来から、『天満屋』の発祥である『小間物屋』という店の呼び方の由来、ひいては、歴史ある『天満屋』という存在へと、『少年』が、話を回収したところであったのだが、父親は、今度は、『天満屋』と『イネ』との関係に触れ、そこから『イネ』を養育し、医学を教えた『二宮敬作』の地元、『宇和島藩』、その藩主『伊達家』へと話の展開させていたものの、『伊達政宗』の『伊達家』と『宇和島藩』の『伊達家』との関係等に話は派生し、続けて、『宇和島藩』の7代藩主『伊達宗城』と『シーボルト』の弟子『高野長英』との関係に触れ始めた。ところが、『高野長英』の脱獄に関連して、今、話は『モンテ・クリスト伯』、そしてその翻案者『黒岩涙香』へと派生し、『黒岩涙香』の翻案作品が『重訳』的なものであることに触れていたが、ようやく『高野長英』の脱獄方法がテーマに戻ってきたのも束の間、脱獄方法に関連して、マッチ、『化学』という言葉、『川本幸民』、中国の雑誌『六合叢談』や、宣教師『ハドソン・テーラー』へと、話は大きく逸れていったところで、『少年』は、『高野長英』の脱獄にまで話を戻したのであった。しかし、話はまたもや、『御様』(おためし)という刀の試し斬りをした山田浅右衛門』に、そして、その人物を主人公とした『首斬り浅右衛門』という小説を書いた柴田錬三郎、更に、柴田錬三郎の代表作『眠狂四郎』を演じる『市川雷蔵』へと拡がっていこうとしていたが、『少年』は、なんとか話を『高野長英』の脱獄方法に戻したところであった。


「『栄蔵』は、『高野長英』が入れられていた小伝馬町の牢屋敷の『雑役』(ざつえき)をしていたんだ」

「『ざつえき』?」

「ああ、『雑役』は、色々な細々した仕事をする人のことなんだ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『雑役と書いた。


「で、『高野長英』は、その『栄蔵』に十両だか十一両だかのお金を渡して、『御様物置』に火をつけさせたんだそうだ」

「えええ?牢屋に入れられているのにお金を持ってたの?」

「ああ、当時は、牢屋にお金を隠し持って入るのは普通だったんだそうだ」

「そんなことして、見つからなかったの?」

「牢の番人も賄賂をもらえるからなあ」

「ああ、そういうことかあ」

「牢屋に持って入るお金のことを『ツル』と呼んだそうだ」

「どうして、『ツル』なの?」

「『命の蔓』という意味らしい。牢名主にお金を渡さないと、牢屋の中で酷い目にあって、場合によっては命もなくすからだ




「牢名主って、牢屋の中で威張っている人だね」

「そうだ。牢名主は、畳を10枚重ねて、その上に座っていたそうだ。『高野長英』は、牢屋の中で牢名主にもなったそうだから、逆にその収入もあったんだ」

「『地獄の沙汰も金次第』だね」

「おお、そんな言葉を知っていたか」

「でも、『御様物置』が火事になって、どうやって脱獄できるの、できたの?」

「そこだ、ポイントは」


と、『少年』の父親が、身を乗り出すようにした時、


「『岡田真澄』はまあ、お兄さんの『E.H.エリック』よりは美男子じゃけど…」


と、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、それまで『船を漕いでいた』老婆が、重力に逆らって、それまで閉じていた瞼をあげ、ようやく霞みが取れてきた瞼のその先に、バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声で呟き続ける青年を、フランスの美男俳優『ジェラール・フィリップ』のはまり役である映画『花咲ける騎士道』の『ファンファン・ラ・チューリップ』と見ていたが、その『ファンファン』の名前をニックネームに持つ俳優『岡田真澄』には、不満ではあったが、美男子とは認めていたようであった。



(続く)




2022年3月27日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その180]

 


ああ、『柴田錬三郎』って、『眠狂四郎』だよね?


と、『少年』は、読んだことはないげ聞いたことはある著名な小説家の名前を挙げた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「そうだ。『眠狂四郎』といえば、『市川雷蔵』だ」


と、『少年』の父親は、『少年』の言葉を受けて、当時の(1960年代である)人気俳優の名前を出してきた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させ、一対(つまり2匹)の『狛犬』が、『阿吽の呼吸』の『阿形』の像と『吽形』の像であることまで話を進め、それが『仁王像』へと展開させた。しかし、ようやく『狛犬』の『狛』(コマ)の由来から、『天満屋』の発祥である『小間物屋』という店の呼び方の由来、ひいては、歴史ある『天満屋』という存在へと、『少年』が、話を回収したところであったのだが、父親は、今度は、『天満屋』と『イネ』との関係に触れ、そこから『イネ』を養育し、医学を教えた『二宮敬作』の地元、『宇和島藩』、その藩主『伊達家』へと話の展開させていたものの、『伊達政宗』の『伊達家』と『宇和島藩』の『伊達家』との関係等に話は派生し、続けて、『宇和島藩』の7代藩主『伊達宗城』と『シーボルト』の弟子『高野長英』との関係に触れ始めた。ところが、『高野長英』の脱獄に関連して、今、話は『モンテ・クリスト伯』、そしてその翻案者『黒岩涙香』へと派生し、『黒岩涙香』の翻案作品が『重訳』的なものであることに触れていたが、ようやく『高野長英』の脱獄方法がテーマに戻ってきたのも束の間、脱獄方法に関連して、マッチ、『化学』という言葉、『川本幸民』、中国の雑誌『六合叢談』や、宣教師『ハドソン・テーラー』へと、話は大きく逸れていったところで、『少年』は、『高野長英』の脱獄にまで話を戻したのであった。しかし、話はまたもや、『御様』(おためし)という刀の試し斬りをした山田浅右衛門』に、そして、その人物を主人公とした『首斬り浅右衛門』という小説を書いた柴田錬三郎、更に、柴田錬三郎の代表作『眠狂四郎』を演じる『市川雷蔵』へと拡がっていこうとしていた。


「『市川雷蔵』は、いい役者だ。元々は、歌舞伎役者だったんだが…」


と、『少年』の父親が、今度は『市川雷蔵』を語り出そうとしたが、


「『市川雷蔵』は、『首斬り浅右衛門』の役もしたの?」


と、『少年』は、話をまずは、『御様御用』(おためし・ごよう)へと戻した。


「いや、していないと思う」

「『高野長英』が脱獄した時の『御様御用』は、やっぱり『山田浅右衛門』だったの?」

「年代的にそうだと思う。何代目の『山田浅右衛門』かは確認しないと分らんがな」

「で、『高野長英』が火事にした『御様物置』って、『御様』関係の物置だったんだね」

「そうだと思う」

「でも、『高野長英』は、どうやって『御様物置』を火事にしたの?」

「『栄蔵』(えいぞう)だ」

「ええ?火事の『映像』を映して火事に見せかけたの?いや、映像も何も、その頃はまだ、そもそもまだカメラはなかったんでしょ?」

「いや、カメラはもう発明されていたようだ。カメラが最初に作られたのは、1826年、1827年頃らしいんだ。フランスの発明家の『ジョゼフ・ニセフォール・ニエプス』が、固定された写真、というか、長く保存されるような写真を撮るカメラを作ったんだそうだ。『高野長英』が脱獄したのは、1844年だから、その時、カメラはもう存在はしていたということになる」

「でも、カメラはまだ日本には入ってきていなかったんじゃないの?」




「オランダ船が日本にカメラを持ち込んだのは、1843年だから、うーん、微妙ところだな。薩摩藩の殿様の『島津斉彬』(しまず・なりあきら)は、1848年にカメラを手に入れ、家来に研究させて、自分の写真を撮らせたらしい。現在も残っている日本人がとった一番古い写真は、『島津斉彬』を映したものらしいんだ」

「じゃあ、牢屋に入れられていた『高野長英』がカメラを持っていた訳ないよね。それなのに、脱獄するのに映像を使った、ってどういうこと?」

「はは、『えいぞう』は、カメラで撮る『映像』ではなく、人の名前だ」


と、『少年』の父親が、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『栄蔵と書いた時、


「『岡田真澄』なんか『ファンファン』じゃあないけえ…」


と、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、それまで『船を漕いでいた』老婆が、重力に逆らって、それまで閉じていた瞼をあげ、ようやく霞みが取れてきた瞼のその先に、バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声で呟き続ける青年を、フランスの美男俳優『ジェラール・フィリップ』のはまり役である映画『花咲ける騎士道』の『ファンファン・ラ・チューリップ』と見ていたが、その『ファンファン』の名前をニックネームに持つ俳優に不満げであった。



(続く)




2022年3月26日土曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その179]

 


「『高野長英』は、どうやって牢屋を火事にして、脱獄したの?」


と、『少年』は、あらためて『高野長英』の脱獄方法を父親に問うた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。しかし、


「いや、牢屋を火事にしたんじゃないんだ」


と、『少年』の父親は、『少年』の質問の前提から否定してきた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させ、一対(つまり2匹)の『狛犬』が、『阿吽の呼吸』の『阿形』の像と『吽形』の像であることまで話を進め、それが『仁王像』へと展開させた。しかし、ようやく『狛犬』の『狛』(コマ)の由来から、『天満屋』の発祥である『小間物屋』という店の呼び方の由来、ひいては、歴史ある『天満屋』という存在へと、『少年』が、話を回収したところであったのだが、父親は、今度は、『天満屋』と『イネ』との関係に触れ、そこから『イネ』を養育し、医学を教えた『二宮敬作』の地元、『宇和島藩』、その藩主『伊達家』へと話の展開させていたものの、『伊達政宗』の『伊達家』と『宇和島藩』の『伊達家』との関係等に話は派生し、続けて、『宇和島藩』の7代藩主『伊達宗城』と『シーボルト』の弟子『高野長英』との関係に触れ始めた。ところが、『高野長英』の脱獄に関連して、今、話は『モンテ・クリスト伯』、そしてその翻案者『黒岩涙香』へと派生し、『黒岩涙香』の翻案作品が『重訳』的なものであることに触れていたが、ようやく『高野長英』の脱獄方法がテーマに戻ってきたのも束の間、脱獄方法に関連して、マッチ、『化学』という言葉、『川本幸民』、中国の雑誌『六合叢談』や、宣教師『ハドソン・テーラー』へと、話は大きく逸れていったところで、『少年』は、『高野長英』の脱獄にまで話を戻したのであった。


「え!?じゃあ、『高野長英』は、どこを火事にしたの?」

「『高野長英』が入れられていた百姓牢の近くの『御様物置』(おためし・ものおき)らしい」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『御様物置と書いた。


「はあっ?『様』(さま)が『ためし』なの?

「ああ、そこは難しいかもしれないなあ。『様』(さま)は、『ためし』とも読むんだよ。『様』は、実例の『例』と同じで、『前例』といったような意味もあるんだ。『様』は、何々の『様』(よう)という時にも使うだろ」

「じゃあ、『御様物置』って何なの?何か『前例』になるようなものが置いてあったの?」

「いや、御様っていうのは、刀の試し斬りのことなんだよ」

「え!試し斬り!?」

「そうだ。元々は、死刑となった囚人の死体を使って、刀の試し切りをすることだったんだ」




「元々は、って?」

「ああ、その内にな、死刑執行もするようになるんだ。御様』をする人は、『御様御用』(おためし・ごよう)といって、元々は幕府の役人だったんだか、ある時から、浪人だった『山田浅右衛門』という人、というか、家が代々務めるようになったんだ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、今度は、『山田浅右衛門と書いた。


「でも、試し斬りには、かなりの技術が必要だから、『山田浅右衛門』は世襲ではあっても、実子、実の子が必ずしも跡を継いではいないそうだ。『山田浅右衛門』については、『柴田錬三郎』も『首斬り浅右衛門』という小説を書いているから、読んでみたらどうだ


と、『少年』の父親が、いつの間にか、首斬り役について語り出していた時、


「『ファンファン』じゃあ…」


と、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、それまで『船を漕いでいた』老婆が、重力に逆らって、それまで閉じていた瞼をあげ、ようやく霞みが取れてきた瞼のその先に、バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声で呟き続ける青年を、フランスの美男俳優『ジェラール・フィリップ』のはまり役である映画『花咲ける騎士道』の『ファンファン・ラ・チューリップ』と見ていた。



(続く)





2022年3月25日金曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その178]

 


「辮髪って、尻尾みたいな?」


と、『少年』は、どこかでみたことのあるようなないような特殊な髪型を脳裏に描いていた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「そうだ。その辮髪だ」


と、『少年』の父親も、『少年』の脳裏にあるであろう画像に皇帝の言葉を与えた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させ、一対(つまり2匹)の『狛犬』が、『阿吽の呼吸』の『阿形』の像と『吽形』の像であることまで話を進め、それが『仁王像』へと展開させた。しかし、ようやく『狛犬』の『狛』(コマ)の由来から、『天満屋』の発祥である『小間物屋』という店の呼び方の由来、ひいては、歴史ある『天満屋』という存在へと、『少年』が、話を回収したところであったのだが、父親は、今度は、『天満屋』と『イネ』との関係に触れ、そこから『イネ』を養育し、医学を教えた『二宮敬作』の地元、『宇和島藩』、その藩主『伊達家』へと話の展開させていたものの、『伊達政宗』の『伊達家』と『宇和島藩』の『伊達家』との関係等に話は派生し、続けて、『宇和島藩』の7代藩主『伊達宗城』と『シーボルト』の弟子『高野長英』との関係に触れ始めた。ところが、『高野長英』の脱獄に関連して、今、話は『モンテ・クリスト伯』、そしてその翻案者『黒岩涙香』へと派生し、『黒岩涙香』の翻案作品が『重訳』的なものであることに触れていたが、ようやく『高野長英』の脱獄方法がテーマに戻ってきたのも束の間、脱獄方法に関連して、マッチ、そして、マッチの試作をし、また、『化学』という言葉を最初に使ったとされる『川本幸民』が参考にした中国の雑誌『六合叢談』や、その中国で化学実験をした宣教師『ハドソン・テーラー』へと、話は大きく逸れていっていた。


「でも、『ハドソン・テーラー』は、どうして、中国式の家に住んで、チャイナ服を着て、辮髪にしたの?」

「キリスト教の普及の為に、それだけ、中国の人たちに溶けもうとしたんだろうなあ。『ハドソン・テーラー』が、その頃、日本に来ていたら、髪型は『ちょんまげ』にしたんじゃないかと思うぞ」

「そう云えば、今の中国に人たちって、辮髪にしていないよね?それは、今の日本人が『ちょんまげ』にしていないのと同じようなことなの?」

「まあ、そんな感じかとは思う。辮髪は、昔の髪型だ。当時の中国、というのは、『ハドソン・テーラー』がいた頃の中国は、『清』の時代で、『清』は、今の中国を支配している漢民族の国ではなく、満州族が支配する国だったんだ。『清』は、1644年から1912年までの260年余りというながーく続いた王朝だったんだが、辮髪は満州族の髪型で、漢民族なんかも辮髪にすることが強要されていたんだそうだ」

「ええー!260年余り、って、まるで江戸時代みたいだね!」

「おお、まさにそうだな。江戸時代は、1603年から1868年までのおよそ260年だから、少し江戸時代の方が早く始まり、早く終っているが、ほぼ同時代だな」

「それで、『ハドソン・テーラー』が化学実験をしたのを見た王韜』という人なんかが『化学』という言葉を使うようになって、その言葉が、六合叢談』という雑誌でも使われて、『川本幸民』さんが、日本でも『化学』という言葉を使うようになった、ということなんだね」


と、『少年』は、見事な理解力で、大きく逸れていっていた話を『川本幸民』まで戻した。


「そうだ。『川本幸民』は、マッチの試作もし、『化学』という言葉を日本で最初に使うようにした人だが、実はな、ビールの製造実験、というか醸造を日本で初めてしたんじゃないか、とも云われているんだ。彼が訳した『化学新書』にもビールの醸造方法が書かれているそうだ。ビールが、本格的に日本で製造されるようになるのは、勿論、明治になってからのことだけどな」


と、『少年』の父親は、後に(21世紀に入って)、『麒麟麦酒』が、『ビール5000年の旅探究プロジェクト』に於いて、『川本幸民』が醸造したとされるビールを取り上げることは、その時(1967年である)、勿論、知る由もなかった。




『川本幸民』って、本当にすごい人だね。でも、『川本幸民』が作ったビールもそうだし、マッチだって試作で、まだ当時、日本に普及はしていなかったから、『高野長英』の脱獄に使われた訳ではないんだよね?」


と、『少年』が、大きく逸れていっていた話を『川本幸民』、更には、『高野長英』の脱獄にまで戻した時、


「なんかジェラール・フィリップに似とるねえ…」


と、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、それまで『船を漕いでいた』老婆が、重力に逆らって、それまで閉じていた瞼をあげ、ようやく霞みが取れてきた瞼のその先に、バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声で呟き続ける青年の顔に、フランスの美男俳優の像を重ねて見た。



(続く)




2022年3月24日木曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その177]

 


「え?『川本幸民』さんが、『化学』という言葉を最初に使ったんでしょ?」


と、『少年』は、父親に怪訝な表情を向けた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「ああ、そうだよ」


と、『少年』の父親の歯切れはまだ悪かった。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させ、一対(つまり2匹)の『狛犬』が、『阿吽の呼吸』の『阿形』の像と『吽形』の像であることまで話を進め、それが『仁王像』へと展開させた。しかし、ようやく『狛犬』の『狛』(コマ)の由来から、『天満屋』の発祥である『小間物屋』という店の呼び方の由来、ひいては、歴史ある『天満屋』という存在へと、『少年』が、話を回収したところであったのだが、父親は、今度は、『天満屋』と『イネ』との関係に触れ、そこから『イネ』を養育し、医学を教えた『二宮敬作』の地元、『宇和島藩』、その藩主『伊達家』へと話の展開させていたものの、『伊達政宗』の『伊達家』と『宇和島藩』の『伊達家』との関係等に話は派生し、続けて、『宇和島藩』の7代藩主『伊達宗城』と『シーボルト』の弟子『高野長英』との関係に触れ始めた。ところが、『高野長英』の脱獄に関連して、今、話は『モンテ・クリスト伯』、そしてその翻案者『黒岩涙香』へと派生し、『黒岩涙香』の翻案作品が『重訳』的なものであることに触れていたが、ようやく『高野長英』の脱獄方法がテーマに戻ってきたのも束の間、脱獄方法に関連して、マッチ、そして、マッチの試作をし、また、『化学』という言葉を最初に使ったとされる『川本幸民』の話となってしまっていた。


「じゃあ、どうして、『そういうことにしておいてもいい』なの?」

「『化学』という言葉自体は、『川本幸民』が考えたものではないようなんだよ」

「え?じゃあ、他の誰かが先に、『化学』という言葉を使っていたの?」

「『川本幸民』は、ドイツのストックハルトという人の『化学の学校』という本のオランダ語訳の本を訳した時に、その題名として『化学新書』として、『化学』という言葉を使ったんだが…」

「ああ、『川本幸民』さんも『重訳』したんだね」

「そうだな。で、その時にだ、当時、中国で刊行されていた『六合叢談』(りくごうそうだん)という月刊誌なんかに『化学』という言葉があって、それに倣って、『化学』という言葉を使ったらしいんだ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、今度は、『六合叢談と書いた。


「どうして、『六合叢談』で『化学』を使ったかというと、その頃、中国に『王韜』(おう・とう)という思想家なのか政治評論家のような人がいて、その人が、『ハドソン・テーラー』という中国に来ていた宣教師の化学実験を見て、『化学』という言葉を日記に書いた、と聞いたことがある。王韜』が、『化学』という言葉を考えたのか、『ハドソン・テーラー』か他の誰かが考えたのかは、よく分からないらしんだがな。『ハドソン・テーラー』は、宣教師だったが、薬学とか医学の知識もあったらしい」

「宣教師なのに、薬学とか医学のことも詳しかったの?中国語もできたの?」

「よくは知らないが、父親が薬剤師だったようだから、薬学とか医学の知識があったのかもしれないし、どうやら、中国式の家に住んで、チャイナ服を着て、辮髪にもしたらしいんだ」


と、『少年』の父親が、チャイナ服を着て体の前で両手を合わせたような仕草をした時、




「いつの間にか髭面になったんじゃのお。でも、髭面もええねえ…」


と、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、それまで『船を漕いでいた』老婆が、重力に逆らって、それまで閉じていた瞼をあげ、ようやく霞みが取れてきた瞼のその先に、バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声で呟き続ける青年を見たまま、舌で自らの唇を舐めるようにした。



(続く)