2022年3月7日月曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その160]

 


西郷隆盛は知っているだろ?」


と、『少年』の父親は、少し誇らしげにその名前お口にした。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「勿論!ウチの田舎の鹿児島の英雄だものね」


と、『少年』も少し誇らしげであった。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させた。しかし、『狛犬』は犬ではなく『獅子』であるとし、『獅子』はライオンではない、とはしたものの、宇部の『中津瀬神社』の『狛犬』が実は、橋に置かれていたライオン像を移設したものであることを『少年』に教え、更には、他にも、ライオン像のある橋があるが、それはヨーロッパを参考としたものであることも説明した。しかし、東京の『日本橋』については、何やら違いがあり、『麒麟』について語り始め、日本に初めて『キリン』を持ち込んだ上野動物園の初代園長『石川千代松』、そして更に、『麒麟図』を描いた『桂川甫周』へと、更に『桂川甫周』と『シーボルト』との関係や、『麒麟』という言葉を使ったに『日本の博物館の父』とも云われる『田中芳男』にまで言及し、『キリン』と『麒麟』との関係をどうにか説明したところで、話のテーマは、東京の『日本橋』の『麒麟』像へと戻ってきていたものの、話はまたまたまたあらぬ方向へと派生していったのであった。


「その西郷隆盛の像を鋳造したのも、岡崎雪聲』なんだ。あ、鹿児島の城山公園の『西郷隆盛像』じゃなくって、東京の上野公園にある『西郷隆盛像』の方だ。ほら、写真とかテレビで見たことあるだろう?」

「ああ、浴衣姿で犬を連れている西郷さんだね。あれも、岡崎雪聲』が造ったんだね」

「『二宮金次郎』も知っているだろう」

「勿論!薪を担いで歩きながら本を読んだんだよね?そんな銅像があるよね?」




「おお、まさにその姿だ」

「え?東京の日本橋の『麒麟』も薪を担いでいるの?」

「はは、そんなことはないさ。薪を担いで歩きながら本を読む『二宮金次郎』の像を最初に造ったのも、東京の日本橋の『麒麟像』を鋳造した岡崎雪聲』なんだそうだ」

「へええ、『西郷隆盛像』も『二宮金次郎像』も誰が造ったなんて気にしてなかったけど、造ったのは、おんなじ人だったんだね」

岡崎雪聲』は、東京の日本橋については、『麒麟像』だけではなく、『狛犬』というか『獅子』というか、そっちの像も造ったんだ」

「あーあ、東京の日本橋は、ヨーロッパの橋みたいにライオンの像ではなく『麒麟像』を置いただけじゃなくって、『狛犬』を置いたんだね」


と、『少年』はようやく、父親が、東京の日本橋の話を持ち出してきた理由を理解した。


ヨーロッパに近い感じがする都会の東京の日本橋が、日本的な『狛犬』を置いて、地方都市の宇部の『錦橋』がヨーロッパの橋を真似てライオンの像を置いてたんだね。で、今は、そのライオンの像が、『狛犬』として『中津瀬神社』と『松涛神社』という、とっても日本的なところに置かれているんだものね。なんだか面白いね。まあ、『狛犬』は、ライオンみたいでライオンじゃないし、ライオンではないけどライオンみたいであるというかと、そうであるようなないような感じだものね」

「おお、宇部のライオンの像といえば、『中津瀬神社』には、ライオンがもう1匹いるんだ


と、『少年』の父親が、敢えて誤解を生みかねない云い方をしたように見えた時、


「ボクは….広島弁を棄てた…」


と、実は、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているらしき青年が、バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声で呟き、続けた。


(続く)




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