2022年3月20日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その173]

 


「うーむ….『黒岩涙香』は、フランス語はできなかったと思う」


と、『少年』の父親は、申し訳なさそうに、『少年』にそう云った。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「え?ええ?」


と、『少年』は、自らが聞き間違えたのではないかという表情を見せた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させ、一対(つまり2匹)の『狛犬』が、『阿吽の呼吸』の『阿形』の像と『吽形』の像であることまで話を進め、それが『仁王像』へと展開させた。しかし、ようやく『狛犬』の『狛』(コマ)の由来から、『天満屋』の発祥である『小間物屋』という店の呼び方の由来、ひいては、歴史ある『天満屋』という存在へと、『少年』が、話を回収したところであったのだが、父親は、今度は、『天満屋』と『イネ』との関係に触れ、そこから『イネ』を養育し、医学を教えた『二宮敬作』の地元、『宇和島藩』、その藩主『伊達家』へと話の展開させていたものの、『伊達政宗』の『伊達家』と『宇和島藩』の『伊達家』との関係等に話は派生し、続けて、『宇和島藩』の7代藩主『伊達宗城』と『シーボルト』の弟子『高野長英』との関係に触れ始めた。ところが、『高野長英』の脱獄に関連して、今、話は『モンテ・クリスト伯』、そしてその翻案者『黒岩涙香』へと派生していっていた。


「『黒岩涙香』は、『モンテ・クリスト伯』や『レ・ミゼラブル』のフランス語の原作を元に『巌窟王』や『噫無情』を書いたのではないらしいんだ」

「じゃあ、どうやって『巌窟王』や『噫無情』を書いたの?」

「『モンテ・クリスト伯』や『レ・ミゼラブル』の英訳本を読んで、それを元に『巌窟王』や『噫無情』を書いたようなんだ」

「は?フランス語の『モンテ・クリスト伯』や『レ・ミゼラブル』を英語に訳した本を読んで『巌窟王』や『噫無情』を書いた、ということ?」

「そういうことになるな」

「いいのかな、そんなの…」

「翻訳の翻訳を『重訳』というんだ。あ、勿論、会社の『重役』のことじゃないぞ。こう書くんだ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『重訳と書いた。




「つまり、重ねた訳ということなんだが、それ自体がいけないということはないんだ」

「でも、なんだか、訳したものを訳してしまうと、どこかで意味がちょっと違ってきたりしないのかなあ」

「それはその通りなんだが、『重訳』に意義、意味のあるところもあるんだよ。地理的にとか、文化的にとか遠い地域のことについて知ろうとした時に、その地域の言語を理解しないと、普通は、その目的を達成することはできないだろ?」

「そりゃ、そうだよね」

「でも、そこにある言語が介在して、遠い地域の情報を、一旦、その言語に訳してしまうと、その介在する言語を理解できる場合には、遠い地域の情報について知ることができるだろう?」

「ああ、確かに、そうだね」

「例えば、翻訳ではないが、通訳だって、そういうことがあるかもしれないんだよ。例えば、未開の地の人が何を云っているか、普通では理解できない場合だ。ああ、『未開の地』といい云い方はちょっと傲慢かもしれなくて、あくまでこちらから見た『未開』の地のことで、そこに住む人の言語が特殊で、例えば、わたくしたち日本人は全く知らないものであっても、その未開の地のある国や地域とか、日本人以外の人で、その未開の地の人の言葉を理解できるようになった人がいれば、その人に未開の地の言葉を、例えば、英語なんかに訳してもらうと、日本人も理解できるようになるかもしれないだろ?」

「確かにそうだと思う」

「それにな、もう、この『重訳』の大事な例については話をしただろ?」


と、『少年』の父親が、謎かけのような云い方をした時、


「ほうじゃ、やっぱりミノルさんの息子じゃあ…」


と、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、それまで『船を漕いでいた』老婆が、重力に逆らって、それまで閉じていた瞼をあげ、ようやく霞みが取れてきた瞼のその先に、バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声で呟き続ける青年をしかと見た。



(続く)




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