2022年3月14日月曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その167]

 


「ああ、『養子』は、『養う』子だから、分かり易いけど…」


と、『少年』の父親は、『少年』の疑問にゆっくりと答え始めた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「確かに、『猶子』って、どうして、『猶予』の『猶』がつくのか、分り辛いだろうなあ」


と云う『少年』の父親の表情には、猶予(ゆうよ)ならぬ余裕(よゆう)が見られた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させ、一対(つまり2匹)の『狛犬』が、『阿吽の呼吸』の『阿形』の像と『吽形』の像であることまで話を進め、それが『仁王像』へと展開させた。しかし、ようやく『狛犬』の『狛』(コマ)の由来から、『天満屋』の発祥である『小間物屋』という店の呼び方の由来、ひいては、歴史ある『天満屋』という存在へと、『少年』が、話を回収したところであったのだが、父親は、今度は、『天満屋』と『イネ』との関係に触れ、そこから『イネ』を養育し、医学を教えた『二宮敬作』の地元、『宇和島藩』、その藩主『伊達家』へと話の展開させていたものの、『伊達政宗』の『伊達家』と『宇和島藩』の『伊達家』との関係から、話のテーマはまた大きく逸れ、『猶子』とは何か、更に、『猶子』の『猶』という語の意味へと遷って行った。


「『猶予』の『猶』は、『なお』とも読むんだ。でな、『猶子』は、『猶(なお)子のごとし』ということで、本当の子どものようなものだ、という意味になるのさ」

「『猶(なお)子のごとし』…..『なお』って、『また』とか『他にも』っていう感じの言葉じゃないの?」

「ああ、それは、接続詞の場合の『なお』だろうなあ。話が終って、付け加えて何か云う場合に使う『なお』だな。でも、『なお』には、副詞としての『なお』もあって、それには幾つかの意味があるんだ。一つは、前の状態のまま、という意味、また、程度がもっと進んだ、という意味もあるんが、『ごとし』という言葉が後に付くと、『あたかも』とか『ちょうど』という意味になるんだ」

「ああ、それで、『猶(なお)子のごとし』は、『あたかも自分の本当の子のようだ』ということになるんだね」

「そうだ。『過ぎたるはなお、及ばざるがごとし』という『孔子』の言葉もあるが、この場合の『なお』も、猶(なお)子のごとし』の『なお』と同じだ」




それで、『宇和島藩』の初代藩主の『伊達秀宗』が秀吉の『猶子』になったということは秀吉の本当の子のような存在になった、ということになるんだね」

「まさにその通りだ」

「でも、秀吉のお気に入りになったのに、『伊達家』の『家督』は相続できなかったの?」

「まあ、当時は、『家督』を継ぐのは、生れた順番ではなく、母親の序列が優先されたからだし、それにな、時代が大きく動いたこともあったんだ」


と、『少年』の父親が、『時代』を持ち出し、話を大きくし始めた時、


「『大鵬』より、『栃ノ海』の相撲の方が好きだった。この前、引退しちゃったけど…」


と、実は、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているらしき青年が、バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声で呟き、続けた。


(続く)




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