「音戸町の波多見[はたみ]からは、島谷ひとみも出たのだぞ」
「ほおぉ」
思わず「うぬぼれ営業」氏が反応した。
「どうだ、有り難い土地だろう」
しまった、と思ったがもう遅い。仕方なく、云った。
「いくら島谷ひとみの出身地でもねえ」
「そうか、もっと大物でないと駄目か」
「いえ、そういうことでは」
「では、キヨモリではどうだ?」
「?」
「平清盛だ。知らんか?」
「マツケン(松山ケンイチ)ですね。大河ドラマですね」
「音戸町のある倉橋島と本土(本州側)呉市との間の海峡である『音戸の瀬戸』は、平清盛が切り開いたと云われておる。だから、『音戸の瀬戸』の倉橋島側の岩の上に『清盛塚』も建てられているんだ。音戸の瀬戸には、音戸大橋と云う有名な橋もかかっているんだ。
倉橋島側は珍しい螺旋橋になっているんだ。どうだ、有り難い土地だろう」
勝ち誇ったエヴァンジェリスト氏であった。これでオレのあの土地(負の資産)を買わねばならなくなったであろう、という顔付であった。
しかし、エヴァンジェリスト氏は自身の甘さを思い知らされた。
「ああ、ぼくはどちらかと云えば平家なんですよ」
「うぬぼれ営業」氏の言葉である。
やられてしまった。源氏か平家か、と問われれば、平家、ということなのであろうが、「どちらかと云えば」はあるまい。
しかし、この「どちらかと云えば」は初めて聞く言葉ではなかったのだ。
且つて、エヴァンジェリスト氏が卒論にカトリック作家のフランソワ・モーリアックを採り上げたことを云った際に、「うぬぼれ営業」氏が云ったのだ。
「ああ、ボクもどちらかと云えばキリスト教なんですよ」
「.....!」
宗教に「どちらかと云えば」ということはない。ないのだが、それを云うのが「うぬぼれ営業」氏なのである。出身大学の玉○大学は確かに「どちらかと云えば」キリスト教であるのかもしれないが。
因に、エヴァンジェリスト氏は、カトリック作家のフランソワ・モーリアックについて卒論を書いたが、カトリックでもプロテスタントでもない。
因に、エヴァンジェリスト氏は、カトリック作家のフランソワ・モーリアックについて卒論を書いたが、カトリックでもプロテスタントでもない。
しかし、まさか平家について「どちらかと云えば」と来るとは思わなかったのだ。「平家だと云うのならオレの土地を買え」と云えばいいのに、その余りのいい加減さに唖然として、こう云うのが精一杯であった。
「平家派に入りそうだったからか?」(疑惑.....ジャニーさんの一言か、タイの王族の介入か、サイババの遺言か?)
そんなエヴァンジェリスト氏と「うぬぼれ営業」氏のやり取りを聞くデカクナイノニデカ氏の横顔は、「もうこの二人との出張はよそう」と云いたげに見えた。
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