(【WWD】青春のハナヱモリ(その4)の続きである)
「風呂じゃないんです。風呂みたいなところにパンツ一丁で入らされ、頭から水に浸けられたんです」
雫がヴィトン君の髪から一滴、光りながら垂れたようにも見えた。
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「お前、何やってんだよお」
キタグニカラキタスパイデハナイ部長は、怒ることはなかったが、呆れ顔でそういった。
キタグニカラキタスパイデハナイ部長は、「WWDジャパン」の営業部長である。「飛込み営業」を指示したのも、勿論、このキタグニカラキタスパイデハナイ営業部長であった。風貌からやや老けて見えたが、当時、まだ30歳の若い部長であった。森英恵夫妻のお気に入りだったようだ。給料も良かったはず、らしい。
ハナヱモリ・グループは有名で大きな会社であったが、詰るところ同族経営であり、当時のアパレル・メーカーはまだ、「お針子さんを雇う」感覚が強かったようで、経営体質は決して近代的なものではなかった、と云う。私は真偽の程は知らないし、同族経営が必ずしも悪いとも思わないが。
従業員の給料等待遇も、華やかな会社のイメージとは違い、エヴァンジェリスト氏達にとっては、満足なものではなかった(時代のせいもあると思うが、完全週休2日ではなく、隔週で土曜日は半ドンであった)。しかし、気に入られた社員(優秀な社員)は大抜擢を受け、かなりいい給料をもらっていたようである。キタグニカラキタスパイデハナイ営業部長もそうだったようだ。
そのキタグニカラキタスパイデハナイ営業部長に、エヴァンジェリスト氏はとてもとても嫌われていた。エヴァンジェリスト氏の方もとてもとても嫌っていた。森英恵夫妻に気に入られた優秀な人ではあったのだが、エヴァンジェリスト氏のとの相性はかなり悪かったようだ。
まあ、相性が悪いと云うか、エヴァンジェリスト氏自ら振り返ってみるに、自分が嫌われても仕方なかったのだと、珍しく殊勝に云う。エヴァンジェリスト氏は、自分はとても生意気な奴だったと云う(まあ、今でも変りなく、生意気と云うか、相手をするのに面倒臭い人であるが)。
仕事の指示をされても、「今、別の仕事をやってます。それどころじゃあなんいんです」、なんて口答えをしていた。新入社員のくせに、そりゃ、可愛げのない奴である。
キタグニカラキタスパイデハナイ営業部長は、怒り心頭だ。
「なにいぃ!それどころじゃない、だとお!!!どういう口のきき方してるんだあああ!!!」
ある時、キタグニカラキタスパイデハナイ営業部長は、エヴァンジェリスト氏を狭い応接スペースに呼出し、説教を始めた。
説教と云うか、「お前、なんだ、あの態度は」と怒鳴ってきた。生意気なエヴァンジェリスト氏は、それで怯むどころか、謝るどころか、反論し、もっとキタグニカラキタスパイデハナイ営業部長の怒りをかってしまった。ついに、キタグニカラキタスパイデハナイ営業部長は、小さな応接テーブルを靴で蹴飛ばして、云った、「ふざけんじゃんない!」。殴られはしなかったが、関係はもう最悪だ。
しかし、「WWDジャパン」でのエヴァンジェリスト氏の収穫は、「マーケティング」であった。
大学院の文学研究科フランス文学専攻という特殊な世界に籍を置き、普通の若者以上に常識に欠けていたのだ。しかし、その特殊な世界に籍を置きつつも、エヴァンジェリスト氏は、1979年(コシノ・ヒロコ、コシノ・ジュンコ、コシノ・ミチコ三姉妹の御母堂コシノ・アヤコさんが老齢にしてご自身のブランドを立ち上げる少し前である)、「会社」というものにも所属し、「飛込み営業」も経験し、少しは「世間」を知り始めたのであった。
とはいうものの、待遇への不満とキタグニカラキタスパイデハナイ営業部長との確執とで荒んだ生活を送っていたが、転職して「WWDジャパン」に転職して来ていた先輩カリスマ氏から「マーケティング」というものを教わったのだ。先輩カリスマ氏は、とてもアタマのいい人であった。いや、アタマがいいというよりも、アタマが切れる人、まさにカミソリのように切れ過ぎる人であった。
そのカリスマ氏が、ヴィトン君に云った。
「キョーカイって、『協会』じゃあないんだろ?」
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