2012年3月29日木曜日

【WWD】青春のハナヱモリ(その5)






「風呂じゃないんです。風呂みたいなところにパンツ一丁で入らされ、頭から水に浸けられたんです」

雫がヴィトン君の髪から一滴、光りながら垂れたようにも見えた。

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「お前、何やってんだよお」

キタグニカラキタスパイデハナイ部長は、怒ることはなかったが、呆れ顔でそういった。

キタグニカラキタスパイデハナイ部長は、「WWDジャパン」の営業部長である。「飛込み営業」を指示したのも、勿論、このキタグニカラキタスパイデハナイ営業部長であった。風貌からやや老けて見えたが、当時、まだ30歳の若い部長であった。森英恵夫妻のお気に入りだったようだ。給料も良かったはず、らしい。

ハナヱモリ・グループは有名で大きな会社であったが、詰るところ同族経営であり、当時のアパレル・メーカーはまだ、「お針子さんを雇う」感覚が強かったようで、経営体質は決して近代的なものではなかった、と云う。私は真偽の程は知らないし、同族経営が必ずしも悪いとも思わないが。

従業員の給料等待遇も、華やかな会社のイメージとは違い、エヴァンジェリスト氏達にとっては、満足なものではなかった(時代のせいもあると思うが、完全週休2日ではなく、隔週で土曜日は半ドンであった)。しかし、気に入られた社員(優秀な社員)は大抜擢を受け、かなりいい給料をもらっていたようである。キタグニカラキタスパイデハナイ営業部長もそうだったようだ。

そのキタグニカラキタスパイデハナイ営業部長に、エヴァンジェリスト氏はとてもとても嫌われていた。エヴァンジェリスト氏の方もとてもとても嫌っていた。森英恵夫妻に気に入られた優秀な人ではあったのだが、エヴァンジェリスト氏のとの相性はかなり悪かったようだ。

まあ、相性が悪いと云うか、エヴァンジェリスト氏自ら振り返ってみるに、自分が嫌われても仕方なかったのだと、珍しく殊勝に云う。エヴァンジェリスト氏は、自分はとても生意気な奴だったと云う(まあ、今でも変りなく、生意気と云うか、相手をするのに面倒臭い人であるが)。

仕事の指示をされても、「今、別の仕事をやってます。それどころじゃあなんいんです」、なんて口答えをしていた。新入社員のくせに、そりゃ、可愛げのない奴である。

キタグニカラキタスパイデハナイ営業部長は、怒り心頭だ。

「なにいぃ!それどころじゃない、だとお!!!どういう口のきき方してるんだあああ!!!」

ある時、キタグニカラキタスパイデハナイ営業部長は、エヴァンジェリスト氏を狭い応接スペースに呼出し、説教を始めた。

説教と云うか、「お前、なんだ、あの態度は」と怒鳴ってきた。生意気なエヴァンジェリスト氏は、それで怯むどころか、謝るどころか、反論し、もっとキタグニカラキタスパイデハナイ営業部長の怒りをかってしまった。ついに、キタグニカラキタスパイデハナイ営業部長は、小さな応接テーブルを靴で蹴飛ばして、云った、「ふざけんじゃんない!」。殴られはしなかったが、関係はもう最悪だ。

しかし、「WWDジャパン」でのエヴァンジェリスト氏の収穫は、「マーケティング」であった。

大学院の文学研究科フランス文学専攻という特殊な世界に籍を置き、普通の若者以上に常識に欠けていたのだ。しかし、その特殊な世界に籍を置きつつも、エヴァンジェリスト氏は、1979年(コシノ・ヒロコ、コシノ・ジュンコ、コシノ・ミチコ三姉妹の御母堂コシノ・アヤコさんが老齢にしてご自身のブランドを立ち上げる少し前である)、「会社」というものにも所属し、「飛込み営業」も経験し、少しは「世間」を知り始めたのであった。

とはいうものの、待遇への不満とキタグニカラキタスパイデハナイ営業部長との確執とで荒んだ生活を送っていたが、転職して「WWDジャパン」に転職して来ていた先輩カリスマ氏から「マーケティング」というものを教わったのだ。先輩カリスマ氏は、とてもアタマのいい人であった。いや、アタマがいいというよりも、アタマが切れる人、まさにカミソリのように切れ過ぎる人であった

そのカリスマ氏が、ヴィトン君に云った。

「キョーカイって、『協会』じゃあないんだろ?」


2012年3月28日水曜日

【WWD】青春のハナヱモリ(その4)





「パンンツ一丁にさせられたんです」
「……っ!?」
「パンツ一丁になって、風呂みたいなところに入らされたんです…」

ヴィトン君は項垂れたまま、そう云った。

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今週(23012年3月26日の週)で終りとなる、コシノ・ヒロコ、コシノ・ジュンコ、コシノ・ミチコ三姉妹の御母堂をモデルにしたNHKの朝ドラ「カーネーション」は、最後になって(最後の月になって)主役を評判の良かった尾野真千子から夏木マリに変えたことで、また、その物語の内容や三姉妹以外の登場人物を総替えしたことで批判を浴びているようだ。

確かに、昌ちゃん(幻覺悠子)や恵さん(六角精児、つまり、『相棒』の米沢さん)がいなくなっており(死んだのか、歳で退職したのか判然としていないことでネットで少々話題にもなっているが)、また、八重子さん(田丸麻紀)もいないのは淋しい限りである。

それぞれ、主人公の糸ちゃんと同世代であり、高齢になっていたはずである。糸ちゃんは90歳以上まで生きたので、その周りはもう死んでいてもおかしくないし、実際、北村(ほっしゃん。である)達は死んだことになっている。生きていたとしても、死ぬまで現役でいた糸ちゃんの側で現役ではいられず、登場して来なくとも仕方なくはない。

唯一、幼馴染で、因縁浅からぬ奈津だけは登場させない訳にはいかず、栗山千明から江波杏子に配役を替え、以前と同じように糸ちゃんに対峙させてみてくれた。江波杏子の奈津は、その凛とした、しかし、鼻持ちならぬ役柄にはまっていたと云える。

…………エヴァンジェリスト氏も、NHKの朝ドラ「カーネーション」にファッション業界時代の自分を映し,懐かしんでいるが、「WWDジャパン」時代のエヴァンジェリスト氏は、糸ちゃんであるコシノ・アヤコの店は大阪岸和田にある為、行ったことはない。コシノ・ヒロコ、コシノ・ジュンコ、コシノ・ミチコ三姉妹の店に「営業」に行ったどうかも、覚えてはいないようだ。

そう、入社したてのエヴァンジェリスト氏は、ブティックやアパレル・メーカーを「営業」で廻らされたのである。

今は知らないが、創刊当時、「WWDジャパン」は通信販売しかしていなかった。アパレル・メーカーやテキスタイル・メーカー、繊維会社、ファッション・ブティック、その他ファッション関係者のダイレクト・メールのリストを作成し、「WWDジャパン」紙を先ず、「贈呈」として送付する。

その後、リストを見ながら、フォローの電話を入れる。購読をお願いする。こうして、お客様を獲得していったのである。勿論、ケンモホロロの扱いで電話を切られることも少なくなかった。

通信販売しかしないとはいうものの、一部書店には一種のデモンストレーションとして、販売をして頂いた。それら書店への納品はエヴァンジェリスト氏他、若手が行った。

また、入社直後は、「飛込み営業」も経験させられた。見本紙(といっても、本物であるが)を持って、原宿、青山界隈のブティックやアパレル・メーカー等を廻る

「WWDですが、購読をお願いできませんでしょうか」

しかし、「飛込み営業」で購読なんかしてもらえる訳がない。1件もお客様を得ることは出来なかった。「WWD」は間違いなく、世界的権威であるが、「WWDジャパン」紙は、日本で創刊したばかりである。まだまだ無名であるから、「飛込み営業」をするエヴァンジェリスト氏はブティックの人達から見ると、ただの怪し気な奴だったかもしれない。まあ、今でも怪しげな人ではあるが。

会社も、「飛込み営業」でお客様が獲得できることを期待していた訳ではなかったようだ。度胸をつけさせる為だったのだ。そんなやり方はエヴァンジェリスト氏の好みではないが、今からすると、「飛込み営業」も、長い営業の経験の中では一つの懐かしい思い出であるようだ。

ヴィトン君も入社したての時には、この「飛込み営業」をさせられたが、その後は、広告担当(広告取り)の営業になったのだ。

そして、その日、その「先生」のところに広告出稿のお願いに行っていたのである。

広告営業の先輩であるカリスマ氏が訊いた。

「お前、なんでアノ先生とキョーカイに行って、風呂に入ったんだ?キョーカイに風呂あんのか?」


2012年3月27日火曜日

【III 度高血圧】「俺を怒らせるなよ!」



「俺を怒らせるなよ!」


嬉しそうにそう仰る。云うまでもない、エヴァンジェリスト氏である。

「どうしだんですか?」
「俺を怒らせるなよ!」
「だ・か・ら、どうしだんですか、一体」
「その言い方がムカつくなあ。俺を怒らせるなよ!」
「では、一体、どうなさったんですか?」

「俺は、III 度高血圧だ。上が180、下が110あったんだ。III 度高血圧は、危険水域だ。いつ何があってもおかしくない」

「本当ですか?本当に、そんなに血圧が高いんですか?」
「ここしばらく頭痛が続くから、昨日、かかりつけの病院に行き、測ってもらったんだ」
「こちらの方がアナタのせいで頭痛がしているんですがねえ」
「眠る前に自宅で測ったら、上は201、下は108だった」
「メタボのせいではないですか?」

「うるさい!とにかく、俺は III 度高血圧なんだから、俺を怒らせるなよ!」

血圧の上昇と高血圧とに因果関係が本当にあるのか知らないが、まあ、エヴァンジェリスト氏を怒らせそうなので、それ以上は云わなかった。万が一にでも、私が怒らせてエヴァンジェリスト氏が死にでもしたら、化けてでてきそうで面倒臭いからである。

皆さんも、当面、エヴァンジェリスト氏を怒らせないように。

2012年3月25日日曜日

【あっちゃん卒業】新しいAKBセンターは?...えっ、マドモワゼル......?


驚いた。あっちゃんが卒業だそうだ。


AKB48の前田敦子がAKB48を卒業するそうだ。卒業時期は未定だそうだが。

SKE48松井珠理奈とNMB48渡辺美優紀の期間限定でのAKB48入りは、まあ、驚くも驚かないもないが、「あっちゃん卒業」には驚いた。

あっちゃんは、これからどうするのか?

歌手としては最近、色々と取沙汰され、一方、この(2012年)3月15日に最終回を終えたドラマ「最高の人生の終り方~エンディングプランナー~ 」で、主役ではなく、また足の不自由な子の役を好んで演じていたとも云われており、今後は女優業として、それもお飾りな主役ではなく、脇役でも存在感のある女優としてやっていきたい、のであろうか?

......そして、時を同じくして、マドモワゼル・エヴァンジェリストがある大きな決意をしたというニュースが入ってきた。

「あっちゃん卒業」と「マドモワゼル・エヴァンジェリストの大きな決意」との間には、何かのつながりがあるのか?二人は同い年ではあるが.........

まさか!......マドモワゼル・エヴァンジェリストが、AKB48入りし、新センターになるというのか?

そうなんですか?」

エヴァンジェリスト氏に訊いてみた。しかし........

「事務所を通してくれ!」



2012年3月24日土曜日

【WWD】青春のハナヱモリ(その3)





濡れて光っているように見えたヴィトン君の自慢の長い睫毛は、実際に濡れていたのだ。

しかし、みんながそのことを知るのは、まだもう少し後のことであった。

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そこは.......ヴィトン君が戻って来たのは、「WWD」であった。


間違えないで欲しい。「WWE」ではなく、「WWD」である

ワカシショー・ブラック氏やケンドー・カシン(石澤常光さん)が財務分析をした米国のプロレス団体「WWE」ではなく(【WWE】プロレス団体を財務分析してみる。......ワカシショー・ブラック氏。【WWE】ごめんなさい、ケンドー・カシン。いや、石澤常光さん)、「WWD」である。より正確には、「WWDジャパン」であった。

「WWDジャパン」とは、米国のWWD(Women’s Wear Daily)という世界で最も権威のあるファッション業界紙の日本版である。WWDの社員は、名刺を見せるだけで、どのファンション・ショーにでも入ることができる(と、エヴァンジェリスト氏は教わった)。

ハナヱモリ・グループはこのWWDと提携し、日本版の編集、販売の権利を獲得した。エヴァンジェリスト氏が入社した年(1979年)にその為の会社(フェアチャイルド・モリ出版)を設立し、「WWDジャパン」を創刊することになったのだ。

つまり、驚くことに、エヴァンジェリスト氏は一時的にせよ、ファッション業界に身を置いていたのだ。しかも、あの有名な「WWDジャパン」の創刊時のメンバーであったのだ。初代の営業の一人であったのだ。

今(2012年3月)、NHKの朝ドラ「カーネーション」が評判である。ファッション・デザイナーのコシノ三姉妹の御母堂の一生を描いたもので、この2月まで主役をしていた尾野真千子の演技力等々、魅力満載で、かのモト・ヤミシツチョ-までもが視聴されるようになった名作である。

エヴァンジェリスト氏がファッション業界に身を置いたのは1979年のことなので、コシノ三姉妹の御母堂が74歳で「アヤコ・コシノ」ブランドを立ち上げた1988年にはもう「業界」人ではなかったが、コシノ三姉妹も登場する「カーネーション」をエヴァンジェリスト氏は感慨深く見ているのだ。

「WWDジャパン」社内でも、勿論、「コシノ」の名前は日常的に出ていたのである。

「WWDジャパン」紙は、既に述べた通り権威ある「WWD」紙の日本版であったが、当時(1979年)は立上げの時であり、営業は大変であった。購読者の獲得も、スポンサー(広告主)の獲得も共に大変であった。

新規ビジネスなのだから、当然と云えば当然ではああった。

その新規ビジネスの立上げの一翼を、新人ながらもヴィトン君も担っていたのだ。

そのヴィトン君が、夜遅くなって、雨が降っていた訳でもないのに濡れそぼった様子で帰社して来たのである。

広告営業の先輩であるカリスマ氏が訊いた。

「お前、なんでアノ先生とキョーカイなんかに行ったんだ?」


2012年3月22日木曜日

【今日は何の日?】3月22日

今日は3月22日である。

さて、今日、3月22日は何の日でしょうか?

お判りの方は、遠慮、躊躇をせずに、回答をコメントに書込んで頂きたい。

[ヒント]有働(由美子)アナウンサーの誕生日ではない。いや、3月22日は、有働(由美子)アナウンサーの誕生日ではあるが、私が求める回答は別のものだ。

2012年3月21日水曜日

【WWD】青春のハナヱモリ(その2)





夜、9時過ぎ、「WWD」の事務室のドアが開き入って来たヴィトン君の項垂れた頭から足元までが、こころなしか濡れているような気がした。

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知らない方の方が多いかとは思うが、30年余り前のこと、エヴァンジェリスト氏は僅かな間(半年間)ではあるが、ハナヱモリ・グループで働いていたことがある(そのハナヱモリは、2002年に倒産してしまったが)。

ハナヱモリ・グループの中でエヴァンジェリスト氏は、「WWDジャパン」というファッション新聞を発行する会社(フェアチャイルド・モリ出版)に配属になった。今の「WWDジャパン」の人たちは、まさか、あのエヴァンジェリスト氏がかつて「WWDジャパン」に居たとはご存じないであろうけれど。

「WWDジャパン」(フェアチャイルド・モリ出版)は、HANAE MORIビルの中ではなく、南青山5丁目のビルの9階、10階に在る会社であった。スーパーの紀ノ国屋のはす向かいにあり、高樹通り[高樹町通りであったか](今の、骨董通り)の入り口にある銀色の細長いビルであった。

「WWDジャパン」では10階の編集に配属になった。

配属初日の午前中は、編集のメンバーを紹介されたり、テレックス(海外との通信を行う機械)の使い方を教わった。しかし、お昼休みが終って編集に戻ると、「エヴァ君、悪いんだけど、午後からは下(営業)に行ってくれない」と云われ、僅か2時間で編集をクビになり、急に今度は営業マンになることになった。これが世に於けるエヴァンジェリスト氏の営業マンとしての始まりである。

営業の仕事には、広告取りの仕事もあったが、エヴァンジェリスト氏が担当したのは、「WWDジャパン」紙の販売(定期購読者の獲得)であった

一方、同期入社のヴィトン君は、最初から広告担当(広告取り)の営業になっていた。今で云うイケメンであったからであろうか。

女性デザイナーに気に入られると判断されたのであろうか。男性デザイナーでもその筋の人には、イケメンで気に入られると判断されたのであろうか。

エヴァンジェリスト氏も、「うぬぼれ営業」氏的な言い方をすると、「どちらかといえば」(【呉市音戸町波多見】どちらかといえばキリスト教。どちらかとえいば平家。(後編))イケメンであった。

エヴァンジェリスト氏の今の姿しか知らない方々には信じられないことであろうが、確かに「どちらかといえば」イケメンであったのである。

しかし、同じようにイケメンとはいえ、マスクの甘さではヴィトン君が勝っていた。

エヴァンジェリスト氏は、田宮二郎・天地茂・杉良太郎的な硬派な感じのイケメンであったが(とご本人が仰るのだ)、ヴィトン君は睫毛の長い漫画の王子様的なイケメンであったのだ

その自慢の長い睫毛が、濡れて光っているように見えたのだ。その日、ヴィトン君が9時過ぎにようやく帰社した時のことである。



2012年3月19日月曜日

【WWD】青春のハナヱモリ(その1)



夜、9時過ぎ、事務室のドアが開いた。………項垂れたヴィトン君が入って来た。

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その日、夕方が過ぎ、7時を過ぎてもヴィトン君は帰社しなかった。営業先は総て都内である。広告担当(広告取り)の営業のヴィトン君はいつも、遅くとも6時、7時には帰社していた。

しかし、その日は7時を過ぎてもヴィトン君は帰社しなかった。当時はまだ携帯電話なるものはなく、会社から出先の社員に連絡をとるのは難しい時代であった。1979年であった

その年に23歳になる男で、子どもではないとはいえ、ヴィトン君はまだ新入社員だ。会社としては、心配だ。

7時半になり、その日、訪問したはずの先の3ヶ所の企業(デザイナーの会社だ)に電話を入れた。先に訪問したはずの企業2社からは、「もう帰られましたよ」と云われた。それはそうであろう。


3ヶ所目の企業に電話をすると、こう云われた。

「ああ、ヴィトンさんね。先生とキョーカイにいらっしゃいましたよ」

「なんだ、協会(日本ファッション協会)に行ったのか」と会社の皆は一応、安心した。

「だけど、なんでアイツ、先生と協会なんかに行ったんだ?」という疑問は残ったが。

先生は、有名なファッション・デザイナーである。だから、協会(日本ファッション協会)に行かれることはあるであろう。しかし、雑誌の広告の営業であるヴィトン君が何故、先生に付いてキョーカイに行く必要があるのであろうか……まあ、デザイナーって我が儘だからなあ……ヴィトン君は甘いマスクしているから、先生(女性)に気に入られたのであろうか.......

そんな疑念を持ちながらも、「キョーカイに行った」と、所在が分ったことで取り敢えず安心したキタグニカラキタスパイデハナイ部長やカリスマ氏、イシカワケンヤさん、サカノウエさん、ピップ君達営業部の面々と共に、そこに、エヴァンジェリスト氏がいた

若き日のエヴァンジェリスト氏である。そして、そこは「WWD」であった。


2012年3月18日日曜日

【呉市音戸町波多見】どちらかといえばキリスト教。どちらかとえいば平家。(後編)





「音戸町の波多見[はたみ]からは、島谷ひとみも出たのだぞ」
「ほおぉ」

思わず「うぬぼれ営業」氏が反応した。

「どうだ、有り難い土地だろう」

しまった、と思ったがもう遅い。仕方なく、云った。

「いくら島谷ひとみの出身地でもねえ」

「そうか、もっと大物でないと駄目か」
「いえ、そういうことでは」
「では、キヨモリではどうだ?」
「?」
「平清盛だ。知らんか?」
「マツケン(松山ケンイチ)ですね。大河ドラマですね」

「音戸町のある倉橋島と本土(本州側)呉市との間の海峡である『音戸の瀬戸』は、平清盛が切り開いたと云われておる。だから、『音戸の瀬戸』の倉橋島側の岩の上に『清盛塚』も建てられているんだ。音戸の瀬戸には、音戸大橋と云う有名な橋もかかっているんだ。


倉橋島側は珍しい螺旋橋になっているんだ。どうだ、有り難い土地だろう」


勝ち誇ったエヴァンジェリスト氏であった。これでオレのあの土地(負の資産)を買わねばならなくなったであろう、という顔付であった。


しかし、エヴァンジェリスト氏は自身の甘さを思い知らされた。

「ああ、ぼくはどちらかと云えば平家なんですよ」

「うぬぼれ営業」氏の言葉である。

やられてしまった。源氏か平家か、と問われれば、平家、ということなのであろうが、「どちらかと云えば」はあるまい。

しかし、この「どちらかと云えば」は初めて聞く言葉ではなかったのだ。

且つて、エヴァンジェリスト氏が卒論にカトリック作家のフランソワ・モーリアックを採り上げたことを云った際に、「うぬぼれ営業」氏が云ったのだ。

「ああ、ボクもどちらかと云えばキリスト教なんですよ」
「.....!」

宗教に「どちらかと云えば」ということはない。ないのだが、それを云うのが「うぬぼれ営業」氏なのである。出身大学の玉○大学は確かに「どちらかと云えば」キリスト教であるのかもしれないが。

因に、エヴァンジェリスト氏は、カトリック作家のフランソワ・モーリアックについて卒論を書いたが、カトリックでもプロテスタントでもない。

しかし、まさか平家について「どちらかと云えば」と来るとは思わなかったのだ。「平家だと云うのならオレの土地を買え」と云えばいいのに、その余りのいい加減さに唖然として、こう云うのが精一杯であった。


そんなエヴァンジェリスト氏と「うぬぼれ営業」氏のやり取りを聞くデカクナイノニデカ氏の横顔は、「もうこの二人との出張はよそう」と云いたげに見えた。


2012年3月17日土曜日

【呉市音戸町波多見】どちらかといえばキリスト教。どちらかとえいば平家。(中編)





「その土地、買わないかい?売ってやってもいいよ」

偉そうである。売れもしない土地である。しかも、自分でそのことを云った上で「買え」と云うのである。いや、「売ってやってもいい」と云うのである。烏滸がましいとはこのことだ。

「いや、ボクは3年前に家を買ったばかりなので」

と云うデカクナイノニデカ氏に、顔を険しくしたエヴァンジェリスト氏は云う。

「なにぃ!キミは家持ちかあ!?キミはもっといい奴かと思っていたが、見損なったな」

家持ち(マンション持ち)は大嫌いなのである。しかし、見損なうことはあるまい。

「ボクもマンションがあるので」

「うぬぼれ営業」氏が云った。またエヴァンジェリスト氏の家持ち(マンション持ち)嫌い話が始ったな、と思いながら、面倒臭そうに云った。

「あのマンションには怨霊が住んでいるじゃあないか」

前妻と住んでいたマンションであり、前妻とそこで色々と揉めた経緯から、前妻の怨霊(生き霊)が居着いているというのだ。

失礼な話である。今は、そのマンションには現在の「うぬぼれ営業」夫人であるカンサイデモナイ・トーカイデモナイ・チュラデスさんと平和に暮らしているのだ。

そう反論すればいいのに、そこは気配り帝王の「うぬぼれ営業」氏である。こう云った。

「まあ、確かに怨霊がいるかもしれないですね。各部屋の四隅にお清めの塩を置いてありますから」




「だったら、等価交換しよう」
「等価、ですか?」
「嫌か?」
「嫌……いや、まあ、その、コチラは横浜市ですから」
「音戸町波多見[はたみ]は、まあ田舎ではある。.....が、音戸町からは、城みちるが出ているんだ」
「へええ」
「一旦、引退した後、地元広島で芸能活動を再開した頃であったか、地元広島のテレビで衝撃的なCMを見た」

城みちるのことなんか、どうでもいいのだが、そうも云えず、「うぬぼれ営業」氏とデカクナイノニデカ氏は黙って聞いていた。

「城みちるが、『なだや』の社長と一緒に出て来て、『ボクはイルカに乗った少年、おじさんはイリコに乗った中年』と云っていたのだ。『なだや』の安芸いりこのCMだ」

「ふへへへ」

「うぬぼれ営業」氏は愛想笑いをした。城みちるのことは知らなくはないが、イルカに乗ろうがイリコに乗ろうが知ったことではない、というのが本音なのだ。

「確か、『ひょうきん族』にも出てましたよね?」

少しは反応しないと悪かろう、とデカクナイノニデカ氏も重そうに口を開いた。

「そうだ、そうだ。『風雲!たけし城』にも出ていたぞ」
「ああ」
「その音戸町だぞ」
「いや、そう云われても......」

余計なことを云うのではなかった、とデカクナイノニデカ氏は後悔しているように見えた。


2012年3月16日金曜日

【呉市音戸町波多見】どちらかといえばキリスト教。どちらかとえいば平家。(前編)



鎌倉パスタさんすて岡山店(つまり、岡山駅の鎌倉パスタ)が閉店となることを知った憔悴のエヴァンジェリスト氏は(やめないで、鎌倉パスタ!.......さんすて岡山店。)、「うぬぼれ営業」氏とデカクナイノニデカ氏を連れ,岡山駅一番街(岡山駅前の地下街)のサンマルクカフェに行った。訪問先に入るにはまだ時間があったからであった。

サンマルクカフェで、鎌倉パスタさんすて岡山店閉店のショックを払拭するかのように、エヴァンジェリスト氏は「うぬぼれ営業」氏とデカクナイノニデカ氏に対してまくしたてた。

しかし、その時、エヴァンジェリスト氏は、鎌倉パスタがサンマルクと同じ企業グループ(サンマルクグループ)であることをまだ知らなかった。知っていたら、さすがにその時、サンマルクカフェには入らなかったであろう。サンマルクグループが何かいけないことをした訳ではないが。

最近、エヴァンジェリスト氏は、自身の資金繰りの苦しさ(つまり、貧しさ)を売り物としており、その資金繰りの苦しさ解消の一手段として、資産処分をしようとしている。その資産の購入を「うぬぼれ営業」氏とデカクナイノニデカ氏に持ち掛けたのだ。

還暦を手前にして未だに賃貸住まいであり、また、運転免許も持たず、従って、クルマも持たないエヴァンジェリスト氏には本来、処分すべき資産はない。

しかし、3年前、チチ・エヴァンジェリストが何を思ったか、エヴァンジェリスト家の田舎(広島県呉市音戸町波多見[はたみ])にある土地と家をエヴァンジェリスト氏に生存贈与したのである

しかし、未だに資金繰りの苦しさを売り物にしているのは(それを相手にするこちらとしてはハタ迷惑ではあるが)、その土地がとても売れる代物ではないからである。上物(家)は、ご覧の通り、廃屋で元々、資産価値はない。



呉市からは、忘れずに固定資産税の請求は来る。言わば、負の資産である。

......等といった事情をまくしたてた上で、「うぬぼれ営業」氏とデカクナイノニデカ氏に云うのであった。

「その土地、買わないかい?売ってやってもいいよ」


2012年3月14日水曜日

【ネーミング】「新しいiPad」の名前を知らないんですか?

「ホント、皆、分ってないんだなあ.......悲しいよ」

「『新しいiPad』の名前って、『新しいiPad』なんですか?」と訊いたところ、うんざりだという感情を隠すこともなく、吐き出すようにエヴァンジェリスト氏が云った。

「これじゃ、スティーブもおちおち死んでられないなあ」
「じゃあ、何て名前なんですか?」

「『新しいiPad』の名前は、『iPad』に決っておる!
「へ?」
「名前が『iPad』だから、新しい『iPad」(The new iPad)なんだ」

エヴァンジェリスト氏曰く、iMacは新しくなっても名前はiMacだし、MacBookProも新しくなってもMacBookPro、そして、MacBookAirも新しいものもMacBookAir、ということである。

そう云われればその通りである。Appleの自身の商品へのネーミングは、エヴァンジェリスト氏の云う通りである。iPhoneには「3」とか「3G」、「4」、「4S」と付けているし、iPadにも「2」が付いた。しかし、Appleの商品のネーミングの基本は、商品に番号は付けず、同じシリーズの商品の名前は新しくなっても変えないのだ。

珍しくまともなことを云うエヴァンジェリスト氏であった。

「世には、自身の製品に直ぐに○○○○○ III とか、○○○○○ IV なんて名前を付けたがる者がいる。それが駄目とは云わんが、そうネーミングする時には覚悟が必要なんだ」
「あのことですか?」
「商品名に『III』なんて付けるから、次は『IV』,その次は『IV』だろうと勝手に予想、期待されてしまうのだ。そして、実際にそうネーミングしてしまうことになるのだ。しかも、『III』が『IV』、『IV』が『V』になるとメジャー・バージョンアップと期待され、しかし、その期待程の内容がないと顧客やマスコミはがっかりするのだ。自身が付けたネーミングの呪縛に囚われることになるのだ」

今回ばかりは云おう、さすがネーミングの帝王と云われるだけのことはありますね、エヴァンジェリスト氏

【WWE】ごめんなさい、ケンドー・カシン。いや、石澤常光さん。



ごめんなさい、ケンドー・カシン。いや、石澤常光さん。


【WWE】プロレス団体を財務分析してみる。......ワカシショー・ブラック氏。に、「ワカシショー・ブラック氏以外に、真剣にプロレス団体の財務分析をする人を知らない」と記したが、ケンドー・カシン、いや、石澤常光さんが、早稲田大学の社会人大学院(修士1年制)に入り、その時に書いた論文「日本におけるプロレス団体のマネジメントに関する考察」で真剣にプロレス団体の財務分析をされていたのだ


論文の目的は、文字通り、日本におけるプロレス団体のマネジメントに関するものであり、プロレス団体の財務分析ではない。しかし、マネジメントについての考察の一環として、WWEと新日本プロレスの財務分析もされているのだ。プロレス団体ではないが、UFCについても財務分析、考察をされている。

立派な論文である。しかし、エヴァンジェリスト氏は云う。

「よくできた論文ではあるが、不足なところもあるなあ。プロレスのあり方については、猪木さんや、別冊・昭和プロレス異人伝さん(プロレス等に関する名Blogである)が日頃、云われていることと同じである。ワシもそこに異論はない。ワシには理解できるが、もっと説明があってしかるべきであろう。技のあり方等、歴史的アプローチがあっても良かったとは思うなあ」

相変らず偉そうである。

そこで、云ってやった。

「石澤常光さんの論文『日本におけるプロレス団体のマネジメントに関する考察』はネットで見ることができましたよね。アナタのフランソワ・モーリアックに関する論文もネットで見られるかなあ。ヒヒヒヒヒ」

「.......」

さすがのエヴァンジェリスト氏も絶句した。ネットで論文が見られる時代とは怖い時代である。

ところで、石澤常光さんの論文の最後尾の「謝辞」が面白い。石澤常光からケンドー・カシンになっている部分があるのだ


2012年3月10日土曜日

やめないで、鎌倉パスタ!.......さんすて岡山店。

滅多にショックを受けることのないエヴァンジェリスト氏が、先日の夫人(マダム・エヴァンジェリスト)と反町隆史との一件【ミステリー】女房を返せ、反町隆史よ!(前編)【ミステリー】女房を返せ、反町隆史よ!(後編)に続き、ショックを受けた........


氏の許に戻って来た「うぬぼれ営業」氏とデカクナイノニデカ氏と一緒という、珍しい組合せの出張で岡山に行ったエヴァンジェリスト氏であった。

共に久しぶりの岡山で、どこで昼食をとっていいかも分らぬ「うぬぼれ営業」氏とデカクナイノニデカ氏を連れ、鎌倉パスタさんすて岡山店(つまり、岡山駅の鎌倉パスタ)に入ったのである。

「いい店、連れて行ってやるよ」

昨年(2011年)9月にもオレハオトコダヒロイン氏を連れて入ったのだ。「岡山と云えば、ままかり、だな」と云いながら、岡山駅にも店を持ち、ままかり寿司で有名な吾妻寿司に選ばずに、昼食をとりに入ったのが、鎌倉パスタさんすて岡山店であった[「ままかり」か「鎌倉パスタ」か]。

今回、またしてもエヴァンジェリスト氏が注文したのは、「熟成厚切りベーコンのカルボナーラ 鎌倉風」であった。






好きなカルボナーラを食し満足げなエヴァンジェリスト氏に、「うぬぼれ営業」氏とデカクナイノニデカ氏は、「ここのパスタ美味しいですね」と同調してみせた。

真実なるものを持たぬ「うぬぼれ営業」氏の言葉はともかく、向井理に似ていると評判のデカクナイノニデカ氏の言葉は信用できると満足げなエヴァンジェリスト氏は、

「まあ、君たち、岡山に来たら、またこの鎌倉パスタに来るといいさ。ハッハッハ」

と先輩風を吹かせた。

.........が、その後に、氏は奈落の底に突き落とされたのである。


食事が終り、レジで支払を済ませたエヴァンジェリスト氏に割引券を渡しながら店の女性が云ったのだ。

「今月末で閉店しますので、割引券はそれまでにお使い頂くか、でも他店でも使えますので」
「えっ!閉店ですか?」
「はい、閉店します」

鎌倉パスタさんすて岡山店は、今月末(2012年3月末)で閉店するというのだ。

ショックである。お気に入りの店であったのだ。「まあ、君たち、岡山に来たら、またこの鎌倉パスタに来るといいさ。ハッハッハ」と先輩風を吹かせた店であったのである。

「やめないで、鎌倉パスタ!」

鎌倉パスタは、岡山以外にも各地にあるのだから、エヴァンジェリスト氏の住む東京多摩地区にもあるのだから、「さんすて岡山店」が閉店しようと構わないと思うのだが、何らかの拘りがエヴァンジェリスト氏にはあるようだ。

憔悴のエヴァンジェリスト氏は、その後、「うぬぼれ営業」氏とデカクナイノニデカ氏を連れ,岡山駅一番街(岡山駅前の地下街)のサンマルクカフェに行った。訪問先に入るにはまだ時間があったのである。

2012年3月7日水曜日

【WWE】プロレス団体を財務分析してみる。......ワカシショー・ブラック氏。



エヴァンジェリスト氏という存在が信じ難いものであることは、このBlogの読者ならよくご存じかと思うが、もう一人その存在が信じ難くなって来た人がいる。


ワカシショー・ブラック氏である。


何を思ったか、ワカシショー・ブラック氏は、このところ、プロレス団体の財務分析をするようになったのだ。


ワカシショー・ブラック氏のBlog(主に企業分析と読書関係 とりあえず記録しておこう)は、読書関係の記載もあるが(これも信じ難いことに、1冊/日ペースで本を読んでいるのだ)、財務分析(企業分析)がメイン・テーマである。


ワカシショー・ブラック氏は、経常収支比率を考案したと云われる國弘員人先生を敬愛しているらしい。


ワカシショー・ブラック氏は、エヴァンジェリスト氏のさりげない一言「10億円の債務超過の新日本プロレスが、ユークスからブシロードに売却された」を聞いたとたん、「じゃあ、アメリカのメジャー・プロレス団体のWWEの財務状態はどうなっているんだ」と思い、ネットでWWEの決算書を入手し、財務分析を始めたのだ。


「WWEをプロレス団体と呼ぶな!」というエヴァンジェリスト氏の叫びもものかは、笑みを浮かべながら、WWEの決算書に見入ったのだ。


WWEの後には、その比較対象として新日本プロレスの分析も始めたのだ。


ワカシショー・ブラック氏以外に、真剣にプロレス団体の財務分析をする人を知らない。


ワカシショー・ブラック氏は何を考えているのか。


尚、福岡の特派員から、WWEの財務分析をする人が世にはいるらしい、という噂が福岡で最近、広まり始めているという情報が入った


多分、ワカシショー・ブラック氏のことであろうが、誰がそんな情報を流したのであろうか?