2022年11月30日水曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その342]

 


「うふっ…」


と、ビエール少年の『反応』を見たのか、感じたのか、少女『トシエ』の方は、片頬を微かに上に歪めた。


1967年4月のある土曜日、広島市立牛田中学を出た1年X組のビエール少年と『ボッキ』少年が、『ハナタバ』少年と、後で『秘密の入口』で会おう、と別れたところであった。いつからか、ビエール少年と『ボッキ』少年の背後にいた少女『トシエ』が、『秘密』という言葉を捉え、何の『秘密』か追求していたところ、遠りがかった赤い髪の若い外国人女性が、『バド』と呼ばれているビエール少年に対して、アメリカ人なのかと訊き、ビエール少年と英語での会話を交わしたのを見て、『ボッキ』少年と少女『トシエ』が、ビエール少年の英語力に感嘆していたことから、ビエール少年が見ているというNHK教育テレビの『テレビ英語会話』話題へとなっていた。そして、更に、少女『トシエ』が、奥さんが英語喋れない訳にはいかないから、自分も『テレビ英語会話』見るようにすると云い出し、少女の妄想は、ビエール少年の妻となった自分が、『整体拝受』の際の『ホスチア』だって作るかもしれない、とまで拡がっていっていた。しかし、『ボッキ』少年が、自分はキリスト教の知識のない理由として、お経の一節、『ナ~ムア~ミダ~ンブー』を唱えたことから、広島には『浄土真宗』の家が多いらしい、とビエール少年が博識ぶりを見せ、『ボッキ』少年も『東本願寺』、『西本願寺』を持ち出しはしたものの、『浄土真宗』が『東』と『西』とに別れた事情を知らず、ビーエル少年が、元は一つの『本願寺』だった『石山本願寺』を信長が攻撃したことが原因と説明しだした。そして、その『石山本願寺』信長がなかなか攻め切れなかったのは、『毛利輝元』が『石山本願寺』に食料とか武器なんかを提供して味方したからだとも説明をしたのだ。そこで、少女『トシエ』が、『石山本願寺』にお好み焼きも差し入れしたのだろうか、と云い出し、ビエール少年はそれを否定したが、少女『トシエ』は今度は、『もみじ饅頭』を差し入れしたのだろう、と云い出しことから、話は『もみじ饅頭』という名前の謂れ(『伊藤博文』が名前のヒントを与えた)へと派生していっていた。だが、話は、『伊藤博文』が、山口県光市出身であることから、『夢の超特急』に移っていったものの、今度は、『光市』から臨海学校へと移ってきたのであった。『光市』は、当時(19060年代である)、広島の学校がよく臨海学校で行くところであったからである。そして、最初は臨海学校に興味なさげであった少女『トシエ』が、ビエール少年と(だけではないが)教室で一緒に寝ることになるであろう臨海学校に眼を輝かせ、あろうことかネグリジェを着るとまで云い出し、ビエール少年は、『かわいい魔女ジニー』の姿態を思い出し、股間に『異変」を生じさせていたが、『ボッキ』少年の言葉で、どうにか『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻ったのではあった。だが、『浄土真宗』を広めた『親鸞』の子孫『蓮如』の関連して、晩年、『浄土真宗』に改宗した『一休さん』へとまたまた話は逸れたが、ビエール少年は、なんとかまた『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻し、『信長』が和睦の為、『本願寺』に渡した『一文字呉器』に言及したところ、少女『トシエ』は、『呉器』を『ゴキブリ』と勘違いし、『ボッキ』少年は、『一文』から『ジャイアント馬場』の『十六文キック』の言及してきたので、ビエール少年は、あらためて『一文字呉器』を解説したが、『ボッキ」少年がなかなか理解できないでいる様子である一方、少女『トシエ』は、『ジャイアント馬場』の『十六文』は、実は『文』ではなくアメリカの靴のサイズに由来するというビエール少年の説明を理解していることを自慢し、更に、ビエール少年がアメリカの靴のサイズのことまで知っていることまで自慢げに云い、アメリカで靴を買う時にはビエール少年に付き添って欲しいと云出だし、その際には『ガラスの靴』を買うと云ったことから、話は、今度は、『シンデレラ』に及び、ビエール少年は、『シンデレラ』があだ名であり、その名前の由来について言及していたところ、少女『トシエ』がいきなり、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と叫び声を上げた。そして、『シンデレラ』からさらに派生してドイツの国鉄の名前を出したところ、少女『トシエ』がまた、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と、ビエール少年のドイツ語力に感激し、叫び声を上げたのもものかわ、ビエール少年は、ドイツ語、フランス語、英語で、『シンデレラ』の名前の由来を解説したが、『ボッキ』少年は、話を『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情を戻すよう要求したものの、話は、また『ゴキブリ』から『アブラムシ』、そして、その英語『コックローチ』、更に、スペイン語の『クカラチャ』へと展開してしまった。そこからまた、スペインに絡んで、少女『トシエ』が情熱的な『フラメンコ』を踊りたいと云い出し、更に更に話は派生し、『星のフラメンコ』を歌った『西郷輝彦』から、当時(1960年代である)の歌手の『御三家』の『橋幸夫』、『舟木一夫』、そして、『舟木一夫』のヒット曲『高校三年生』へと展開し、今、『高校』という言葉から『広島皆実高校』について、『ボッキ』少年と少女『トシエ』は、語り始め、少女『トシエ』は、『広島皆実高校』にある『衛生看護科』に入って、看護婦になりたいと云った。で、『ボッキ』少年は、『広島皆実高校』は、元は『県女』だと云い、続けて、何故か、当時(1967年頃である)始った視聴者参加のテレビ番組『家族そろって歌合戦』の審査委員長である作曲家『高木東六』を出してきた。それは、『高木東六』が、自分の妻が『広島皆実高校』の前身である『広島県立広島高等女学校』(『県女』)の出身であることから、『広島皆実高校』の校歌を作曲したからであった、と『ボッキ』少年は説明したが、ビエール少年は、そのことに興味なさげであった為、『ボッキ』少年は、美人女優『月丘夢路』も『県女』出身だと説明したところ、少女『トシエ』が、自分も『皆実』の『看護科』に入って、『月丘夢路』みたいな美人の看護婦さんになると云い出し、更には、ピンクの看護師服の存在を持ち出してきたことで、ビエール少年の体のある部分は、『ピンク』という言葉に微かに『反応』しかけたのであった。


「『バド』は、白い白衣が似合う思うんよ」

「白い白衣…?」


『白い白衣』は、『ピンクの白衣』とは異なり、矛盾はしないものの、言葉の重複により、ビエール少年の脳は、認知的不協和に襲われた。


「白衣の上に、いつでも聴診器を下げとるんよ。格好ええねえ」

「内科だね」


ビエール少年の脳は、『白衣に聴診器』でなんとか認知的不協和から脱した。しかし…


「ウチ、『バド』になら、聴診器を当ててもろうてもええよ」


という予期せぬ展開に、ビエール少年の脳は、御することのできないある変化が自らの体のある部分に生じる可能性を予期し始めた。


「え?」

「ちょっと恥ずかしいけど、服めくるけえ」

「は!?いや…(んぐ…)


ビエール少年の眼は、思わず、少女『トシエ』の胸部に向かい、そこに聴診器をあてる自らの姿が見えたような感覚に囚われ、ビエール少年の体のある部分は、脳の予感通り、微かに『反応』しかけた。




「あ、いけん、いけん。ウチは、看護婦さんじゃった」

「あ、ああ、そうだよ。あ、いや、そういうことじゃなくっ…」


ある過ちを是正することで別の過ちを肯定することになりかねないという歪んだスパイラルに陥りそうになり、ビエール少年の思考は、混乱をきたした。



(続く)




2022年11月29日火曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その341]

 


「『バド』も『皆実』に入って、『広大』に行って、『ボッキ』くんのお兄さんみたいにお医者さんになりんさいや」


と、ビエール少年に、『広島皆実高校』→『広島大学』→『医者』というルートを奨める少女『トシエ』の眼の奥には、ある計画の炎が煌めいていた。


1967年4月のある土曜日、広島市立牛田中学を出た1年X組のビエール少年と『ボッキ』少年が、『ハナタバ』少年と、後で『秘密の入口』で会おう、と別れたところであった。いつからか、ビエール少年と『ボッキ』少年の背後にいた少女『トシエ』が、『秘密』という言葉を捉え、何の『秘密』か追求していたところ、遠りがかった赤い髪の若い外国人女性が、『バド』と呼ばれているビエール少年に対して、アメリカ人なのかと訊き、ビエール少年と英語での会話を交わしたのを見て、『ボッキ』少年と少女『トシエ』が、ビエール少年の英語力に感嘆していたことから、ビエール少年が見ているというNHK教育テレビの『テレビ英語会話』話題へとなっていた。そして、更に、少女『トシエ』が、奥さんが英語喋れない訳にはいかないから、自分も『テレビ英語会話』見るようにすると云い出し、少女の妄想は、ビエール少年の妻となった自分が、『整体拝受』の際の『ホスチア』だって作るかもしれない、とまで拡がっていっていた。しかし、『ボッキ』少年が、自分はキリスト教の知識のない理由として、お経の一節、『ナ~ムア~ミダ~ンブー』を唱えたことから、広島には『浄土真宗』の家が多いらしい、とビエール少年が博識ぶりを見せ、『ボッキ』少年も『東本願寺』、『西本願寺』を持ち出しはしたものの、『浄土真宗』が『東』と『西』とに別れた事情を知らず、ビーエル少年が、元は一つの『本願寺』だった『石山本願寺』を信長が攻撃したことが原因と説明しだした。そして、その『石山本願寺』信長がなかなか攻め切れなかったのは、『毛利輝元』が『石山本願寺』に食料とか武器なんかを提供して味方したからだとも説明をしたのだ。そこで、少女『トシエ』が、『石山本願寺』にお好み焼きも差し入れしたのだろうか、と云い出し、ビエール少年はそれを否定したが、少女『トシエ』は今度は、『もみじ饅頭』を差し入れしたのだろう、と云い出しことから、話は『もみじ饅頭』という名前の謂れ(『伊藤博文』が名前のヒントを与えた)へと派生していっていた。だが、話は、『伊藤博文』が、山口県光市出身であることから、『夢の超特急』に移っていったものの、今度は、『光市』から臨海学校へと移ってきたのであった。『光市』は、当時(19060年代である)、広島の学校がよく臨海学校で行くところであったからである。そして、最初は臨海学校に興味なさげであった少女『トシエ』が、ビエール少年と(だけではないが)教室で一緒に寝ることになるであろう臨海学校に眼を輝かせ、あろうことかネグリジェを着るとまで云い出し、ビエール少年は、『かわいい魔女ジニー』の姿態を思い出し、股間に『異変」を生じさせていたが、『ボッキ』少年の言葉で、どうにか『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻ったのではあった。だが、『浄土真宗』を広めた『親鸞』の子孫『蓮如』の関連して、晩年、『浄土真宗』に改宗した『一休さん』へとまたまた話は逸れたが、ビエール少年は、なんとかまた『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻し、『信長』が和睦の為、『本願寺』に渡した『一文字呉器』に言及したところ、少女『トシエ』は、『呉器』を『ゴキブリ』と勘違いし、『ボッキ』少年は、『一文』から『ジャイアント馬場』の『十六文キック』の言及してきたので、ビエール少年は、あらためて『一文字呉器』を解説したが、『ボッキ」少年がなかなか理解できないでいる様子である一方、少女『トシエ』は、『ジャイアント馬場』の『十六文』は、実は『文』ではなくアメリカの靴のサイズに由来するというビエール少年の説明を理解していることを自慢し、更に、ビエール少年がアメリカの靴のサイズのことまで知っていることまで自慢げに云い、アメリカで靴を買う時にはビエール少年に付き添って欲しいと云出だし、その際には『ガラスの靴』を買うと云ったことから、話は、今度は、『シンデレラ』に及び、ビエール少年は、『シンデレラ』があだ名であり、その名前の由来について言及していたところ、少女『トシエ』がいきなり、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と叫び声を上げた。そして、『シンデレラ』からさらに派生してドイツの国鉄の名前を出したところ、少女『トシエ』がまた、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と、ビエール少年のドイツ語力に感激し、叫び声を上げたのもものかわ、ビエール少年は、ドイツ語、フランス語、英語で、『シンデレラ』の名前の由来を解説したが、『ボッキ』少年は、話を『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情を戻すよう要求したものの、話は、また『ゴキブリ』から『アブラムシ』、そして、その英語『コックローチ』、更に、スペイン語の『クカラチャ』へと展開してしまった。そこからまた、スペインに絡んで、少女『トシエ』が情熱的な『フラメンコ』を踊りたいと云い出し、更に更に話は派生し、『星のフラメンコ』を歌った『西郷輝彦』から、当時(1960年代である)の歌手の『御三家』の『橋幸夫』、『舟木一夫』、そして、『舟木一夫』のヒット曲『高校三年生』へと展開し、今、『高校』という言葉から『広島皆実高校』について、『ボッキ』少年と少女『トシエ』は、語り始め、少女『トシエ』は、『広島皆実高校』にある『衛生看護科』に入って、看護婦になりたいと云った。で、『ボッキ』少年は、『広島皆実高校』は、元は『県女』だと云い、続けて、何故か、当時(1967年頃である)始った視聴者参加のテレビ番組『家族そろって歌合戦』の審査委員長である作曲家『高木東六』を出してきた。それは、『高木東六』が、自分の妻が『広島皆実高校』の前身である『広島県立広島高等女学校』(『県女』)の出身であることから、『広島皆実高校』の校歌を作曲したからであった、と『ボッキ』少年は説明したが、ビエール少年は、そのことに興味なさげであった為、『ボッキ』少年は、美人女優『月丘夢路』も『県女』出身だと説明したところ、少女『トシエ』は、自分も『皆実』の『看護科』に入って、『月丘夢路』みたいな美人の看護婦さんになると云い出していた。


「ああ、お医者さんねえ」


少女『トシエ』の秘めたる計画に気付かぬビエール少年は、それまで思い描いたこともなかった自らの白衣姿を、無防備なまま、脳裏に浮かべた。


「『バド』は、白衣が似合うねえ」


ビエール少年の脳裏を覗き見たかのようにそう云った少女『トシエ』は、閉じた唇の間から少しだけ舌をのぞかせた。


「え?」


舌を出す蛇に睨まれたかのような感覚に襲われたビエール少年は、身を震わせた。




「ウチのは、ピンクがエエかあ思うんよ」

「『ウチのは』?」


ビエール少年は、蛇、いや、少女『トシエ』の言葉の意味を掴みかねた。


「最近はねえ、看護婦さんの白衣にピンクのも出てきとるみたいなんよ」


この頃(1960年代である)、看護師の服のカラー化が始っていたのである。


「ピンク!?(んぐ…)


白衣なのに色がピンク、という言葉の矛盾が気になりながらも、そして、それはただ『色』の言葉に過ぎないのに、ビエール少年の体のある部分は、『ピンク』という言葉に微かに『反応』しかけたのであった。



(続く)




2022年11月28日月曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その340]

 


「なんねえ、『皆実』には、すっごい美人さんがおるん?!」


と、少女『トシエ』は、まだ見ぬ存在に対して、敵意を隠さなかった。


1967年4月のある土曜日、広島市立牛田中学を出た1年X組のビエール少年と『ボッキ』少年が、『ハナタバ』少年と、後で『秘密の入口』で会おう、と別れたところであった。いつからか、ビエール少年と『ボッキ』少年の背後にいた少女『トシエ』が、『秘密』という言葉を捉え、何の『秘密』か追求していたところ、遠りがかった赤い髪の若い外国人女性が、『バド』と呼ばれているビエール少年に対して、アメリカ人なのかと訊き、ビエール少年と英語での会話を交わしたのを見て、『ボッキ』少年と少女『トシエ』が、ビエール少年の英語力に感嘆していたことから、ビエール少年が見ているというNHK教育テレビの『テレビ英語会話』話題へとなっていた。そして、更に、少女『トシエ』が、奥さんが英語喋れない訳にはいかないから、自分も『テレビ英語会話』見るようにすると云い出し、少女の妄想は、ビエール少年の妻となった自分が、『整体拝受』の際の『ホスチア』だって作るかもしれない、とまで拡がっていっていた。しかし、『ボッキ』少年が、自分はキリスト教の知識のない理由として、お経の一節、『ナ~ムア~ミダ~ンブー』を唱えたことから、広島には『浄土真宗』の家が多いらしい、とビエール少年が博識ぶりを見せ、『ボッキ』少年も『東本願寺』、『西本願寺』を持ち出しはしたものの、『浄土真宗』が『東』と『西』とに別れた事情を知らず、ビーエル少年が、元は一つの『本願寺』だった『石山本願寺』を信長が攻撃したことが原因と説明しだした。そして、その『石山本願寺』信長がなかなか攻め切れなかったのは、『毛利輝元』が『石山本願寺』に食料とか武器なんかを提供して味方したからだとも説明をしたのだ。そこで、少女『トシエ』が、『石山本願寺』にお好み焼きも差し入れしたのだろうか、と云い出し、ビエール少年はそれを否定したが、少女『トシエ』は今度は、『もみじ饅頭』を差し入れしたのだろう、と云い出しことから、話は『もみじ饅頭』という名前の謂れ(『伊藤博文』が名前のヒントを与えた)へと派生していっていた。だが、話は、『伊藤博文』が、山口県光市出身であることから、『夢の超特急』に移っていったものの、今度は、『光市』から臨海学校へと移ってきたのであった。『光市』は、当時(19060年代である)、広島の学校がよく臨海学校で行くところであったからである。そして、最初は臨海学校に興味なさげであった少女『トシエ』が、ビエール少年と(だけではないが)教室で一緒に寝ることになるであろう臨海学校に眼を輝かせ、あろうことかネグリジェを着るとまで云い出し、ビエール少年は、『かわいい魔女ジニー』の姿態を思い出し、股間に『異変」を生じさせていたが、『ボッキ』少年の言葉で、どうにか『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻ったのではあった。だが、『浄土真宗』を広めた『親鸞』の子孫『蓮如』の関連して、晩年、『浄土真宗』に改宗した『一休さん』へとまたまた話は逸れたが、ビエール少年は、なんとかまた『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻し、『信長』が和睦の為、『本願寺』に渡した『一文字呉器』に言及したところ、少女『トシエ』は、『呉器』を『ゴキブリ』と勘違いし、『ボッキ』少年は、『一文』から『ジャイアント馬場』の『十六文キック』の言及してきたので、ビエール少年は、あらためて『一文字呉器』を解説したが、『ボッキ」少年がなかなか理解できないでいる様子である一方、少女『トシエ』は、『ジャイアント馬場』の『十六文』は、実は『文』ではなくアメリカの靴のサイズに由来するというビエール少年の説明を理解していることを自慢し、更に、ビエール少年がアメリカの靴のサイズのことまで知っていることまで自慢げに云い、アメリカで靴を買う時にはビエール少年に付き添って欲しいと云出だし、その際には『ガラスの靴』を買うと云ったことから、話は、今度は、『シンデレラ』に及び、ビエール少年は、『シンデレラ』があだ名であり、その名前の由来について言及していたところ、少女『トシエ』がいきなり、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と叫び声を上げた。そして、『シンデレラ』からさらに派生してドイツの国鉄の名前を出したところ、少女『トシエ』がまた、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と、ビエール少年のドイツ語力に感激し、叫び声を上げたのもものかわ、ビエール少年は、ドイツ語、フランス語、英語で、『シンデレラ』の名前の由来を解説したが、『ボッキ』少年は、話を『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情を戻すよう要求したものの、話は、また『ゴキブリ』から『アブラムシ』、そして、その英語『コックローチ』、更に、スペイン語の『クカラチャ』へと展開してしまった。そこからまた、スペインに絡んで、少女『トシエ』が情熱的な『フラメンコ』を踊りたいと云い出し、更に更に話は派生し、『星のフラメンコ』を歌った『西郷輝彦』から、当時(1960年代である)の歌手の『御三家』の『橋幸夫』、『舟木一夫』、そして、『舟木一夫』のヒット曲『高校三年生』へと展開し、今、『高校』という言葉から『広島皆実高校』について、『ボッキ』少年と少女『トシエ』は、語り始め、少女『トシエ』は、『広島皆実高校』にある『衛生看護科』に入って、看護婦になりたいと云った。で、『ボッキ』少年は、『広島皆実高校』は、元は『県女』だと云い、続けて、何故か、当時(1967年頃である)始った視聴者参加のテレビ番組『家族そろって歌合戦』の審査委員長である作曲家『高木東六』を出してきた。それは、『高木東六』が、自分の妻が『広島皆実高校』の前身である『広島県立広島高等女学校』(『県女』)の出身であることから、『広島皆実高校』の校歌を作曲したからであった、と『ボッキ』少年は説明したが、ビエール少年は、そのことに興味なさげであった為、『ボッキ』少年は、『県女』には『すっごい綺麗な女の人』と云い出したのだ。


「『皆実』じゃのうて、『県女』におったんじゃ」


と、『ボッキ』少年は、正確を期した。


「『県女』は、『皆実』なんじゃろ?」

「ほうじゃが、すっごい綺麗な女の人がおったんは、『県女』の頃じゃけえ、昔の話よ」

「なんじゃあ、昔のことね。その美人さん、今はおらんのじゃね。まあ、今、おりんさっても、『バド』が『皆実』に入る頃はもう卒業しとるよねえ」


と、少女『トシエ』は、ホッとしたようであった。


「その綺麗な女の人はのお、『月丘夢路』なんでえ」

「『月丘夢路』って、あの美人の女優の?」


ビエール少年が反応した。『月丘夢路』は、自分の母親くらいの年齢の女優であったが、少年であっても美人だと認識できる程の美貌の持ち主であった。


「ええ、そうなん!『月丘夢路』さん、『皆実』じゃったん?!」

「ほうよ、『皆実』は、名門じゃけえのお」


正確を期そうとするわりに、名門だから美人が出る、というのは、理屈にはなっていないが、『ボッキ』少年は、自慢げにそう云った。


「ほいじゃったら、ウチ、もっと勉強して、『皆実』の『看護科』に入って、『月丘夢路』みたいな美人の看護婦さんになって、病人の人をようけ助けてあげるけえ」

「『月丘夢路』は、美人じゃけど、看護婦さんじゃないで。映画で看護婦さん役したことはあるかもしれんけど」


『ボッキ』少年は、再び、正確を期してきた。




しかし、


「でも、看護婦さんって、尊い仕事だよね」


と、ビエール少年が、少女『トシエ』の志を評価する言葉を口にしたところ…



(続く)




2022年11月27日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その339]

 


「『県女』の話だったよね?」


と、ビエール少年は、元の話題を忘れていなかった。


1967年4月のある土曜日、広島市立牛田中学を出た1年X組のビエール少年と『ボッキ』少年が、『ハナタバ』少年と、後で『秘密の入口』で会おう、と別れたところであった。いつからか、ビエール少年と『ボッキ』少年の背後にいた少女『トシエ』が、『秘密』という言葉を捉え、何の『秘密』か追求していたところ、遠りがかった赤い髪の若い外国人女性が、『バド』と呼ばれているビエール少年に対して、アメリカ人なのかと訊き、ビエール少年と英語での会話を交わしたのを見て、『ボッキ』少年と少女『トシエ』が、ビエール少年の英語力に感嘆していたことから、ビエール少年が見ているというNHK教育テレビの『テレビ英語会話』話題へとなっていた。そして、更に、少女『トシエ』が、奥さんが英語喋れない訳にはいかないから、自分も『テレビ英語会話』見るようにすると云い出し、少女の妄想は、ビエール少年の妻となった自分が、『整体拝受』の際の『ホスチア』だって作るかもしれない、とまで拡がっていっていた。しかし、『ボッキ』少年が、自分はキリスト教の知識のない理由として、お経の一節、『ナ~ムア~ミダ~ンブー』を唱えたことから、広島には『浄土真宗』の家が多いらしい、とビエール少年が博識ぶりを見せ、『ボッキ』少年も『東本願寺』、『西本願寺』を持ち出しはしたものの、『浄土真宗』が『東』と『西』とに別れた事情を知らず、ビーエル少年が、元は一つの『本願寺』だった『石山本願寺』を信長が攻撃したことが原因と説明しだした。そして、その『石山本願寺』信長がなかなか攻め切れなかったのは、『毛利輝元』が『石山本願寺』に食料とか武器なんかを提供して味方したからだとも説明をしたのだ。そこで、少女『トシエ』が、『石山本願寺』にお好み焼きも差し入れしたのだろうか、と云い出し、ビエール少年はそれを否定したが、少女『トシエ』は今度は、『もみじ饅頭』を差し入れしたのだろう、と云い出しことから、話は『もみじ饅頭』という名前の謂れ(『伊藤博文』が名前のヒントを与えた)へと派生していっていた。だが、話は、『伊藤博文』が、山口県光市出身であることから、『夢の超特急』に移っていったものの、今度は、『光市』から臨海学校へと移ってきたのであった。『光市』は、当時(19060年代である)、広島の学校がよく臨海学校で行くところであったからである。そして、最初は臨海学校に興味なさげであった少女『トシエ』が、ビエール少年と(だけではないが)教室で一緒に寝ることになるであろう臨海学校に眼を輝かせ、あろうことかネグリジェを着るとまで云い出し、ビエール少年は、『かわいい魔女ジニー』の姿態を思い出し、股間に『異変」を生じさせていたが、『ボッキ』少年の言葉で、どうにか『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻ったのではあった。だが、『浄土真宗』を広めた『親鸞』の子孫『蓮如』の関連して、晩年、『浄土真宗』に改宗した『一休さん』へとまたまた話は逸れたが、ビエール少年は、なんとかまた『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻し、『信長』が和睦の為、『本願寺』に渡した『一文字呉器』に言及したところ、少女『トシエ』は、『呉器』を『ゴキブリ』と勘違いし、『ボッキ』少年は、『一文』から『ジャイアント馬場』の『十六文キック』の言及してきたので、ビエール少年は、あらためて『一文字呉器』を解説したが、『ボッキ」少年がなかなか理解できないでいる様子である一方、少女『トシエ』は、『ジャイアント馬場』の『十六文』は、実は『文』ではなくアメリカの靴のサイズに由来するというビエール少年の説明を理解していることを自慢し、更に、ビエール少年がアメリカの靴のサイズのことまで知っていることまで自慢げに云い、アメリカで靴を買う時にはビエール少年に付き添って欲しいと云出だし、その際には『ガラスの靴』を買うと云ったことから、話は、今度は、『シンデレラ』に及び、ビエール少年は、『シンデレラ』があだ名であり、その名前の由来について言及していたところ、少女『トシエ』がいきなり、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と叫び声を上げた。そして、『シンデレラ』からさらに派生してドイツの国鉄の名前を出したところ、少女『トシエ』がまた、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と、ビエール少年のドイツ語力に感激し、叫び声を上げたのもものかわ、ビエール少年は、ドイツ語、フランス語、英語で、『シンデレラ』の名前の由来を解説したが、『ボッキ』少年は、話を『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情を戻すよう要求したものの、話は、また『ゴキブリ』から『アブラムシ』、そして、その英語『コックローチ』、更に、スペイン語の『クカラチャ』へと展開してしまった。そこからまた、スペインに絡んで、少女『トシエ』が情熱的な『フラメンコ』を踊りたいと云い出し、更に更に話は派生し、『星のフラメンコ』を歌った『西郷輝彦』から、当時(1960年代である)の歌手の『御三家』の『橋幸夫』、『舟木一夫』、そして、『舟木一夫』のヒット曲『高校三年生』へと展開し、今、『高校』という言葉から『広島皆実高校』について、『ボッキ』少年と少女『トシエ』は、語り始め、少女『トシエ』は、『広島皆実高校』にある『衛生看護科』に入って、看護婦になりたいと云った。で、『ボッキ』少年は、『広島皆実高校』は、元は『県女』だと云い、続けて、何故か、当時(1967年頃である)始った視聴者参加のテレビ番組『家族そろって歌合戦』の審査委員長である作曲家『高木東六』を出してきた。それを受け、少女『トシエ』は、『家族そろって歌合戦』のチームについて話し出したが、『ボッキ』少年が、あらためて『高木東六』の名前を出してきたものの、今度は、そこから『タカキベーカリー』等のパン屋へと話が逸れ、『ボッキ』少年が苛立ちを見せたところであった。


「『皆実高校』というか『県女』と『高木東六』は、何か関係あるの?」


ビエール少年は、もう『広島皆実高校』が元は県立の女学校であったことを理解していた。


「『高木東六』はのお、『皆実』の校歌を作曲したらしいんよ」


と、『ボッキ』少年が、『広島皆実高校』に関連して、『高木東六』の名前を出してきた理由を説明した。


「え、そうなの?有名な作曲家が『皆実』の校歌を作曲したの?」

「『♪ひかり~』なんとか云うて、お兄ちゃんが歌うとった」

「どうして、『高木東六』が、『皆実』の校歌を作曲したの?」

「ああ、あれかねえ?お母ちゃんが、『二葉』なんとかいう歌手が、『皆実」出身じゃあ、云うとったけえ。『タカギ』さんは、その『二葉』さんに頼まれたんかねえ?」


少女『トシエ』の母親の云う通り、『二葉あき子』という有名歌手は、『広島皆実高校』の前身である『広島県立広島高等女学校』の出身であり、且つ、彼女のヒット曲『水色のワルツ』を作曲したのは『高木東六』であったが…


「はあ?『二葉』?あれか、着物着て、なんか唸るように歌うとる歌手か?」


『ボッキ』少年は、『二葉あき子』を『二葉百合子』と勘違いしたようであった。『二葉百合子』は、『歌謡浪曲』の歌手で、中学生が関心を持つ存在ではなかった。


それから(1967年から)5年後(1972年)に、『二葉百合子』は、リバイバル曲の『岸壁の母』(最初に唄ったのは、『菊池章子』)を唄ってヒットさせたので、後には、『ボッキ』少年たちもその存在をよく知るところとなったが、この時は、知らないではない程度の歌手であったのだ。




「違うで、『二葉』なんとかいう歌手のことは知らんよお。ワシが聞いたんは、『高木東六』の奥さんが、『県女』の出身じゃけえ、『皆実』の校歌を作曲したらしいでえ、いうことよ」

「へええ、そうなんだあ」


という興味なさげなビエール少年の様子に、『ボッキ』少年は、ムキになった。しかし、


「『皆実』はのお、いや、『県女』にはのお、すっごい綺麗な女の人もおったんでえ!」


という『ボッキ』少年の言葉に反応を示したのは、少女『トシエ』であった。


「え!?何?!」



(続く)




2022年11月26日土曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その338]

 


「ああ、『高木東六』がどうしたの?」


と、ビエール少年は、『ボッキ』少年が作曲家『高木東六』の名前お持ち出してきたことを思い出した。


1967年4月のある土曜日、広島市立牛田中学を出た1年X組のビエール少年と『ボッキ』少年が、『ハナタバ』少年と、後で『秘密の入口』で会おう、と別れたところであった。いつからか、ビエール少年と『ボッキ』少年の背後にいた少女『トシエ』が、『秘密』という言葉を捉え、何の『秘密』か追求していたところ、遠りがかった赤い髪の若い外国人女性が、『バド』と呼ばれているビエール少年に対して、アメリカ人なのかと訊き、ビエール少年と英語での会話を交わしたのを見て、『ボッキ』少年と少女『トシエ』が、ビエール少年の英語力に感嘆していたことから、ビエール少年が見ているというNHK教育テレビの『テレビ英語会話』話題へとなっていた。そして、更に、少女『トシエ』が、奥さんが英語喋れない訳にはいかないから、自分も『テレビ英語会話』見るようにすると云い出し、少女の妄想は、ビエール少年の妻となった自分が、『整体拝受』の際の『ホスチア』だって作るかもしれない、とまで拡がっていっていた。しかし、『ボッキ』少年が、自分はキリスト教の知識のない理由として、お経の一節、『ナ~ムア~ミダ~ンブー』を唱えたことから、広島には『浄土真宗』の家が多いらしい、とビエール少年が博識ぶりを見せ、『ボッキ』少年も『東本願寺』、『西本願寺』を持ち出しはしたものの、『浄土真宗』が『東』と『西』とに別れた事情を知らず、ビーエル少年が、元は一つの『本願寺』だった『石山本願寺』を信長が攻撃したことが原因と説明しだした。そして、その『石山本願寺』信長がなかなか攻め切れなかったのは、『毛利輝元』が『石山本願寺』に食料とか武器なんかを提供して味方したからだとも説明をしたのだ。そこで、少女『トシエ』が、『石山本願寺』にお好み焼きも差し入れしたのだろうか、と云い出し、ビエール少年はそれを否定したが、少女『トシエ』は今度は、『もみじ饅頭』を差し入れしたのだろう、と云い出しことから、話は『もみじ饅頭』という名前の謂れ(『伊藤博文』が名前のヒントを与えた)へと派生していっていた。だが、話は、『伊藤博文』が、山口県光市出身であることから、『夢の超特急』に移っていったものの、今度は、『光市』から臨海学校へと移ってきたのであった。『光市』は、当時(19060年代である)、広島の学校がよく臨海学校で行くところであったからである。そして、最初は臨海学校に興味なさげであった少女『トシエ』が、ビエール少年と(だけではないが)教室で一緒に寝ることになるであろう臨海学校に眼を輝かせ、あろうことかネグリジェを着るとまで云い出し、ビエール少年は、『かわいい魔女ジニー』の姿態を思い出し、股間に『異変」を生じさせていたが、『ボッキ』少年の言葉で、どうにか『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻ったのではあった。だが、『浄土真宗』を広めた『親鸞』の子孫『蓮如』の関連して、晩年、『浄土真宗』に改宗した『一休さん』へとまたまた話は逸れたが、ビエール少年は、なんとかまた『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻し、『信長』が和睦の為、『本願寺』に渡した『一文字呉器』に言及したところ、少女『トシエ』は、『呉器』を『ゴキブリ』と勘違いし、『ボッキ』少年は、『一文』から『ジャイアント馬場』の『十六文キック』の言及してきたので、ビエール少年は、あらためて『一文字呉器』を解説したが、『ボッキ」少年がなかなか理解できないでいる様子である一方、少女『トシエ』は、『ジャイアント馬場』の『十六文』は、実は『文』ではなくアメリカの靴のサイズに由来するというビエール少年の説明を理解していることを自慢し、更に、ビエール少年がアメリカの靴のサイズのことまで知っていることまで自慢げに云い、アメリカで靴を買う時にはビエール少年に付き添って欲しいと云出だし、その際には『ガラスの靴』を買うと云ったことから、話は、今度は、『シンデレラ』に及び、ビエール少年は、『シンデレラ』があだ名であり、その名前の由来について言及していたところ、少女『トシエ』がいきなり、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と叫び声を上げた。そして、『シンデレラ』からさらに派生してドイツの国鉄の名前を出したところ、少女『トシエ』がまた、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と、ビエール少年のドイツ語力に感激し、叫び声を上げたのもものかわ、ビエール少年は、ドイツ語、フランス語、英語で、『シンデレラ』の名前の由来を解説したが、『ボッキ』少年は、話を『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情を戻すよう要求したものの、話は、また『ゴキブリ』から『アブラムシ』、そして、その英語『コックローチ』、更に、スペイン語の『クカラチャ』へと展開してしまった。そこからまた、スペインに絡んで、少女『トシエ』が情熱的な『フラメンコ』を踊りたいと云い出し、更に更に話は派生し、『星のフラメンコ』を歌った『西郷輝彦』から、当時(1960年代である)の歌手の『御三家』の『橋幸夫』、『舟木一夫』、そして、『舟木一夫』のヒット曲『高校三年生』へと展開し、今、『高校』という言葉から『広島皆実高校』について、『ボッキ』少年と少女『トシエ』は、語り始め、少女『トシエ』は、『広島皆実高校』にある『衛生看護科』に入って、看護婦になりたいと云った。で、『ボッキ』少年は、『広島皆実高校』は、元は『県女』だと云い、続けて、何故か、当時(1967年頃である)始った視聴者参加のテレビ番組『家族そろって歌合戦』の審査委員長である作曲家『高木東六』を出してきた。それを受け、少女『トシエ』は、『家族そろって歌合戦』のチームについて話し出していたが、『ボッキ』少年が、あらためて『高木東六』の名前を出してきたのであった。


「『タカキ』の親戚なんじゃろ?」


少女『トシエ』が、自信なさげではあったが、そう云った。


「『タカキ』って?」


ビエール少年には、少女『トシエ』が当り前のように出してきた『タカキ』が何であるのか、分らなかった。


「『タカキベーカリー』よね」

「ああ」


ビエール少年は、クラスの女子生徒の一人が、『タカキ』のパンのことを云っていたのを思い出した。


(参照:【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その265]


「『タカキ』のパンは美味しいんよ。でも、『ナガイのパン』も美味しいし、『ムラコシ』もエエらしいんよ」

「『ムラコシ』?」

「『ムラコシ』はねえ、西旭町にパン工場があるんじゃと。今年できた翠町小学校の直ぐ前の方にあるらしいんじゃけど、昨日のパンを5円で売っとるんじゃと。ウチの親戚の人が云うとってじゃった。安うてエエよねえ」

「誰がパン屋の話ししとるんや。『高木東六』は、『タガギ』でえ。『タカキ』じゃないし、『ナガイ』でも『ムラコシ』でもないけえ」


『ボッキ』少年は、苛立ちを見せていた。


「ほんなら何なん?『高木東六』が、どしたん?ウチ、『バド』とパン屋さんしてもええかも、思うとったのに」


少女『トシエ』の方も、『ボッキ』少年には強く出るのであった。




(続く)




2022年11月25日金曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その337]

 


「どっちがいい、って…」


と、ビエール少年は、『リスさん』チームと『ウサギさん』チームのどちらがいいか、という少女『トシエ』の質問の意味を測りかね、口籠った。


1967年4月のある土曜日、広島市立牛田中学を出た1年X組のビエール少年と『ボッキ』少年が、『ハナタバ』少年と、後で『秘密の入口』で会おう、と別れたところであった。いつからか、ビエール少年と『ボッキ』少年の背後にいた少女『トシエ』が、『秘密』という言葉を捉え、何の『秘密』か追求していたところ、遠りがかった赤い髪の若い外国人女性が、『バド』と呼ばれているビエール少年に対して、アメリカ人なのかと訊き、ビエール少年と英語での会話を交わしたのを見て、『ボッキ』少年と少女『トシエ』が、ビエール少年の英語力に感嘆していたことから、ビエール少年が見ているというNHK教育テレビの『テレビ英語会話』話題へとなっていた。そして、更に、少女『トシエ』が、奥さんが英語喋れない訳にはいかないから、自分も『テレビ英語会話』見るようにすると云い出し、少女の妄想は、ビエール少年の妻となった自分が、『整体拝受』の際の『ホスチア』だって作るかもしれない、とまで拡がっていっていた。しかし、『ボッキ』少年が、自分はキリスト教の知識のない理由として、お経の一節、『ナ~ムア~ミダ~ンブー』を唱えたことから、広島には『浄土真宗』の家が多いらしい、とビエール少年が博識ぶりを見せ、『ボッキ』少年も『東本願寺』、『西本願寺』を持ち出しはしたものの、『浄土真宗』が『東』と『西』とに別れた事情を知らず、ビーエル少年が、元は一つの『本願寺』だった『石山本願寺』を信長が攻撃したことが原因と説明しだした。そして、その『石山本願寺』信長がなかなか攻め切れなかったのは、『毛利輝元』が『石山本願寺』に食料とか武器なんかを提供して味方したからだとも説明をしたのだ。そこで、少女『トシエ』が、『石山本願寺』にお好み焼きも差し入れしたのだろうか、と云い出し、ビエール少年はそれを否定したが、少女『トシエ』は今度は、『もみじ饅頭』を差し入れしたのだろう、と云い出しことから、話は『もみじ饅頭』という名前の謂れ(『伊藤博文』が名前のヒントを与えた)へと派生していっていた。だが、話は、『伊藤博文』が、山口県光市出身であることから、『夢の超特急』に移っていったものの、今度は、『光市』から臨海学校へと移ってきたのであった。『光市』は、当時(19060年代である)、広島の学校がよく臨海学校で行くところであったからである。そして、最初は臨海学校に興味なさげであった少女『トシエ』が、ビエール少年と(だけではないが)教室で一緒に寝ることになるであろう臨海学校に眼を輝かせ、あろうことかネグリジェを着るとまで云い出し、ビエール少年は、『かわいい魔女ジニー』の姿態を思い出し、股間に『異変」を生じさせていたが、『ボッキ』少年の言葉で、どうにか『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻ったのではあった。だが、『浄土真宗』を広めた『親鸞』の子孫『蓮如』の関連して、晩年、『浄土真宗』に改宗した『一休さん』へとまたまた話は逸れたが、ビエール少年は、なんとかまた『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻し、『信長』が和睦の為、『本願寺』に渡した『一文字呉器』に言及したところ、少女『トシエ』は、『呉器』を『ゴキブリ』と勘違いし、『ボッキ』少年は、『一文』から『ジャイアント馬場』の『十六文キック』の言及してきたので、ビエール少年は、あらためて『一文字呉器』を解説したが、『ボッキ」少年がなかなか理解できないでいる様子である一方、少女『トシエ』は、『ジャイアント馬場』の『十六文』は、実は『文』ではなくアメリカの靴のサイズに由来するというビエール少年の説明を理解していることを自慢し、更に、ビエール少年がアメリカの靴のサイズのことまで知っていることまで自慢げに云い、アメリカで靴を買う時にはビエール少年に付き添って欲しいと云出だし、その際には『ガラスの靴』を買うと云ったことから、話は、今度は、『シンデレラ』に及び、ビエール少年は、『シンデレラ』があだ名であり、その名前の由来について言及していたところ、少女『トシエ』がいきなり、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と叫び声を上げた。そして、『シンデレラ』からさらに派生してドイツの国鉄の名前を出したところ、少女『トシエ』がまた、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と、ビエール少年のドイツ語力に感激し、叫び声を上げたのもものかわ、ビエール少年は、ドイツ語、フランス語、英語で、『シンデレラ』の名前の由来を解説したが、『ボッキ』少年は、話を『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情を戻すよう要求したものの、話は、また『ゴキブリ』から『アブラムシ』、そして、その英語『コックローチ』、更に、スペイン語の『クカラチャ』へと展開してしまった。そこからまた、スペインに絡んで、少女『トシエ』が情熱的な『フラメンコ』を踊りたいと云い出し、更に更に話は派生し、『星のフラメンコ』を歌った『西郷輝彦』から、当時(1960年代である)の歌手の『御三家』の『橋幸夫』、『舟木一夫』、そして、『舟木一夫』のヒット曲『高校三年生』へと展開し、今、『高校』という言葉から『広島皆実高校』について、『ボッキ』少年と少女『トシエ』は、語り始め、少女『トシエ』は、『広島皆実高校』にある『衛生看護科』に入って、看護婦になりたいと云った。で、『ボッキ』少年は、『広島皆実高校』は、元は『県女』だと云い、続けて、何故か、当時(1967年頃である)始った視聴者参加のテレビ番組『家族そろって歌合戦』の審査委員長である作曲家『高木東六』を出してきた。それを受け、少女『トシエ』は、『家族そろって歌合戦』のチームについてビエール少年に訊いてきたのだ。


「ウチらのチームの名前じゃけえ、ウチだけで決めたらいけんじゃろう」

「『ウチら』?」

「『リスさん』も可愛いし、『ウサギさん』も可愛いけえ、どっちがええか難しいじゃろ?」




「『家族そろって歌合戦』って、家族でチームを作るんでしょ?」

「ほうよお。そりゃそうじゃないねえ、『家族そろって歌合戦』じゃけえ」

「じゃあ、どうして…?」

「『家族そろって歌合戦』に出る頃には、子どももできとると思うんよ」

「え!?子ども?子どもができる?...(んぐっ!)


ビエール少年は、またまた慌てて学生鞄を体の前に持ってきた。


小学3-4年生頃までは、結婚すると(結婚式を挙げると)、奥さんに子どもができるものだ、と思っていたが、小学5-6年生の頃にはもう、ただ結婚するだけでは子どもができるものではなく、『結婚』というものに何か『秘密』があり、でも、その『秘密』は必ずしも子どもとも結婚とも実は関係なく、男の人と女の人との間にこっそりあるもので、自分のような少年は、それをまだ知ってはいけないものだと感じていたのであった。


だが、そのまだ知らない『秘密』のことを想像すると(知らないのだから、どうも想像はしようがなかったものの)、自分の体のある部分に、何故かある『異変』が生じるようになっていたのであった。


「『リスさん』チームでも『ウサギさん』チームでもええが、『高木東六』よお」


少し苛立ちながら、『ボッキ』少年が、話題を『高木東六』に戻してきた。



(続く)




2022年11月24日木曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その336]

 


「じゃけえ、『検便』じゃのうて、『県女』よお」


という『ボッキ』少年の言葉で、ビエール少年は、我に返った。


1967年4月のある土曜日、広島市立牛田中学を出た1年X組のビエール少年と『ボッキ』少年が、『ハナタバ』少年と、後で『秘密の入口』で会おう、と別れたところであった。いつからか、ビエール少年と『ボッキ』少年の背後にいた少女『トシエ』が、『秘密』という言葉を捉え、何の『秘密』か追求していたところ、遠りがかった赤い髪の若い外国人女性が、『バド』と呼ばれているビエール少年に対して、アメリカ人なのかと訊き、ビエール少年と英語での会話を交わしたのを見て、『ボッキ』少年と少女『トシエ』が、ビエール少年の英語力に感嘆していたことから、ビエール少年が見ているというNHK教育テレビの『テレビ英語会話』話題へとなっていた。そして、更に、少女『トシエ』が、奥さんが英語喋れない訳にはいかないから、自分も『テレビ英語会話』見るようにすると云い出し、少女の妄想は、ビエール少年の妻となった自分が、『整体拝受』の際の『ホスチア』だって作るかもしれない、とまで拡がっていっていた。しかし、『ボッキ』少年が、自分はキリスト教の知識のない理由として、お経の一節、『ナ~ムア~ミダ~ンブー』を唱えたことから、広島には『浄土真宗』の家が多いらしい、とビエール少年が博識ぶりを見せ、『ボッキ』少年も『東本願寺』、『西本願寺』を持ち出しはしたものの、『浄土真宗』が『東』と『西』とに別れた事情を知らず、ビーエル少年が、元は一つの『本願寺』だった『石山本願寺』を信長が攻撃したことが原因と説明しだした。そして、その『石山本願寺』信長がなかなか攻め切れなかったのは、『毛利輝元』が『石山本願寺』に食料とか武器なんかを提供して味方したからだとも説明をしたのだ。そこで、少女『トシエ』が、『石山本願寺』にお好み焼きも差し入れしたのだろうか、と云い出し、ビエール少年はそれを否定したが、少女『トシエ』は今度は、『もみじ饅頭』を差し入れしたのだろう、と云い出しことから、話は『もみじ饅頭』という名前の謂れ(『伊藤博文』が名前のヒントを与えた)へと派生していっていた。だが、話は、『伊藤博文』が、山口県光市出身であることから、『夢の超特急』に移っていったものの、今度は、『光市』から臨海学校へと移ってきたのであった。『光市』は、当時(19060年代である)、広島の学校がよく臨海学校で行くところであったからである。そして、最初は臨海学校に興味なさげであった少女『トシエ』が、ビエール少年と(だけではないが)教室で一緒に寝ることになるであろう臨海学校に眼を輝かせ、あろうことかネグリジェを着るとまで云い出し、ビエール少年は、『かわいい魔女ジニー』の姿態を思い出し、股間に『異変」を生じさせていたが、『ボッキ』少年の言葉で、どうにか『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻ったのではあった。だが、『浄土真宗』を広めた『親鸞』の子孫『蓮如』の関連して、晩年、『浄土真宗』に改宗した『一休さん』へとまたまた話は逸れたが、ビエール少年は、なんとかまた『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻し、『信長』が和睦の為、『本願寺』に渡した『一文字呉器』に言及したところ、少女『トシエ』は、『呉器』を『ゴキブリ』と勘違いし、『ボッキ』少年は、『一文』から『ジャイアント馬場』の『十六文キック』の言及してきたので、ビエール少年は、あらためて『一文字呉器』を解説したが、『ボッキ」少年がなかなか理解できないでいる様子である一方、少女『トシエ』は、『ジャイアント馬場』の『十六文』は、実は『文』ではなくアメリカの靴のサイズに由来するというビエール少年の説明を理解していることを自慢し、更に、ビエール少年がアメリカの靴のサイズのことまで知っていることまで自慢げに云い、アメリカで靴を買う時にはビエール少年に付き添って欲しいと云出だし、その際には『ガラスの靴』を買うと云ったことから、話は、今度は、『シンデレラ』に及び、ビエール少年は、『シンデレラ』があだ名であり、その名前の由来について言及していたところ、少女『トシエ』がいきなり、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と叫び声を上げた。そして、『シンデレラ』からさらに派生してドイツの国鉄の名前を出したところ、少女『トシエ』がまた、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と、ビエール少年のドイツ語力に感激し、叫び声を上げたのもものかわ、ビエール少年は、ドイツ語、フランス語、英語で、『シンデレラ』の名前の由来を解説したが、『ボッキ』少年は、話を『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情を戻すよう要求したものの、話は、また『ゴキブリ』から『アブラムシ』、そして、その英語『コックローチ』、更に、スペイン語の『クカラチャ』へと展開してしまった。そこからまた、スペインに絡んで、少女『トシエ』が情熱的な『フラメンコ』を踊りたいと云い出し、更に更に話は派生し、『星のフラメンコ』を歌った『西郷輝彦』から、当時(1960年代である)の歌手の『御三家』の『橋幸夫』、『舟木一夫』、そして、『舟木一夫』のヒット曲『高校三年生』へと展開し、今、『高校』という言葉から『広島皆実高校』について、『ボッキ』少年と少女『トシエ』は、語り始め、少女『トシエ』は、『広島皆実高校』にある『衛生看護科』に入って、看護婦になりたいと云った。で、『ボッキ』少年は、『広島皆実高校』は、元は『県女』だと云ったであったが、ビエール少年は、それを『検尿』と聞き違え、『検尿』から『検便』へと話題が逸れ、そこで、ビエール少年は、『汲み取り式』の便所で『検便』でウンコを採取する難しさに思いを至らさせていたのであった。


「『皆実』は、元々は、県立の女学校じゃったんじゃけえ」


『広島皆実高校』は、1901年(明治34年)に設立した『広島県立広島高等女学校』から始ったのである。


「へええ、そうだったんだね」


と、答えたものの、ビエール少年は、さほど関心はないような様子であった。しかし、『ボッキ』少年の口から次に出てきた言葉は、ビエール少年にとって意外なものであった。


「『高木東六』知っとるじゃろ?」

「え?」


『県女』の話から、『高木東六』という、知らなくはないが男性の名前が、何故出てくるのか、ビエール少年には理解できなかった。


「作曲家よお。『家族そろって歌合戦』の審査員しとるじゃろ」

「ああ、日曜日にしてるやつね。『獅子てんや・瀬戸わんや』が司会の」


『家族そろって歌合戦』は、前年(1966年)から始った視聴者参加のテレビ番組で、名前の通り、家族でチームを作って歌を競い合う番組であった。日曜日の午後(お昼過ぎ)、RCC(中国放送)で放映され、作曲家の『高木東六』が審査員長であった。司会は、人気漫才コンビ『獅子てんや・瀬戸わんや』であった。


「ウチは、『リスさん』チームがええ」


少女『トシエ』が、口挟んできた。


「ああ」


『家族そろって歌合戦』に出場する家族は、動物の名前のチームとなって他の家族チームと対戦するのであった。




「『ウサギさん』チームでもええんじゃけど、どっちがええ『バド』は?」


と、少女『トシエ』が、上目遣いにビエール少年に訊いてきた。



(続く)





2022年11月23日水曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その335]

 


「(汲み取り式だ!)」


と、ビエール少年は、今の家の便所を思い描いた。広島に来るまで住んでいた宇部市琴芝の家の便所は、『水洗』であったが、広島市牛田の家の便所は、『汲み取り式』であったのだ。


1967年4月のある土曜日、広島市立牛田中学を出た1年X組のビエール少年と『ボッキ』少年が、『ハナタバ』少年と、後で『秘密の入口』で会おう、と別れたところであった。いつからか、ビエール少年と『ボッキ』少年の背後にいた少女『トシエ』が、『秘密』という言葉を捉え、何の『秘密』か追求していたところ、遠りがかった赤い髪の若い外国人女性が、『バド』と呼ばれているビエール少年に対して、アメリカ人なのかと訊き、ビエール少年と英語での会話を交わしたのを見て、『ボッキ』少年と少女『トシエ』が、ビエール少年の英語力に感嘆していたことから、ビエール少年が見ているというNHK教育テレビの『テレビ英語会話』話題へとなっていた。そして、更に、少女『トシエ』が、奥さんが英語喋れない訳にはいかないから、自分も『テレビ英語会話』見るようにすると云い出し、少女の妄想は、ビエール少年の妻となった自分が、『整体拝受』の際の『ホスチア』だって作るかもしれない、とまで拡がっていっていた。しかし、『ボッキ』少年が、自分はキリスト教の知識のない理由として、お経の一節、『ナ~ムア~ミダ~ンブー』を唱えたことから、広島には『浄土真宗』の家が多いらしい、とビエール少年が博識ぶりを見せ、『ボッキ』少年も『東本願寺』、『西本願寺』を持ち出しはしたものの、『浄土真宗』が『東』と『西』とに別れた事情を知らず、ビーエル少年が、元は一つの『本願寺』だった『石山本願寺』を信長が攻撃したことが原因と説明しだした。そして、その『石山本願寺』信長がなかなか攻め切れなかったのは、『毛利輝元』が『石山本願寺』に食料とか武器なんかを提供して味方したからだとも説明をしたのだ。そこで、少女『トシエ』が、『石山本願寺』にお好み焼きも差し入れしたのだろうか、と云い出し、ビエール少年はそれを否定したが、少女『トシエ』は今度は、『もみじ饅頭』を差し入れしたのだろう、と云い出しことから、話は『もみじ饅頭』という名前の謂れ(『伊藤博文』が名前のヒントを与えた)へと派生していっていた。だが、話は、『伊藤博文』が、山口県光市出身であることから、『夢の超特急』に移っていったものの、今度は、『光市』から臨海学校へと移ってきたのであった。『光市』は、当時(19060年代である)、広島の学校がよく臨海学校で行くところであったからである。そして、最初は臨海学校に興味なさげであった少女『トシエ』が、ビエール少年と(だけではないが)教室で一緒に寝ることになるであろう臨海学校に眼を輝かせ、あろうことかネグリジェを着るとまで云い出し、ビエール少年は、『かわいい魔女ジニー』の姿態を思い出し、股間に『異変」を生じさせていたが、『ボッキ』少年の言葉で、どうにか『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻ったのではあった。だが、『浄土真宗』を広めた『親鸞』の子孫『蓮如』の関連して、晩年、『浄土真宗』に改宗した『一休さん』へとまたまた話は逸れたが、ビエール少年は、なんとかまた『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻し、『信長』が和睦の為、『本願寺』に渡した『一文字呉器』に言及したところ、少女『トシエ』は、『呉器』を『ゴキブリ』と勘違いし、『ボッキ』少年は、『一文』から『ジャイアント馬場』の『十六文キック』の言及してきたので、ビエール少年は、あらためて『一文字呉器』を解説したが、『ボッキ」少年がなかなか理解できないでいる様子である一方、少女『トシエ』は、『ジャイアント馬場』の『十六文』は、実は『文』ではなくアメリカの靴のサイズに由来するというビエール少年の説明を理解していることを自慢し、更に、ビエール少年がアメリカの靴のサイズのことまで知っていることまで自慢げに云い、アメリカで靴を買う時にはビエール少年に付き添って欲しいと云出だし、その際には『ガラスの靴』を買うと云ったことから、話は、今度は、『シンデレラ』に及び、ビエール少年は、『シンデレラ』があだ名であり、その名前の由来について言及していたところ、少女『トシエ』がいきなり、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と叫び声を上げた。そして、『シンデレラ』からさらに派生してドイツの国鉄の名前を出したところ、少女『トシエ』がまた、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と、ビエール少年のドイツ語力に感激し、叫び声を上げたのもものかわ、ビエール少年は、ドイツ語、フランス語、英語で、『シンデレラ』の名前の由来を解説したが、『ボッキ』少年は、話を『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情を戻すよう要求したものの、話は、また『ゴキブリ』から『アブラムシ』、そして、その英語『コックローチ』、更に、スペイン語の『クカラチャ』へと展開してしまった。そこからまた、スペインに絡んで、少女『トシエ』が情熱的な『フラメンコ』を踊りたいと云い出し、更に更に話は派生し、『星のフラメンコ』を歌った『西郷輝彦』から、当時(1960年代である)の歌手の『御三家』の『橋幸夫』、『舟木一夫』、そして、『舟木一夫』のヒット曲『高校三年生』へと展開し、今、『高校』という言葉から『広島皆実高校』について、『ボッキ』少年と少女『トシエ』は、語り始め、少女『トシエ』は、『広島皆実高校』にある『衛生看護科』に入って、看護婦になりたいと云った。で、『ボッキ』少年は、『広島皆実高校』は、元は『県女』だと云ったであったが、ビエール少年は、それを『検尿』と聞き違え、『検尿』から『検便』へと話題が逸れ、そこで、ビエール少年は、大事なことに気付くことになったのだ。


「(ウンコは落ちるんだ!)」


そうだ。『水洗』の便所では、ウンコは便器に落ち(『水洗』といっても『和式』である)、水を流すまではそこに留まる。しかし、『汲み取り式』の便所では、当り前であるが、ウンコは穴の中に落ちるのだ。


「(『ニュートンの法則』だ!)」


さすが、入学早々、教師たちが、牛田中学一の秀才と認めたビエール少年であった。『検便』を物理学の法則で捉えたのだ。




「(受けられるのか?)」


少女『トシエ』にしてもらうつもりはなかったが、彼女が云った『新聞紙で受ける』方法を自分ですることを考えた。新聞紙を折って手に持ち、体の後ろからお尻の下に差し出し、受けるのだ。


「(新聞紙の強度は、ウンコの重さに耐えられるだろうか?)」


と思ったが、いくら秀才ではあっても、中学一年では、その計算はまだできなかった。


「(便所の床に新聞紙を敷いて、そこにスレばいいのか?)」


と、決して広くはない便所の便器の横のスペースに、畳んだ新聞紙を置き、その上に尻を丸出しにして跨る自分の姿を想像した。


「(いや、一緒にオシッコも出るし…)」


その姿の情けなさだけではなく、その方法には無理があるのでは、と考え、


「(母さんに受けてもらうか…いや、段ボールか何か、もっと強い紙を使うか…)」


ビエール少年は、眉を曇らせた。



(続く)





2022年11月22日火曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その334]

 


「『ケンニョー』?」


と、珍しく、ビエール少年が、『県女』という言葉を聞き間違えた。


1967年4月のある土曜日、広島市立牛田中学を出た1年X組のビエール少年と『ボッキ』少年が、『ハナタバ』少年と、後で『秘密の入口』で会おう、と別れたところであった。いつからか、ビエール少年と『ボッキ』少年の背後にいた少女『トシエ』が、『秘密』という言葉を捉え、何の『秘密』か追求していたところ、遠りがかった赤い髪の若い外国人女性が、『バド』と呼ばれているビエール少年に対して、アメリカ人なのかと訊き、ビエール少年と英語での会話を交わしたのを見て、『ボッキ』少年と少女『トシエ』が、ビエール少年の英語力に感嘆していたことから、ビエール少年が見ているというNHK教育テレビの『テレビ英語会話』話題へとなっていた。そして、更に、少女『トシエ』が、奥さんが英語喋れない訳にはいかないから、自分も『テレビ英語会話』見るようにすると云い出し、少女の妄想は、ビエール少年の妻となった自分が、『整体拝受』の際の『ホスチア』だって作るかもしれない、とまで拡がっていっていた。しかし、『ボッキ』少年が、自分はキリスト教の知識のない理由として、お経の一節、『ナ~ムア~ミダ~ンブー』を唱えたことから、広島には『浄土真宗』の家が多いらしい、とビエール少年が博識ぶりを見せ、『ボッキ』少年も『東本願寺』、『西本願寺』を持ち出しはしたものの、『浄土真宗』が『東』と『西』とに別れた事情を知らず、ビーエル少年が、元は一つの『本願寺』だった『石山本願寺』を信長が攻撃したことが原因と説明しだした。そして、その『石山本願寺』信長がなかなか攻め切れなかったのは、『毛利輝元』が『石山本願寺』に食料とか武器なんかを提供して味方したからだとも説明をしたのだ。そこで、少女『トシエ』が、『石山本願寺』にお好み焼きも差し入れしたのだろうか、と云い出し、ビエール少年はそれを否定したが、少女『トシエ』は今度は、『もみじ饅頭』を差し入れしたのだろう、と云い出しことから、話は『もみじ饅頭』という名前の謂れ(『伊藤博文』が名前のヒントを与えた)へと派生していっていた。だが、話は、『伊藤博文』が、山口県光市出身であることから、『夢の超特急』に移っていったものの、今度は、『光市』から臨海学校へと移ってきたのであった。『光市』は、当時(19060年代である)、広島の学校がよく臨海学校で行くところであったからである。そして、最初は臨海学校に興味なさげであった少女『トシエ』が、ビエール少年と(だけではないが)教室で一緒に寝ることになるであろう臨海学校に眼を輝かせ、あろうことかネグリジェを着るとまで云い出し、ビエール少年は、『かわいい魔女ジニー』の姿態を思い出し、股間に『異変」を生じさせていたが、『ボッキ』少年の言葉で、どうにか『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻ったのではあった。だが、『浄土真宗』を広めた『親鸞』の子孫『蓮如』の関連して、晩年、『浄土真宗』に改宗した『一休さん』へとまたまた話は逸れたが、ビエール少年は、なんとかまた『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻し、『信長』が和睦の為、『本願寺』に渡した『一文字呉器』に言及したところ、少女『トシエ』は、『呉器』を『ゴキブリ』と勘違いし、『ボッキ』少年は、『一文』から『ジャイアント馬場』の『十六文キック』の言及してきたので、ビエール少年は、あらためて『一文字呉器』を解説したが、『ボッキ」少年がなかなか理解できないでいる様子である一方、少女『トシエ』は、『ジャイアント馬場』の『十六文』は、実は『文』ではなくアメリカの靴のサイズに由来するというビエール少年の説明を理解していることを自慢し、更に、ビエール少年がアメリカの靴のサイズのことまで知っていることまで自慢げに云い、アメリカで靴を買う時にはビエール少年に付き添って欲しいと云出だし、その際には『ガラスの靴』を買うと云ったことから、話は、今度は、『シンデレラ』に及び、ビエール少年は、『シンデレラ』があだ名であり、その名前の由来について言及していたところ、少女『トシエ』がいきなり、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と叫び声を上げた。そして、『シンデレラ』からさらに派生してドイツの国鉄の名前を出したところ、少女『トシエ』がまた、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と、ビエール少年のドイツ語力に感激し、叫び声を上げたのもものかわ、ビエール少年は、ドイツ語、フランス語、英語で、『シンデレラ』の名前の由来を解説したが、『ボッキ』少年は、話を『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情を戻すよう要求したものの、話は、また『ゴキブリ』から『アブラムシ』、そして、その英語『コックローチ』、更に、スペイン語の『クカラチャ』へと展開してしまった。そこからまた、スペインに絡んで、少女『トシエ』が情熱的な『フラメンコ』を踊りたいと云い出し、更に更に話は派生し、『星のフラメンコ』を歌った『西郷輝彦』から、当時(1960年代である)の歌手の『御三家』の『橋幸夫』、『舟木一夫』、そして、『舟木一夫』のヒット曲『高校三年生』へと展開し、今、『高校』という言葉から『広島皆実高校』について、『ボッキ』少年と少女『トシエ』は、語り始め、少女『トシエ』は、『広島皆実高校』にある『衛生看護科』に入って、看護婦になりたいと云った。で、『ボッキ』少年は、『広島皆実高校』は、元は『県女』だと云ったのだ。


「違うけえ、『検尿』じゃのうて、『県女』よお」


『ボッキ』少年は、呆れたように、そう云ったが、


「ウチ、看護婦さんになったら、『バド』のオシッコ、受け取るけえ。臭うても構わんけえ、『バド』のオシッコじゃったら」


少女『トシエ』は、『ボッキ』少年の訂正を無視し、ビエール少年の『検尿』を『受け取った』。




「じゃけえ、『検尿』じゃのうて、『県女』よお」

「『検便』でもええよ。でも、便所でウンコ取るん難しいじゃろ?ウチが、後ろから新聞紙で受けたげてもええよ」

「は!?」


という少女『トシエ』の言葉で、初めて、ビエール少年は、広島で『検便』をすることの意味、というか、状況を知った。



(続く)




2022年11月21日月曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その333]

 


「おお、『ナイチンゲール』か」


と、何故か、『ボッキ』少年は、頬に笑みを浮かべながら、少女『トシエ』に、そう云った。


1967年4月のある土曜日、広島市立牛田中学を出た1年X組のビエール少年と『ボッキ』少年が、『ハナタバ』少年と、後で『秘密の入口』で会おう、と別れたところであった。いつからか、ビエール少年と『ボッキ』少年の背後にいた少女『トシエ』が、『秘密』という言葉を捉え、何の『秘密』か追求していたところ、遠りがかった赤い髪の若い外国人女性が、『バド』と呼ばれているビエール少年に対して、アメリカ人なのかと訊き、ビエール少年と英語での会話を交わしたのを見て、『ボッキ』少年と少女『トシエ』が、ビエール少年の英語力に感嘆していたことから、ビエール少年が見ているというNHK教育テレビの『テレビ英語会話』話題へとなっていた。そして、更に、少女『トシエ』が、奥さんが英語喋れない訳にはいかないから、自分も『テレビ英語会話』見るようにすると云い出し、少女の妄想は、ビエール少年の妻となった自分が、『整体拝受』の際の『ホスチア』だって作るかもしれない、とまで拡がっていっていた。しかし、『ボッキ』少年が、自分はキリスト教の知識のない理由として、お経の一節、『ナ~ムア~ミダ~ンブー』を唱えたことから、広島には『浄土真宗』の家が多いらしい、とビエール少年が博識ぶりを見せ、『ボッキ』少年も『東本願寺』、『西本願寺』を持ち出しはしたものの、『浄土真宗』が『東』と『西』とに別れた事情を知らず、ビーエル少年が、元は一つの『本願寺』だった『石山本願寺』を信長が攻撃したことが原因と説明しだした。そして、その『石山本願寺』信長がなかなか攻め切れなかったのは、『毛利輝元』が『石山本願寺』に食料とか武器なんかを提供して味方したからだとも説明をしたのだ。そこで、少女『トシエ』が、『石山本願寺』にお好み焼きも差し入れしたのだろうか、と云い出し、ビエール少年はそれを否定したが、少女『トシエ』は今度は、『もみじ饅頭』を差し入れしたのだろう、と云い出しことから、話は『もみじ饅頭』という名前の謂れ(『伊藤博文』が名前のヒントを与えた)へと派生していっていた。だが、話は、『伊藤博文』が、山口県光市出身であることから、『夢の超特急』に移っていったものの、今度は、『光市』から臨海学校へと移ってきたのであった。『光市』は、当時(19060年代である)、広島の学校がよく臨海学校で行くところであったからである。そして、最初は臨海学校に興味なさげであった少女『トシエ』が、ビエール少年と(だけではないが)教室で一緒に寝ることになるであろう臨海学校に眼を輝かせ、あろうことかネグリジェを着るとまで云い出し、ビエール少年は、『かわいい魔女ジニー』の姿態を思い出し、股間に『異変」を生じさせていたが、『ボッキ』少年の言葉で、どうにか『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻ったのではあった。だが、『浄土真宗』を広めた『親鸞』の子孫『蓮如』の関連して、晩年、『浄土真宗』に改宗した『一休さん』へとまたまた話は逸れたが、ビエール少年は、なんとかまた『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻し、『信長』が和睦の為、『本願寺』に渡した『一文字呉器』に言及したところ、少女『トシエ』は、『呉器』を『ゴキブリ』と勘違いし、『ボッキ』少年は、『一文』から『ジャイアント馬場』の『十六文キック』の言及してきたので、ビエール少年は、あらためて『一文字呉器』を解説したが、『ボッキ」少年がなかなか理解できないでいる様子である一方、少女『トシエ』は、『ジャイアント馬場』の『十六文』は、実は『文』ではなくアメリカの靴のサイズに由来するというビエール少年の説明を理解していることを自慢し、更に、ビエール少年がアメリカの靴のサイズのことまで知っていることまで自慢げに云い、アメリカで靴を買う時にはビエール少年に付き添って欲しいと云出だし、その際には『ガラスの靴』を買うと云ったことから、話は、今度は、『シンデレラ』に及び、ビエール少年は、『シンデレラ』があだ名であり、その名前の由来について言及していたところ、少女『トシエ』がいきなり、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と叫び声を上げた。そして、『シンデレラ』からさらに派生してドイツの国鉄の名前を出したところ、少女『トシエ』がまた、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と、ビエール少年のドイツ語力に歓迎し、叫び声を上げたのもものかわ、ビエール少年は、ドイツ語、フランス語、英語で、『シンデレラ』の名前の由来を解説したが、『ボッキ』少年は、話を『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情を戻すよう要求したものの、話は、また『ゴキブリ』から『アブラムシ』、そして、その英語『コックローチ』、更に、スペイン語の『クカラチャ』へと展開してしまった。そこからまた、スペインに絡んで、少女『トシエ』が情熱的な『フラメンコ』を踊りたいと云い出し、更に更に話は派生し、『星のフラメンコ』を歌った『西郷輝彦』から、当時(1960年代である)の歌手の『御三家』の『橋幸夫』、『舟木一夫』、そして、『舟木一夫』のヒット曲『高校三年生』へと展開し、今、『高校』という言葉から『広島皆実高校』について、『ボッキ』少年と少女『トシエ』は、語り始め、少女『トシエ』は、『広島皆実高校』にある『衛生看護科』に入って、看護婦になりたいと云っていた。


「ほうよ、ウチ、『ナンチンゲール』になりたいんよ」


と、胸を張りながら、答えた少女『トシエ』は、白衣を着た自らの姿を思い浮かべていた。




「ほりゃ、女じゃけえ、『ないチン』ガールじゃのお」

「アンタあ、『ナイチンゲール』をバカにしとるん!『ナイチンゲール』は、天使みたいな人なんよ」

「『ナイチンゲール』は、確かに天使のような人だったらしいんだけど、ただ優しく、大人しい感じの人だったんではないみたいなんだ。融通の利かない軍人やお医者さんに立ち向かって行って、しなくちゃいけないことをちゃんとできるようにしたりしたんだって。それに、とっても頭も良くて、数学や統計学もよくできたらしいんだ」

「へええ、『ナイチンゲール』は、時計にも詳しかったん?時計を自分で直せたん?」

「いや、時計じゃなくって『統計』なんだ。『統計』って、色々なことを調べて数字にまとめて、グラフにしたりして、どんな傾向があるかをはっきりさせるんだ。『ナイチンゲール』は、死んだ人の数を死因別にグラフにしたりして、とっても分り易くしたんだって」

「『皆実』いうんは、そうような『ナイチンゲール』みたいな女の人も作る凄い学校なんじゃねえ」

「ああ、そういうたら、『皆実』は、元は『県女』なんだって」


と、『ボッキ』少年は、思い出したようにそう云った。



(続く)




2022年11月20日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その332]

 


「『皆実』は、女の子がようけおるんじゃと」


と、少女『トシエ』は、『広島皆実高校』について、ビエール少年にとっては不思議なことを云い出した。


1967年4月のある土曜日、広島市立牛田中学を出た1年X組のビエール少年と『ボッキ』少年が、『ハナタバ』少年と、後で『秘密の入口』で会おう、と別れたところであった。いつからか、ビエール少年と『ボッキ』少年の背後にいた少女『トシエ』が、『秘密』という言葉を捉え、何の『秘密』か追求していたところ、遠りがかった赤い髪の若い外国人女性が、『バド』と呼ばれているビエール少年に対して、アメリカ人なのかと訊き、ビエール少年と英語での会話を交わしたのを見て、『ボッキ』少年と少女『トシエ』が、ビエール少年の英語力に感嘆していたことから、ビエール少年が見ているというNHK教育テレビの『テレビ英語会話』話題へとなっていた。そして、更に、少女『トシエ』が、奥さんが英語喋れない訳にはいかないから、自分も『テレビ英語会話』見るようにすると云い出し、少女の妄想は、ビエール少年の妻となった自分が、『整体拝受』の際の『ホスチア』だって作るかもしれない、とまで拡がっていっていた。しかし、『ボッキ』少年が、自分はキリスト教の知識のない理由として、お経の一節、『ナ~ムア~ミダ~ンブー』を唱えたことから、広島には『浄土真宗』の家が多いらしい、とビエール少年が博識ぶりを見せ、『ボッキ』少年も『東本願寺』、『西本願寺』を持ち出しはしたものの、『浄土真宗』が『東』と『西』とに別れた事情を知らず、ビーエル少年が、元は一つの『本願寺』だった『石山本願寺』を信長が攻撃したことが原因と説明しだした。そして、その『石山本願寺』信長がなかなか攻め切れなかったのは、『毛利輝元』が『石山本願寺』に食料とか武器なんかを提供して味方したからだとも説明をしたのだ。そこで、少女『トシエ』が、『石山本願寺』にお好み焼きも差し入れしたのだろうか、と云い出し、ビエール少年はそれを否定したが、少女『トシエ』は今度は、『もみじ饅頭』を差し入れしたのだろう、と云い出しことから、話は『もみじ饅頭』という名前の謂れ(『伊藤博文』が名前のヒントを与えた)へと派生していっていた。だが、話は、『伊藤博文』が、山口県光市出身であることから、『夢の超特急』に移っていったものの、今度は、『光市』から臨海学校へと移ってきたのであった。『光市』は、当時(19060年代である)、広島の学校がよく臨海学校で行くところであったからである。そして、最初は臨海学校に興味なさげであった少女『トシエ』が、ビエール少年と(だけではないが)教室で一緒に寝ることになるであろう臨海学校に眼を輝かせ、あろうことかネグリジェを着るとまで云い出し、ビエール少年は、『かわいい魔女ジニー』の姿態を思い出し、股間に『異変」を生じさせていたが、『ボッキ』少年の言葉で、どうにか『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻ったのではあった。だが、『浄土真宗』を広めた『親鸞』の子孫『蓮如』の関連して、晩年、『浄土真宗』に改宗した『一休さん』へとまたまた話は逸れたが、ビエール少年は、なんとかまた『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻し、『信長』が和睦の為、『本願寺』に渡した『一文字呉器』に言及したところ、少女『トシエ』は、『呉器』を『ゴキブリ』と勘違いし、『ボッキ』少年は、『一文』から『ジャイアント馬場』の『十六文キック』の言及してきたので、ビエール少年は、あらためて『一文字呉器』を解説したが、『ボッキ」少年がなかなか理解できないでいる様子である一方、少女『トシエ』は、『ジャイアント馬場』の『十六文』は、実は『文』ではなくアメリカの靴のサイズに由来するというビエール少年の説明を理解していることを自慢し、更に、ビエール少年がアメリカの靴のサイズのことまで知っていることまで自慢げに云い、アメリカで靴を買う時にはビエール少年に付き添って欲しいと云出だし、その際には『ガラスの靴』を買うと云ったことから、話は、今度は、『シンデレラ』に及び、ビエール少年は、『シンデレラ』があだ名であり、その名前の由来について言及していたところ、少女『トシエ』がいきなり、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と叫び声を上げた。そして、『シンデレラ』からさらに派生してドイツの国鉄の名前を出したところ、少女『トシエ』がまた、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と、ビエール少年のドイツ語力に歓迎し、叫び声を上げたのもものかわ、ビエール少年は、ドイツ語、フランス語、英語で、『シンデレラ』の名前の由来を解説したが、『ボッキ』少年は、話を『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情を戻すよう要求したものの、話は、また『ゴキブリ』から『アブラムシ』、そして、その英語『コックローチ』、更に、スペイン語の『クカラチャ』へと展開してしまった。そこからまた、スペインに絡んで、少女『トシエ』が情熱的な『フラメンコ』を踊りたいと云い出し、更に更に話は派生し、『星のフラメンコ』を歌った『西郷輝彦』から、当時(1960年代である)の歌手の『御三家』の『橋幸夫』、『舟木一夫』、そして、『舟木一夫』のヒット曲『高校三年生』へと展開し、今、『高校』という言葉から『広島皆実高校』について、『ボッキ』少年と少女『トシエ』は、語り始めていた。


「え?女子生徒が多い高校なの?」

「ほうなんじゃと。『看護科』があるけえよ」

「『看護科』?」

「看護婦さんになる人が勉強するんよ。じゃけえ、女の子がようけおるみたいなんよ」


少女『トシエ』の云う通り、『広島皆実高校』には、前年(1966年)、『衛生看護科』ができていた。


「ああ、そういうことなんだね」

「ウチ、看護婦さんになるんもええかあ思うとるんよ。じゃけえ、『皆実』の『看護科』もエエかあ思うんじゃけどねえ…」

「うん、看護婦さんって、立派な仕事だからね」

「そうじゃろう。ウチ、看護婦さんになったら、『バド』が入院したら看護したげるけえ」

「ボク、どこも悪いところないけど」

「熱が高うて苦しいんじゃったら、ウチが、『バド』に坐薬入れたげるよ。うふっ」


と、少女『トシエ』は、ビエール少年の臀部に視線を送った。




「え?」


ビエール少年は、思わず尻に手を当てた。



(続く)