2022年11月14日月曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その326]

 


「え?どうしたの?ボクが、何かした?」


と、ビエール少年は、いきなり叫び声を上げた少女『トシエ』に、身を仰け反らせるようにして疑問を発した。


1967年4月のある土曜日、広島市立牛田中学を出た1年X組のビエール少年と『ボッキ』少年が、『ハナタバ』少年と、後で『秘密の入口』で会おう、と別れたところであった。いつからか、ビエール少年と『ボッキ』少年の背後にいた少女『トシエ』が、『秘密』という言葉を捉え、何の『秘密』か追求していたところ、遠りがかった赤い髪の若い外国人女性が、『バド』と呼ばれているビエール少年に対して、アメリカ人なのかと訊き、ビエール少年と英語での会話を交わしたのを見て、『ボッキ』少年と少女『トシエ』が、ビエール少年の英語力に感嘆していたことから、ビエール少年が見ているというNHK教育テレビの『テレビ英語会話』話題へとなっていた。そして、更に、少女『トシエ』が、奥さんが英語喋れない訳にはいかないから、自分も『テレビ英語会話』見るようにすると云い出し、少女の妄想は、ビエール少年の妻となった自分が、『整体拝受』の際の『ホスチア』だって作るかもしれない、とまで拡がっていっていた。しかし、『ボッキ』少年が、自分はキリスト教の知識のない理由として、お経の一節、『ナ~ムア~ミダ~ンブー』を唱えたことから、広島には『浄土真宗』の家が多いらしい、とビエール少年が博識ぶりを見せ、『ボッキ』少年も『東本願寺』、『西本願寺』を持ち出しはしたものの、『浄土真宗』が『東』と『西』とに別れた事情を知らず、ビーエル少年が、元は一つの『本願寺』だった『石山本願寺』を信長が攻撃したことが原因と説明しだした。そして、その『石山本願寺』信長がなかなか攻め切れなかったのは、『毛利輝元』が『石山本願寺』に食料とか武器なんかを提供して味方したからだとも説明をしたのだ。そこで、少女『トシエ』が、『石山本願寺』にお好み焼きも差し入れしたのだろうか、と云い出し、ビエール少年はそれを否定したが、少女『トシエ』は今度は、『もみじ饅頭』を差し入れしたのだろう、と云い出しことから、話は『もみじ饅頭』という名前の謂れ(『伊藤博文』が名前のヒントを与えた)へと派生していっていた。だが、話は、『伊藤博文』が、山口県光市出身であることから、『夢の超特急』に移っていったものの、今度は、『光市』から臨海学校へと移ってきたのであった。『光市』は、当時(19060年代である)、広島の学校がよく臨海学校で行くところであったからである。そして、最初は臨海学校に興味なさげであった少女『トシエ』が、ビエール少年と(だけではないが)教室で一緒に寝ることになるであろう臨海学校に眼を輝かせ、あろうことかネグリジェを着るとまで云い出し、ビエール少年は、『かわいい魔女ジニー』の姿態を思い出し、股間に『異変」を生じさせていたが、『ボッキ』少年の言葉で、どうにか『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻ったのではあった。だが、『浄土真宗』を広めた『親鸞』の子孫『蓮如』の関連して、晩年、『浄土真宗』に改宗した『一休さん』へとまたまた話は逸れたが、ビエール少年は、なんとかまた『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻し、『信長』が和睦の為、『本願寺』に渡した『一文字呉器』に言及したところ、少女『トシエ』は、『呉器』を『ゴキブリ』と勘違いし、『ボッキ』少年は、『一文』から『ジャイアント馬場』の『十六文キック』の言及してきたので、ビエール少年は、あらためて『一文字呉器』を解説したが、『ボッキ」少年がなかなか理解できないでいる様子である一方、少女『トシエ』は、『ジャイアント馬場』の『十六文』は、実は『文』ではなくアメリカの靴のサイズに由来するというビエール少年の説明を理解していることを自慢し、更に、ビエール少年がアメリカの靴のサイズのことまで知っていることまで自慢げに云い、アメリカで靴を買う時にはビエール少年に付き添って欲しいと云出だし、その際には『ガラスの靴』を買うと云ったことから、話は、今度は、『シンデレラ』に及び、ビエール少年は、『シンデレラ』があだ名であり、その名前の由来について言及していたところ、少女『トシエ』がいきなり、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と叫び声を上げたのだ。


「『バド』いうたらあ、英語だけじゃのうて、フランス語もようできるんじゃね!」


と云う少女『トシエ』の眼には、ビエール少年が、トリコロールの旗を身に纏っているように見えていた。


「いや、そういうことではなくって…」

「ウチ,フランスも行ってみたいんよ。『エヘヘ塔』いうん、なんか東京タワーを真似したみたいなんもあるんじゃろ?」

「ああ、『エッフェル塔』ね。あれは、どちらかと云えば、東京タワーの方が後からできたんだから…」




「『バド』は、やっぱりよう知っとるんじゃね、フランスのことも。『シャンシャン通り』にも連れて行ってくれるん?」

「『シャンゼリゼ通り』だね」

「ほうよお、腕組んで一緒に歩こうかいねえ。『♩ダーバダ、ダバダバダ、ダバダバダ』で。うふっ」


その前年(1966年)に公開された映画『男と女』のテーマ音楽を口遊みながら、少女『トシエ』は、ビエール少年の腕を取るべく、胸から身を近づけて行った。


「へ!?...(んぐっ!)


腕に当った『柔らかなモノ』に、ビエール少年の体のある部分は、身を捩らせ、隠さないといけないような『反応』を示したが、


「フランスにも国鉄はあるん?」


という『ボッキ』少年の質問に救われた。『国鉄』マンを父に持つ少年らしい質問であった。


「え?あ、ああ!確か、うん、そう、『エスエヌセーエフ』っていうんだったかなあ、あったと思うよ」


その時(勿論、1967年である)、ビエール少年は、後年、自分がまさか『SNCF』の大家と云われるようになるとは思っていなかった。


「ドイツにも国鉄はあるん?」

「そうだね、西ドイツには、確か、『ドイチェ・ブンデスバーン』って国鉄があって、東ドイツにも『ドイチェ・ライヒスバーン』って国鉄があったと思うよ」

「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」


突然、また、少女『トシエ』が叫び声を上げた。



(続く)





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