2022年11月19日土曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その331]

 


「トンミーくん、『皆実』知らんのん?」


と、『ボッキ』少年は、ビエール少年に対し、勝ち誇った様子を見せた。


1967年4月のある土曜日、広島市立牛田中学を出た1年X組のビエール少年と『ボッキ』少年が、『ハナタバ』少年と、後で『秘密の入口』で会おう、と別れたところであった。いつからか、ビエール少年と『ボッキ』少年の背後にいた少女『トシエ』が、『秘密』という言葉を捉え、何の『秘密』か追求していたところ、遠りがかった赤い髪の若い外国人女性が、『バド』と呼ばれているビエール少年に対して、アメリカ人なのかと訊き、ビエール少年と英語での会話を交わしたのを見て、『ボッキ』少年と少女『トシエ』が、ビエール少年の英語力に感嘆していたことから、ビエール少年が見ているというNHK教育テレビの『テレビ英語会話』話題へとなっていた。そして、更に、少女『トシエ』が、奥さんが英語喋れない訳にはいかないから、自分も『テレビ英語会話』見るようにすると云い出し、少女の妄想は、ビエール少年の妻となった自分が、『整体拝受』の際の『ホスチア』だって作るかもしれない、とまで拡がっていっていた。しかし、『ボッキ』少年が、自分はキリスト教の知識のない理由として、お経の一節、『ナ~ムア~ミダ~ンブー』を唱えたことから、広島には『浄土真宗』の家が多いらしい、とビエール少年が博識ぶりを見せ、『ボッキ』少年も『東本願寺』、『西本願寺』を持ち出しはしたものの、『浄土真宗』が『東』と『西』とに別れた事情を知らず、ビーエル少年が、元は一つの『本願寺』だった『石山本願寺』を信長が攻撃したことが原因と説明しだした。そして、その『石山本願寺』信長がなかなか攻め切れなかったのは、『毛利輝元』が『石山本願寺』に食料とか武器なんかを提供して味方したからだとも説明をしたのだ。そこで、少女『トシエ』が、『石山本願寺』にお好み焼きも差し入れしたのだろうか、と云い出し、ビエール少年はそれを否定したが、少女『トシエ』は今度は、『もみじ饅頭』を差し入れしたのだろう、と云い出しことから、話は『もみじ饅頭』という名前の謂れ(『伊藤博文』が名前のヒントを与えた)へと派生していっていた。だが、話は、『伊藤博文』が、山口県光市出身であることから、『夢の超特急』に移っていったものの、今度は、『光市』から臨海学校へと移ってきたのであった。『光市』は、当時(19060年代である)、広島の学校がよく臨海学校で行くところであったからである。そして、最初は臨海学校に興味なさげであった少女『トシエ』が、ビエール少年と(だけではないが)教室で一緒に寝ることになるであろう臨海学校に眼を輝かせ、あろうことかネグリジェを着るとまで云い出し、ビエール少年は、『かわいい魔女ジニー』の姿態を思い出し、股間に『異変」を生じさせていたが、『ボッキ』少年の言葉で、どうにか『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻ったのではあった。だが、『浄土真宗』を広めた『親鸞』の子孫『蓮如』の関連して、晩年、『浄土真宗』に改宗した『一休さん』へとまたまた話は逸れたが、ビエール少年は、なんとかまた『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情へと話は戻し、『信長』が和睦の為、『本願寺』に渡した『一文字呉器』に言及したところ、少女『トシエ』は、『呉器』を『ゴキブリ』と勘違いし、『ボッキ』少年は、『一文』から『ジャイアント馬場』の『十六文キック』の言及してきたので、ビエール少年は、あらためて『一文字呉器』を解説したが、『ボッキ」少年がなかなか理解できないでいる様子である一方、少女『トシエ』は、『ジャイアント馬場』の『十六文』は、実は『文』ではなくアメリカの靴のサイズに由来するというビエール少年の説明を理解していることを自慢し、更に、ビエール少年がアメリカの靴のサイズのことまで知っていることまで自慢げに云い、アメリカで靴を買う時にはビエール少年に付き添って欲しいと云出だし、その際には『ガラスの靴』を買うと云ったことから、話は、今度は、『シンデレラ』に及び、ビエール少年は、『シンデレラ』があだ名であり、その名前の由来について言及していたところ、少女『トシエ』がいきなり、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と叫び声を上げた。そして、『シンデレラ』からさらに派生してドイツの国鉄の名前を出したところ、少女『トシエ』がまた、「ひゃああ!『バド』いうたらあ!」と、ビエール少年のドイツ語力に感激し、叫び声を上げたのもものかわ、ビエール少年は、ドイツ語、フランス語、英語で、『シンデレラ』の名前の由来を解説したが、『ボッキ』少年は、話を『本願寺』が『東』と『西』とに別れた事情を戻すよう要求したものの、話は、また『ゴキブリ』から『アブラムシ』、そして、その英語『コックローチ』、更に、スペイン語の『クカラチャ』へと展開してしまった。そこからまた、スペインに絡んで、少女『トシエ』が情熱的な『フラメンコ』を踊りたいと云い出し、更に更に話は派生し、『星のフラメンコ』を歌った『西郷輝彦』から、当時(1960年代である)の歌手の『御三家』の『橋幸夫』、『舟木一夫』、そして、『舟木一夫』のヒット曲『高校三年生』へと展開し、『皆実』という言葉が『ボッキ』少年の口から出てきていたのであった。


「そりゃ、『バド』は、『ユーベ』から来たばかりじゃけえ」


少女『トシエ』は、未来の『夫』を庇う。


「ほうかあ。そりゃそうじゃのお。『皆実高校』いうたら一流高校よお。お兄ちゃんも『皆実』から『広大』の医学部に入ったけえのお」

「『皆実』いうんはねえ、北とか南とかの『南』じゃのうて、『皆(みんな)』『実(みのる)』と書くんよ。『皆実町』にあるけえ」


と、少女『トシエ』が解説したが、当時(1967年)も今(2022年)も、『広島皆実高校』が在るのは、『皆実町』ではなく、住所としては、『出汐』である。但し、もっと昔、『皆実』は今の『皆実町』より広範な地域の地名であり、そこから『広島皆実高校』も『皆実』を冠した名前になったと思われるのであった。


そして、『皆実』という地名は、『比治山』(広島市内にある丘のような小高い山である)の南にあることに由来したようなので、ビエール少年が『皆実』を『南』と思ったのもあながち間違ってはいなかったと云えたが、少女『トシエ』も『ボッキ』少年もビエール少年も、そして、当時も今も、かかる事情を知らなかった。


「『総合選抜』じゃけえ、成績が良うても『皆実』に入れるとは限らんけど、ワシ、お兄ちゃんみたいに『皆実』から『広大』に行くんじゃ」

「『総合選抜』?」

「合格しても、市内5校のどこに行けるか分からんのんよ。じゃけど、希望出せるけえ、ワシは、『皆実』を希望するんじゃ」


『ボッキ』少年の説明では、ビエール少年には、その時は、よく分らなかったが、『総合選抜制度』とは、当時(1960年代である)の広島市内の公立高校5校(県立の広島皆実高校、広島国泰寺高校、広島観音高校、市立の舟入高校、基町高校)の入試をまとめて行い、各校の学力が平均化するよう、合格した生徒を振り分ける制度であった。


「へええ、『皆実高校』って、そんなにいい高校なの?」


この時が、ビエール少年が『広島皆実高校』を知った最初であった。そして、この時、ビエール少年は、まさか自分が、その『広島皆実高校』に入学することになるとは思いもしなかったのであった。


「『バド』も『皆実』行くん?」

「行くも何も…」

「『バド』なら行けるよおね。ウチも行きたいけど、『バド』みたいに頭ようないけえ…」


と、少女『トシエ』は、勝手に拗ねた様子を見せた。




「じゃけど、『バド』が『皆実』に入ったら心配じゃし…」



(続く)




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