2022年11月8日火曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その320]

 


「おお、そうじゃあ。ほいで、どして、『東』と『西』とに別れたんや?」


という『ボッキ』少年の言葉が、ビエール少年を救った。


1967年4月のある土曜日、広島市立牛田中学を出た1年X組のビエール少年と『ボッキ』少年が、『ハナタバ』少年と、後で『秘密の入口』で会おう、と別れたところであった。いつからか、ビエール少年と『ボッキ』少年の背後にいた少女『トシエ』が、『秘密』という言葉を捉え、何の『秘密』か追求していたところ、遠りがかった赤い髪の若い外国人女性が、『バド』と呼ばれているビエール少年に対して、アメリカ人なのかと訊き、ビエール少年と英語での会話を交わしたのを見て、『ボッキ』少年と少女『トシエ』が、ビエール少年の英語力に感嘆していたことから、ビエール少年が見ているというNHK教育テレビの『テレビ英語会話』話題へとなっていた。そして、更に、少女『トシエ』が、奥さんが英語喋れない訳にはいかないから、自分も『テレビ英語会話』見るようにすると云い出し、少女の妄想は、ビエール少年の妻となった自分が、『整体拝受』の際の『ホスチア』だって作るかもしれない、とまで拡がっていっていた。しかし、『ボッキ』少年が、自分はキリスト教の知識のない理由として、お経の一節、『ナ~ムア~ミダ~ンブー』を唱えたことから、広島には『浄土真宗』の家が多いらしい、とビエール少年が博識ぶりを見せ、『ボッキ』少年も『東本願寺』、『西本願寺』を持ち出しはしたものの、『浄土真宗』が『東』と『西』とに別れた事情を知らず、ビーエル少年が、元は一つの『本願寺』だった『石山本願寺』を信長が攻撃したことが原因と説明しだした。そして、その『石山本願寺』信長がなかなか攻め切れなかったのは、『毛利輝元』が『石山本願寺』に食料とか武器なんかを提供して味方したからだとも説明をしたのだ。そこで、少女『トシエ』が、『石山本願寺』にお好み焼きも差し入れしたのだろうか、と云い出し、ビエール少年はそれを否定したが、少女『トシエ』は今度は、『もみじ饅頭』を差し入れしたのだろう、と云い出しことから、話は『もみじ饅頭』という名前の謂れ(『伊藤博文』が名前のヒントを与えた)へと派生していっていた。だが、話は、『伊藤博文』が、山口県光市出身であることから、『夢の超特急』に移っていったものの、今度は、『光市』から臨海学校へと移ってきたのであった。『光市』は、当時(19060年代である)、広島の学校がよく臨海学校で行くところであったからである。そして、最初は臨海学校に興味なさげであった少女『トシエ』が、ビエール少年と(だけではないが)教室で一緒に寝ることになるであろう臨海学校に眼を輝かせ、あろうことかネグリジェを着るとまで云い出し、ビエール少年は、『かわいい魔女ジニー』の姿態を思い出し、股間に『異変」を生じさせていたのだ。


「ああ、そうだったね。『東』と『西』とに別れた理由だったよね」

「ほうよ。本願寺は、どして『東』と『西』とに別れたんや?」

「ああ、そもそもね、今の『東』と『西』との『本願寺』の元である『石山本願寺』は、『親鸞』の子孫の『蓮如』というお坊さんが造ったんだけど」

「え?『親鸞』って子孫がおったん?お坊さん、結婚できるん?」


ビエール少年ほどではないとはいえやはり知性豊かな『ボッキ』少年が、なかなか鋭い質問をビエール少年に発した。


「そう、明治になってからは、お坊さんも結婚できるようになったらしいんだけど、それまでは結婚はできなかったようなんだ。だけどね、浄土真宗は元々、お坊さんも結婚してよかったんだよ」

「ほうなんねえ」

「で、この『親鸞』の子孫の『蓮如』というお坊さんは、とっても立派な人で、『浄土真宗』を広めた人なんだって。あの『一休さん』とも親しかったらしいよ」

「ああ、『一休さん』ねえ。ウチ、知っとるよ。殿さんに、『屏風の虎を捕まえ』云われて、『じゃったら、まず、虎を屏風から出しんさい』云うた人じゃろ?面白い子よねえ」


『親鸞』、『蓮如』には興味なかった少女『トシエ』が、『一休さん』には食いついてきた。




「面白い、云うか、アタマええ思うで」


『ボッキ』少年は、頷きながらそう云ったが、ビエール少年は、首をひねりながら、『ボッキ』少年の見方を否定してきた。


「そうかなあ?」



(続く)




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