2017年2月9日木曜日

『沈黙』に『沈黙』【神よりも〇〇〇を選んだ男】(後編)







「ノー・コメントだ、ノー・コメントだ、事務所を通してくれーえ!」

エヴァンジェリスト氏の叫びに、ビエール・トンミー氏は、怯まなかった。

「そうだ、そうなのだ。君は、高校の頃からそういう奴だったのだ」

ビエール・トンミー氏とエヴァンジェリスト氏は、高校生の頃からの友人である。高校1年で同じクラスになって以来、今年(2017年)で47年の腐れ縁なのだ。

「君は、高校生の頃から、女好きであったのだ」
「男子高校生なんて、誰だってそんなものさ」
「君は汚れていた。君は、ボクに、遠藤周作の『沈黙』と『おバカさん』は同じなのだ、どちらも『同伴者』としての神を描いているのだ、と教えてくれた」
「そうだ。それのどこが汚れているというのだ?」
「君は、ボクに『沈黙』を貸してくれた。しかし、面白くなかった。意味がわからなかった。『おバカさん』は、面白かった。君が云う意味は、その時は理解できなかったが、中間小説、娯楽小説である『おバカさん』は面白かった」
「スコセッシの『沈黙』で初めて、ワシの云う意味が分ってきたのであろう?」
「当時、理解はできなかったが、君はボクなんかかが考えもしない『神』と云うもののを高校生ながらも考えているのだ、と感心したのだ」
「ふむふむ」
「だが-!だがだ、しかし君の本性は、そんな聖なるものではなかったのだ」
「何を云いたいのだ?!」
「ボクは知っているのだぞ」
「….?」
「ボクは知っているのだ、君が何故、スコセッシの映画『沈黙』を観に行っていないのか」
「ウッ」
「君は、1971年(昭和46年)、篠田正浩監督の映画『沈黙』を観に行った」
「それを覚えていたのか…」
「篠田正浩の『沈黙』を観た後、君は熱を込めてボクに語った」
「はっ!」
「そうだ、それまでのどんな時よりも熱く君は語ったのだ」
「もういいい。やめろ」
「ふふ、思い出したようだな。そう君は、熱く語った」
「やめろ、やめろ!」
「君は語ったのだ、『マノン』について」
「知らん、知らん!」
「君は語った、観に行ったはずの『沈黙』についてではなく、『マノン』について」
「知らん、知らん!」
「ボクは君に聞かされたのだ、『沈黙』と併映されていた『恋のマノン』について」
「やめろ、やめろ!
「カトリーヌ・ドヌーブが主演した『恋のマノン』に君は興奮したのだ」
「黙れ、黙れ!」
「奔放なマノンに君は魅了されたのだ。君は神を描いた『沈黙』よりも『恋のマノン』に魅入られてしまったのだ」
「もういい、黙ってくれ!」
「君は汚れていた。神について志向しているフリをして、実はただのスケベな高校生であったのだ」
「ノー・コメントだ」
「君はボクに、裸の背中を見せた『マノン』の写真を自慢げに見せた。ボクも興奮した。あの写真が切っ掛けもしれない」
「ノー・コメントだ、事務所を通してくれ」



「その『マノン』のエロい写真を見てから、ボクは変態への道を歩み始めたのかもしれないのだ」
「いや、君は生まれつきの変態なのだ。自分でもいつも、そう云っているではないか」
「確かにボクは生まれつきの変態かもしれない。しかし、『変態道』を歩むことに決心させたのは、あの写真だ、君のせいなのだ」
「濡れ衣だ」
「だから、ボクは知っているのだ」
「?」
「ボクは知っている。君が何故、スコセッシの映画『沈黙』を観に行っていないのか」
「ウウッ」
「スコセッシの『沈黙』に、『恋のマノン』が併映されていないからなのだ」
「ノー・コメントだ、ノー・コメントだ、事務所を通してくれーえ!」
「このスケベ野郎めが!」



(おしまい)








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