「エヴァさん、曲がれるよね?」
前日、リフト列の前にいた同期の女性が訊いてきた。
1982年の冬、会社の同期の皆で、草津にスキーをしに来ていた。
「ああ….」
「じゃ、今日は『ウエ』に行こう?」
「いや、私はいいよ。仕事の疲れが残っているから、今日は温泉に入って過ごすよ」
しかし、エヴァンジェリスト氏は知っていた。
「(ボクは、知っている)」
そう、エヴァンジェリスト氏は知っていたのだ。
「(確かに、ボクは『曲がれる』ようになった。だが、とても『ウエ』から降りて来るなんてことはできはしない)」
エヴァンジェリスト氏は、『己を見る男』であった。
「(ああ、怖いのだ)」
『ウエ』から降りて来ることが怖かった。
「(裕次郎さんは、分ってくれるはずだ。スキーは、裕次郎さんのように上手くはないかもしれない)」
当時(1982年だ)、石原プロモーションは、テレビ・ドラマ『西部警察』でアクション街道まっしぐらであった。
「(しかし、スターは、アクション系だけではないはずだ。こう申しては、裕次郎さんや渡さんに失礼かもしれないが….)」
エヴァンジェリスト氏は、石原プロ入りするという勝手な使命感を持っていたのだが、失礼と思うなら、例え心の中であっても何も云わなければいい。
「(美貌では、ボクの方が優っている)」
今のエヴァンジェリスト氏しか知らない人には、傲慢としか思えない発言(心中の思い)であるが、残念ながら、若き日のエヴァンジェリスト氏を知る者には否定はできない言葉であった。
エヴァンジェリスト氏は、草津のホテルの大浴場(温泉である)で、真っ裸となって湯船に身を伸ばしていた。他には誰もいなかった。
「(石原プロは、恋愛物も手掛けた方がいいかもしれない)」
もし、エヴァンジェリスト氏が当時、石原プロモーションに入社し、そのような主張をしたなら、小林専務(当時)とぶつかっていたかもしれない。実際、その後、程なくして、寺尾聰は、小林専務と進むべき路線で対立し、石原プロを退社しているのだ。
「(裕次郎さんも、日活時代、石坂洋次郎モノに沢山、出演していた)」
エヴァンジェリスト氏は、『陽のあたる坂道』や『あいつと私』を思い出していた。
「(恋愛ものという訳ではないが、倉本聰さんの『わが青春のとき』なんかを映画化してもいい)」
『わが青春のとき』は、A・J・クローニンの小説『青春の生き方』を倉本聰が大胆に脚色したテレビ・ドラマであった(主演は、石坂浩二であった)。原作よりも優れた、殆ど倉本聰のオリジナルといっていい名作である。
(続く)
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