「僕は自殺しない」
いきなりの、いきなりの言葉であった。
エヴァンジェリスト氏がそう云う意味を私は知っていた。
エヴァンジェリスト氏は、60歳を前にして人生で初めて「家」を購入した(中古マンションである)。80歳までの住宅ローンである。
それまでの賃貸マンションの賃料よりもローンの支払の方が安く済むのである。
60歳になり、再雇用になると、現実は想定よりももっと厳しかった。給料は半減以下である。医療費に困るのは勿論、食費にも困るようになった(なっている)。
若い人はよく理解しておいた方がいい。人によって、また、時代によって違いはあるとは思うが、今(2014年)、60歳から-65歳までの間が最も悲惨(お金に困る)かもしれない。
再雇用で働き、社会保険にも入ると(そうなる程の収入がないと困る)、年金は受給できない(1954年生れのエヴァンジェリスト氏の場合、厚生年金部分は61歳から受給可能であるが)。
しかし、再雇用者の給料は、エヴァンジェリスト氏のように、一般に(多分)、かなり悪い。
一方、65歳になってしまうと、年金を満額受給でき、そこに働くと(社会保険に入る程の収入にはならない程の給料で)、年金にプラス労働収入が入るのだ。多分、その方が、60歳から-65歳までの間での再雇用者としての収入よりもよくなるのだ。
再雇用になり、いきなり生活苦に陥ったエヴァンジェリスト氏は、死ねば住宅ローンがなくなるので、今、死を望んでいるらしい。残された夫人には、住宅ローンはなくなり、更に、氏の年金の7割程度の遺族年金が入るはずだ。
そう考えると、自分が死んだ方が妻の為になる、と妻思いのエヴァンジェリスト氏は思うのだ。
それも生命保険が有効な8月までに死ぬことが一番だ、と思うのだ。
更に、出張中の飛行機事故死がいい、と思うのだ。不謹慎だと云ってはならない。エヴァンジェリスト氏は真剣なのだ。
8月までに出張中に飛行機事故死すると、生命保険の支払、航空会社からの慰謝料が妻に入る。
繰返すが、エヴァンジェリスト氏のことを不謹慎だと云ってはならない。エヴァンジェリスト氏は、本当に真剣なのだ。
今(8月までに)、死ぬのが一番だ、と思うのだ。
しかし、自殺では住宅ローンは免除されなくなる。…….だから、
「僕は自殺しない」
なのだ。
私は、エヴァンジェリスト氏にどう声をかけていいものか、と思い、立ちすくんでいた…..と、
「まあな、あの手もあるな」
「あの手?」
「DVDを出すんだ。それで一儲けだ」
「DVD?」
「ああ、水着のな」
「水着のDVD?誰のですか?」
「誰の、って、決ってるだろ」
「ええ、まさか!?」
「まさか、ではない。もちのろん、ワシのだ」
「いや、それはちょっと……」
「何を云う。元日本テレビのアナウンサーの脊山麻理子だって、いい歳をして『脊山麻理子34 ~永遠の天然少女~』というビキニを着たDVDを出し、馬鹿売れだそうではないか」
「いえ、いい歳と云っても、脊山麻理子はまだ….」
「心配するな。ワシは、ビキニ姿にはならん」
ああ、エヴァンジェリスト氏の窮状に同情し、損をした。
......しかし、私は知らなかった。呆れてため息をつく私に背を向けたエヴァンジェリスト氏が、口を真一文字にし、目を瞑っていたことを。
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