「鹿は、何歩、歩くと忘れると思うか?」
エヴァンジェリスト氏が、いきなり訊いて来た。
しかし、質問の意味が分らない。
先日の名古屋駅のホームでの出来事があったばかりだから、アオニヨシ君のことで何か云いたいのであろうことは容易に想像できた(参照:アオニヨシ君、登場!....老人をあしらう。………サッカー日本代表が敗退した日。)。
しかし、「何歩、歩くと忘れるか」って、目的語がなく、そんな質問には何とも答えようがない。
それに、人間をつかまえて(人間に対して)鹿呼ばわりするなんて、失礼にも程がある。アオニヨシ君は確かに鹿に似てはいるが、人間なのだ(多分)。
「人を鹿呼ばわりするなんて、失礼にも程がある、とでも思ったか?」
ギョッ。失礼な人だが、油断のならない人でもある。動揺を悟られぬよう、ゆっくりと答えた。
「アオニヨシ君のことを鹿だなんて、思ってはいませんよ」
…….と、エヴァンジェリスト氏の顔は、満面、笑みで被われた。
「フフフ。語るに落ちる、とはこのことだな。誰が、アオニヨシのことだと云った?」
しまった…….しかし、もう遅かった。
「まあ、よかろう。あの時、君もアオニヨシのことを鹿と見たことは分っているのだからな」
ああ、確かに、アオニヨシ君は、鹿に似ている、というよりも、人間に似た鹿、といった方が妥当かもしれない程であるのだ。
「…..そこで、訊く。鹿は、何歩、歩くと忘れるのか?」
万城目学の小説で、それを原作としたドラマもあった「鹿男あおによし」そのままに、アオニヨシ君は鹿男と云っても過言ではあるまい。
「鶏は三歩歩くと忘れる、というが、鹿が忘れるのは、一歩のようだ。それは、長崎でのことであった」
この際、アオニヨシ君のことを「鹿」として、アオニヨシ君とエヴァンジェリスト氏との間であった出来事を聞くしかあるまい。
(続く)
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