2014年8月26日火曜日

戦艦「大和」→山本五十六→堀悌吉→ミスター・シューベルト(その3)






山本五十六よりも明確に反戦論者であったのが、山本五十六の友人である堀悌吉であったようだ。

…NHK BS1スペシャル「山本五十六の真実」を見たのだ。

堀悌吉は、山本五十六とは広島は江田島の海軍兵学校の同期であり、主席で卒業した秀才であった。山本五十六は9位で卒業したそうだ。

因に、エヴァンジェリスト氏の「名前」(それが何かは、ちょっと云えないが…だって、エヴァンジェリスト氏はエヴァンジェリスト氏であり、「名前」が何であるかって、何とも云いようがないではないか)は、エヴァンジェリスト氏の母親の従兄弟の名前からもらったそうだ。

その従兄弟はやはり海軍兵学校卒業の秀才であり、その従兄弟のように偉くなれるように、という願いを込めて命名したそうだ(ところが、残念ながら、エヴァンジェリスト氏がその期待に応えられなかったことは、ご存じの通りである)。

堀悌吉は、自身が記した「戦争善悪論」でこう記している。


「国家ハ其ノ正当ナル目的ノ為ニ   戦争ヲ起コシ   又ハ之ニ応スルコトアルヘシ   然レトモ其ノ目的ヲ達スルニ   戦争ニ依ラスシテ   他ニ平和的手段アラハ   之ニ依ルヲ可トスヘキナリ アラユル場合ニ於テ   国家カ行フ戦争ヲ是認シテ 善トナスヘカラサルナリ   戦争ナル行為ハ 常ニ乱凶悪ナリ   人ノ好ムトコロニ非スシテ   等シク忌ムトコロノモノ也」


英米との対戦にも反対していた堀悌吉は、海軍内で疎まれ、予備役とされてしまった。つまり、海軍から追われたのだ。

堀悌吉が予備役とされたのは1934年なので、1940年に進水した「大和」には乗っていないはずだ。

堀悌吉は、山本五十六よりも優秀であったので、本来、「大和」に乗るようになっていても不思議ではなかったのだ。でも、実際には「大和」に乗ることはなかった。そのことが却って堀悌吉の偉大さを表しているようにも思える(この意味がお判りであろうか?)。

堀悌吉は、国葬の名誉も受けた山本五十六ほどには世に知られていないが…(以下の「大和」も、呉市の大和ミュージアムに展示してあるあの「ミニチュア」だ)




山本五十六は、堀悌吉が予備役となってからも彼と交遊を続け、堀悌吉宛に何通もの書簡を送った。それらが近年、発見され、まさに「山本五十六の真実」が語られることになったのだ。


.....こんな歴史話は、ビエール・トンミー氏よ、歴史では西洋美術史にしか興味がない君には退屈な話かね?(参照:疑惑のカレッジ.....【ビエール・トンミー氏の優雅な老後】


【続く】







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