山本五十六よりも明確に反戦論者であったのが、山本五十六の友人である堀悌吉であったようだ。
…NHK BS1スペシャル「山本五十六の真実」を見たのだ。
堀悌吉は、山本五十六とは広島は江田島の海軍兵学校の同期であり、主席で卒業した秀才であった。山本五十六は9位で卒業したそうだ。
因に、エヴァンジェリスト氏の「名前」(それが何かは、ちょっと云えないが…だって、エヴァンジェリスト氏はエヴァンジェリスト氏であり、「名前」が何であるかって、何とも云いようがないではないか)は、エヴァンジェリスト氏の母親の従兄弟の名前からもらったそうだ。
その従兄弟はやはり海軍兵学校卒業の秀才であり、その従兄弟のように偉くなれるように、という願いを込めて命名したそうだ(ところが、残念ながら、エヴァンジェリスト氏がその期待に応えられなかったことは、ご存じの通りである)。
堀悌吉は、自身が記した「戦争善悪論」でこう記している。
「国家ハ其ノ正当ナル目的ノ為ニ 戦争ヲ起コシ 又ハ之ニ応スルコトアルヘシ 然レトモ其ノ目的ヲ達スルニ 戦争ニ依ラスシテ 他ニ平和的手段アラハ 之ニ依ルヲ可トスヘキナリ アラユル場合ニ於テ 国家カ行フ戦争ヲ是認シテ 善トナスヘカラサルナリ 戦争ナル行為ハ 常ニ乱凶悪ナリ 人ノ好ムトコロニ非スシテ 等シク忌ムトコロノモノ也」
英米との対戦にも反対していた堀悌吉は、海軍内で疎まれ、予備役とされてしまった。つまり、海軍から追われたのだ。
堀悌吉が予備役とされたのは1934年なので、1940年に進水した「大和」には乗っていないはずだ。
堀悌吉は、山本五十六よりも優秀であったので、本来、「大和」に乗るようになっていても不思議ではなかったのだ。でも、実際には「大和」に乗ることはなかった。そのことが却って堀悌吉の偉大さを表しているようにも思える(この意味がお判りであろうか?)。
堀悌吉は、国葬の名誉も受けた山本五十六ほどには世に知られていないが…(以下の「大和」も、呉市の大和ミュージアムに展示してあるあの「ミニチュア」だ)
山本五十六は、堀悌吉が予備役となってからも彼と交遊を続け、堀悌吉宛に何通もの書簡を送った。それらが近年、発見され、まさに「山本五十六の真実」が語られることになったのだ。
【続く】
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