2017年3月17日金曜日

衝撃の法話【住職は告白する】




2017年3月11日は、エヴァンジェリスト氏の母親の十三回忌、父親の三回忌の法要であった。

法要は、広島市内のお寺で執り行われた。

母親の命日は、3月XX日、父親の命日は、4月X日であったが、東京に住むエヴァンジェリスト氏が二度、帰広せずとも済むよう、まとめて法要が行われたのである。

参列したのは、諸般の事情から、エヴァンジェリスト氏とその次兄夫婦の3人であった。

いや、法要のあった本堂の襖の背後に、もう一人、参列はしていないが、こっそり法要の様子を伺う存在があった…….




黒ずくめの男であった。

しかし、喪服を着た男というよりも、忍者といった方が相応しい黒ずくめの男であった。顔も頬までヒゲに覆われ(実際のところは、頬は覆面の下にあり確認はできなかったが)、暗黒の中に目だけが怪しい輝きを放っていた。

「ビエール様、お任せ下さい」

『忍者』は、誰にも聞こえぬ程の小声で呟いた。

お経をあげてくれた住職の法話は、なかなかに興味深いものであった。

「ビエール様が私を遣わせになられたのは、このことであったのか」

『忍者』は、『主人』ビエール・トンミー氏の慧眼に敬服した。

住職は、『他力本願』や『悪人正機』について語っていた。そのお寺は、浄土真宗であった。

それはそう、どこか、遠藤周作の云う『母なる神』に通じるところが感じられた。

「ビエール様は、エヴァンジェリスト氏がただ法要の為に広島に帰ったのではない、と踏まれたのだ」

ビエール・トンミー氏は、スコセッシ監督の映画『沈黙』で、遠藤周作の心を知った。そして、エヴァンジェリスト氏が…….フランス文學界の最高峰のOK牧場大学大学院の修士であり、遠藤周作やフランソワ・モーリアック、グレアム・グリーンを通してカトリック文学の権威とも云えるその友が、仏教の法要で何かを感じようとしているのではないか、と考えられたのだ。

そして、『忍者』は『主人』ビエール・トンミー氏の読み通りであったことを確認したのである。

そう、エヴァンジェリスト氏の呟きを『忍者』は聞き逃さなかったのだ。

「『原罪』か…」

その言葉が総てを表していた。

やはり、エヴァンジェリスト氏は、親鸞、浄土真宗とキリスト教との類似性に想いを馳せていたのだ。

「遠藤さん…」

その名前を発したことが決定的な証左となった。

「ビエール様。ご主人様の予見通りでした」

『忍者』は、そう『主人』ビエール・トンミー氏に報告せねば、と思った。

その時であった。

その時、『忍者』は、信じられない言葉を耳にしたのである。

「当時、エヴァンジェリストさんを見て、『なんとハンサムな人なんだろう』と思ったんですよ」

『主人』の眼力に驚いている内に、法話は進んでいたようであった。いや、法話は既に終り、法話後の雑談となっていたのかもしれない。

住職は確かにそう云ったのだ。

「当時、エヴァンジェリストさんを見て、『なんとハンサムな人なんだろう』と思ったんですよ」

住職は、エヴァンジェリスト氏の知り合いである(エヴァンジェリスト氏の10歳年下だ)。

前の住職(現在の住職のお父様)が、エヴァンジェリスト氏の母親がとても親しくしていた人で、エヴァンジェリスト氏自身は覚えていなかったが、40年余り前、エヴァンジェリスト氏は今の住職(当時は小学生)を映画に連れて行く等して遊んであげたらしい。

その時、小学生の『住職』は思った、ということであるらしかった。

「当時、エヴァンジェリストさんを見て、『なんとハンサムな人なんだろう』と思ったんですよ」

住職は、幼少の頃、憧れの歳上の女性に抱いた想いを告白するように、そう云ったのだ

「当時、エヴァンジェリストさんを見て、『なんとハンサムな人なんだろう』と思ったんですよ」

住職の衝撃の『告白』に、『忍者』は混乱した。

『主人』ビエール・トンミー氏に何を報告すべきであるのか。

親鸞、浄土真宗とキリスト教との類似性を想うエヴァンジェリスト氏のことであるべきなのか、或いは、『なんとハンサムな人なんだろう』という住職の、正直過ぎる、衝撃過ぎる告白であるべきなのか……..







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