(参照:『おバカさん』に怒られた(青春のネラン先生)【前編】の続きである)
老いた男は、まだ、ベッドでうなされていた。
「ウ……ウ……..」
呻き声は言葉にはなっていなかった。
一方、老人の頭の中に響いていた言葉は、強くはっきりしたものであったが、老人以外の誰にも聞こえるものではなかった。
「Monsieur XXXXXX!!!」
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「Monsieur XXXXXX!!!」
男は驚いて、思わず立ち上がったのであった。
『プロの旅人』氏の若い頃のようにも、エヴァンジェリスト氏の若い頃のようにも見える男である。
「Monsieur XXXXXX!!!」
若い男は、「教室」で、60歳手前の外国人に怒鳴られていたのだ。
外国人は、ジョルジュ・ネラン(Georges Neyrand)神父、というか、先生である。遠藤周作の小説「おバカさん」の主人公『ガストン・ボナパルト』のモデルになられた方である。
しかし、現実の「おバカさん」は、小説の「おバカさん」である『ガストン・ボナパルト』とは少々違っていた。いや、かなり違っていた。
『ガストン・ボナパルト』は、馬面な風采の上がらぬフランス人である。「ふぁーい」と情けない声を出す男なのだ。
一方、現実の「おバカさん」は、恰幅のいい人であった。そして今、男を凝視している顔は、男に声も出させなくした威厳のあるものであった。
若い男は、OK牧場大学の大学院修士課程に進学し、文学研究科フランス文学専攻で学んでいた。修士課程の1年生であった。
そして今、若い男は、研究室棟にある仏文の共同研究室の事務室横にある小部屋(教室)で授業を受けていた。
ネラン先生は、OK牧場大学所属の教員ではなかったが、講師としてOK牧場大学の修士課程の授業を受けもっておられたのだ。
OK牧場大学の文学部に入学したのは、遠藤周作の影響であり、その遠藤周作を(彼の作品を)理解できるようになった切っ掛けとなったのが、「おバカさん」だった。
だから、若い男は、その「おバカさん」に教えを受けることができると、感激したはずであった。間違いなく感激したはずであった。
その「おバカさん」が目の前にいるのだ。
だが今は、感激はどこかに飛び、若い男の全身は恐怖に縛られていた。
「Monsieur XXXXXX!!!」
と憧れの「おバカさん」に呼ばれても(いや、男は怒られているとしか思えなかった)、
「……..」
何も応えることができなかったのだ。
ネラン先生は、若い男に何か質問をしたらしかった。なんとか(いや、何故か)そのことは理解できた。
しかし、何を質問されているのか、理解できなかったのだ。
「Monsieur XXXXXX!!!」
と強く云われるまでは、当てられていることすら分っていなかったのだ。最初は、
「Monsieur XXXXXX」
と呼んだだけであったのだろう。しかし、学生が応えず、顔を向けることすらしないので、
「Monsieur XXXXXX!!!」
と怒鳴ったのであろう。
しかし、若い男は、体を硬直させたまま思った。
『だって、ボクは、フランス語を喋ったり、聞いたりする訓練を受けていないのだ。東京日仏学院の『ディクテ』の授業を挫折したのだ。ネラン先生がなにを仰っているのか、分からないんだ』
男の言い訳には一理はあった。大学院入試の科目にフランス語会話はなかったのだ。
しかし、ネラン先生に、
「Monsieur XXXXXX!!!」
と叱られた時、それは初めての授業ではなかったはずだ。
ネラン先生は、授業では一言も日本語をお使いではなかった。総てフランス語での授業であった。
それまでの授業を男はどう過ごしたのか?そして、その後の授業をどう過ごしたのか?
ネラン先生の授業の単位をその後取得したはずでもあるが、どうやって単位を取得したのか?
男には、一切、記憶がない。
「Monsieur XXXXXX!!!」
と叱られた時の恐怖が、総ての記憶を消し去ったのであろう。
記憶にあるのは、叱られた時、叱られたその瞬間だけだ。
ネラン先生は、日本語は達者なはずだ。来日されたのは、1952年であることは知っていた。若い男が生を受けたのは1954年だ。その2年前に来日されているのだ。日本生活は、自分より2年も長いのだ。
なのに、授業では、日本語をお使いにならないのだ。
先生を恨んだ。逆恨みであることは分っていたが、ネラン先生を恨んだ。
「おバカさん」(ガストン・ボナパルト)のように、
「ふぁーい、XXXXXXさん」
と声をかけて欲しかった。
(続く)
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