老いた男は、再び、うなされていた。
「Oui……present…Oui……present…」と呻き声のような寝言を繰り返していたあの老人である。
「ウ……ウ……..」
しかし、その夜は、呻き声は言葉にはなっていなかった。
老人の頭の中に響いていた言葉は、老人以外の誰にも聞こえるものではなかった。
「Monsieur XXXXXX!!!」
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「Monsieur XXXXXX!!!」
男は驚いた。驚いて、思わず立ち上がった。
『プロの旅人』氏の若い頃のようにも、エヴァンジェリスト氏の若い頃のようにも見える男であった。
「Monsieur XXXXXX!!!」
若い男は、「教室」で、60歳手前の外国人に怒鳴られていたのだ。
「……..」
口は半開きとなっていたが、声は出なかった。
先生と思しき外国人は、「Monsieur 」(ムッシュ)と云っているところから、フランス人と察せられる(少なくとも、フランス語圏の人であろう)。
いや、学生である若い男には、その外国人は誰か分っていた。
ネラン先生である。
ジョルジュ・ネラン(Georges Neyrand)神父、というか、先生だ。
ネラン先生は、若い男にとっては、「夢の存在」な方であった。
ジョルジュ・ネラン神父は、遠藤周作の小説「おバカさん」の主人公『ガストン・ボナパルト』のモデルなのだ(これは有名な話だ)。
若い男が、このOK牧場大学の文学部に入学したのは、遠藤周作の影響であった。遠藤周作の影響で、遠藤周作に影響を与えたフランスの作家フランソワ・モーリアック(François Mauriac)の研究をする為であったのだ。
その遠藤周作を(彼の作品を)理解できるようになった切っ掛けとなったのが、「おバカさん」だったのだ。
小説「白い人」や「黄色い人」、「海と毒薬」を読んでもよく理解できなかったのであったが(中学生であった男に理解できなくても仕方はなかったであろうが)、「おバカさん」を読んで初めて、遠藤周作なるモノを理解できたように感じたのだ(そもそも何故、「白い人」や「黄色い人」、「海と毒薬」を読んだのか、そして、読んでも理解できなかったのに、まだ遠藤周作の小説を読み進めたのか今となっては不明だが、それが運命というものであろう)。
その「おバカさん」が目の前にいるのだ。
(続く)
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