2017年8月31日木曜日

見てはいけないもの(その2)[M-Files No.1 ]




1966年のこと、広島市立皆実小学校6年生の子供たちは、見てはいけないものを見てしまったのであった。

50mを「6.9秒」で走りきった同級生のエヴァンジェリスト氏である。

小学6年生で50mを「6.9秒」というのは、異常と云っていい記録であった。

であれば、同級生から賞賛されても良かったはずだ。しかし、誰も拍手せず、感嘆の声を出すこともなく、エヴァンジェリスト氏の周囲に漂ったのは、戸惑いの空気であった。

エヴァンジェリスト氏は、してはならないことをしてしまったのだ。見せてはならないものを同級生たちに見せてしまったのだ。




その時、50mをやはり「6.9秒」で走った児童がいた。イダテン君だ。



イダテン君は、スポーツ万能であった。だから、広島市立翠町中学から「スカウト」されていた。翠町中学の野球部に入部が決っていたのだ。

公立の学校が「スカウト」というのも妙だ。しかも、中学が小学生を「スカウト」というのも妙だが、それが事実なのだからしようがない。

翠町中学は公立中学だし、イダテン君の中学の学区は、翠町中学なので、私立中学に進学しない限りイダテン君は、翠町中学に入学する。そこに「スカウト」は不要だ。

だから、正確には、翠町中学がイダテン君をスカウトしたのではなかった。

翠町中学の「野球部」が、イダテン君が私立の中学への進学はせず、翠町中学でも他の部活動をすることなく「野球部」に入るよう、イダテン君を彼が小学生のうちに説得していたのだ。それが「スカウト」であった。

さほどに、イダテン君はスポーツ万能なのであった。

そんなイダテン君が、50m走で「6.9秒」という記録を出すことは、あってしかるべきことであった。

しかし、エヴァンジェリスト氏が(いや、当時ならエヴァンジェリスト君というべきであろうか)、50m走でイダテン君と同タイムの「6.9秒」という凄い記録を出すことは、あってはならないことなのであった。

エヴァンジェリスト君は、勉強は万能であった。しかし、スポーツは万能ではなかったのだ。

水泳では、25mを泳ぎきることはできなかった。

住んでいる町内(翠町)の小学生ソフトボール・チームに入っていたが、控えの投手兼9番ライトであった。

「ライ8」という言葉がある。周知の通り、ライトで8番ということだ。

子どものソフトボールの試合では、ライトには余り球が飛んでこない。だから守備が下手な子がライトを守る。

8番は、投手を除けば、一番打力のない子が座る打順である。

だから「ライ8」は、守備力も打力もない子の『ポジション』だ。

しかし、エヴァンジェリスト君は、「ライ9」なのだ。

勿論、守備が一番下手だからライトを守る。打力は、投手を含めても一番劣るので、打順は9番なのであった。

だから「ライ9」である。

控え投手ではあったが、登板したことはない。ブルペンでの投球練習もしたことがない、名ばかりの控え投手であった。

そんなスポーツ万能というよりも、スポーツ劣等生のエヴァンジェリスト君が、イダテン君と同じ50m走「6.9秒」という皆実小学校一番の凄い記録を出したのだ。

エヴァンジェリスト君が走るところを見ていた同級生の何人かは、先生がストップウオッチを押し間違えたのではないかと思ったであろう。

しかし、先生は、エヴァンジェリスト君に走り直しを命じることはなかった。ストップウオッチを押し間違えてはいなかったからだ。

それに、先生は、そして多分、多くの同級生は、エヴァンジェリスト君のタイムが「6.9秒」であるかどうかは別として、彼の走りが猛烈に速かったことは実感していたのだ

エヴァンジェリスト君は確かに、速かった。一緒に走った子を遥か後ろに置き去りにする程、速かったのだ。

同級生たちは困った。スポーツ万能のイダテン君と同タイムの50m走「6.9秒」という驚異的な記録を出したエヴァンジェリスト君の取扱いに困ったのだ。

だから、エヴァンジェリスト君の周囲には、戸惑いの空気が漂ったのであったのだ。


(続く)







2017年8月30日水曜日

見てはいけないもの(その1)[M-Files No.1 ]




1966年のことであった。

広島市立皆実小学校6年生の子どもたちは、見てはいけないものを見てしまった。

50mを走りきった同級生のエヴァンジェリスト氏である。




12歳のエヴァンジェリスト氏は、その日、50m走で「6.9秒」という記録を出した。

小学6年生で50mを「6.9秒」というのは、今でも多分、相当に速い。1966年当時も、異常と云っていい記録であった。

であれば、同級生から賞賛されても良かったはずだ。しかし、誰も拍手せず、感嘆の声を出すこともなかった。

その時、エヴァンジェリスト氏の周囲に漂ったのは、戸惑いの空気であった。

エヴァンジェリスト氏は、してはならないことをしてしまったのだ。見せてはならないものを同級生たちに見せてしまったのだ。

その心は…….



(続く)












2017年8月29日火曜日

[この兄にして]救急車と馬鹿息子(後編)



2002年11月15日の21:00過ぎ、McDonaldのアルバイトから帰宅したグソク・エヴァンジェリスト(当時、高校生)は、風邪をひいたのか、何か食べたものにあたったのか、トイレに駆け込み、嘔吐した。

普段から悪行を重ねてきた罰があたったのだ、と両親は、全く心配しなかったが、夜中11時過ぎに、また吐き気を催し、トイレに駆込もうとして間に合わず、廊下一面に嘔吐物をまき散らしてしまったものの中には血が混じり、熱も39度を越えとても苦しそうであったので、両親は一応、まさに一応、

「救急病院にでも行くか?」

と訊いたところ、馬鹿息子は、キラッと目を輝かせて、

「救急車で行くの?」

と両親に訊いたのであった。




「んな訳ないだろ。タクシーだよ」

とツレナイ父親(エヴァンジェリスト氏)に、

「な~んだ。救急車だったら行ってもいいのに...」

グソク・エヴァンジェリストは、不満を顔にも声にも出した。

「救急車ってタダじゃないのよ。1万円するのよ!なんで、救急車なのよ!」

母親(マダム・エヴァンジェリスト)は、文字通り、眉を吊り上げた。

「いや、ま、一回、救急車に乗ってみたくて」
「ああ、もう、なしなし!病院も明日でいい」

と、結局、両親は、馬鹿息子を救急病院には連れていかなかった。

翌朝、近くのかかりつけの内科に母親が連れて行き、点滴を打ってもらい、翌日(2002年11月16日)の17:30頃にはもう、実はすっかりよくなっていた。

しかし、馬鹿息子は、まだ具合が少し悪いふりをして、ソファに寝そべり、テレビをグータラ見ていた。

実は、懲りない馬鹿息子は、その日の朝、かかりつけの内科に行く際にも、母親に訊いていたのである。

「救急車で行くの?」



※ 写真と本文とは関係ありません。


歩いて、3、4分の所にある病院である。ホント、馬鹿息子としかいいようがない。

点滴を打ってもらい、帰ってきた馬鹿息子に、妹(マドモワゼル・エヴァンジェリスト)が訊いていた。

「先生なんて云ってたの?風邪?それとも、普段の行いが悪いからだって?」

両親の会話を聞いていたのだ。

この兄にしてこの妹あり、とはこのことであった。

いやいや、この父にして、この愚息あり、この愚娘あり、であろうか。


(おしまい)



2017年8月28日月曜日

[この兄にして]救急車と馬鹿息子(前編)



2002年11月15日の21:00過ぎ、MacDonaldのアルバイトから帰宅したグソク・エヴァンジェリスト(当時、高校生)は、

「お前、また、iPod壊しただろ」

という父親(エヴァンジェリスト氏)に取り合うこともなく、トイレに駆け込み、嘔吐した。

※ 写真と本文とは関係ありません。

風邪をひいたのか、何か食べたものにあたったのか、かなり体調を崩したようであった。

普段から嘘ばっかりついたり、色々なものを壊したり、忘れ物をしたり、学校からのプリントを母親に渡さなかったりと、悪行を重ねてきた罰があたったのだ、と両親は、全く心配しなかった。

しかし、夜中11時過ぎに、また吐き気を催し、トイレに駆込もうとして間に合わず、廊下一面に嘔吐物をまき散らしてしまった。更に、トイレで続けて嘔吐したものの中にはが混じっていた。

熱も39度を越え、グソク・エヴァンジェリストはとても苦しそうであった。両親はそれでも心配なんか全然していなかったが、一応、まさに一応、

「救急病院にでも行くか?」

と訊いた。

と、さっき迄、苦しんでいて口もろくにきいてきなかった馬鹿息子は、キラッと目を輝かせて、

「救急車で行くの?」

と両親に訊いたのであった。


(続く)




2017年8月27日日曜日

【この父にして】アナウンサーになりたい理由




2017年8月26日から27日にかけて、日本テレビは、『24時間テレビ』をしている。

しかし、エヴァンジェリスト氏は『24時間テレビ』に興味はないので、見ていない。

しかし、日本テレビと聞くと、いつも思い出すことがある

2008年のことである。

『就活』で苦戦中のグソク・エヴァンジェリストも、『就活』を始めた頃は呑気で、日本テレビを受け、不合格になったことを楽しげに話していたのだ。

アナウンサーに応募したのである。

「何故、不合格になった?」

父親(エヴァンジェリスト氏)は、息子に訊いた。

「滑舌が悪いから」
「そうなんだ」
「『アナウンス学院かどこかに通った?』と訊かれた」
「そういうもんなの?」
「そういうもんらしい」
「で?」
「通ってないし、『駄目ですよね?』と訊いたら、『そうだねえ』と云われた」
「駄目か」
「うん、『君、面白いね』とは云われたけど」
「ところで、何故、アナウンサーになろうと思った?」
「まあ、そこから芸能人になれるかも、と思ったから」


この父にしてこのグソクありであろうか。

この父は、当時から石原プロモーションに入り、俳優兼プロデューサーになると云っているのだ。2017年の今もまだそうだ。

「まき子夫人からまだ電話が来ない(ウチ[石原プロ]にいらっしゃい、という電話のことだ)」

と云い続けてきる。


………..その後、グソク・エヴァンジェリストは、ベンチャー的な企業は別として、一向に合格通知を受けられず、とかく不機嫌になった。

息子が不機嫌で困る為、息子の就職先として、エヴァンジェリスト氏は夫人(息子の母親だ)に、

「石原プロでマネジャー募集しているけど」

と云ったところ、夫人の顔は夜叉になり、エヴァンジェリスト氏を射竦めたのであった。

その後、グソク・エヴァンジェリストは、芸能人にはならず、ベンチャー企業を経て、外資系企業(製造・販売会社)に転職し、今(2017年)はまた、更にまた別の外資系企業(広告代理店)に勤めている。

広告代理店勤務というところが怪しい。広告代理店で芸能界に近づき、芸能人になることを未だ諦めていないのかもしれない。









2017年8月21日月曜日

【実録】三匹の『仕事人』、仙台を行く(その8)[M-Files No.3]




以下に記すのは、M-Files No.3である。1996年5月に仙台に向った三匹の『仕事人』の記録である。



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「セミナー」の為、仙台市に出張したシショー・エヴァンジェリストとヒトサシユビKとエヴァンジェリスト氏は、3人共に『プロ』であった。「必殺仕事人」のような3人であった。

「セミナー」が始まる時に集り、終ればそれぞれ去っていくのであった。

尤も、それは、エヴァンジェリスト氏にとって予想通りの展開だ。

しかし、この仙台出張の間、エヴァンジェリスト氏の予想が外れた出来事があった。そして、予想だにできなかった出来事もあったのだ。






大体は、予想通りの展開であった。

仕事(セミナー)は、問題なく終え、お客様も皆さん、「セミナー」で紹介された商品に関心をお持ちになった。

シショー・エヴァンジェリストとヒトサシユビKとエヴァンジェリスト氏の3人が、仙台に来るのも別々、ホテルも別々であろうとなかろうと、そんなことはどうでもいいのだ。

仕事さえ、キチンとこなせばいいのだ。

そして、「仕事人」の3人は、予想通り、予定通り、仕事をこなしたのだ。

予想が外れたのは、ドーナッツ屋「MD」であった。

仙台市ではシショー・エヴァンジェリストは、エヴァンジェリスト氏を「MD」に連れて行ってはくれなかったのだ。仙台市に「MD」が無かった訳ではなかったのであるが。

シショー・エヴァンジェリストは、協業先であるハカセ社との懇親会にも顔を出さなかった。

「セミナー」で協力してくれているハカセ社とは通常、2日に亘る「セミナー」の初日の夜、懇親会を持ち、シショー・エヴァンジェリストも出席するのだが、今回は、

「疲れているから」

と、出席しなかった。

普段は、付合いもよく、気配りの素晴らしい方であるのだが、「セミナー」に疲れたのであろうか。或いは、ホテル探しの時刻表のページめくりに疲れたのであろうか。

それとも「インドジャナイ氏」でもしようとしていたのであろうか。「セミナー」後、シショー・エヴァンジェリストは、公衆電話でどこかに電話をしていた(まだ、携帯電話のない時代であった)。





はたまた、懇親会でハカセ社の課長が云う言葉を本能的に察していたのであろうか。

ハカセ社の課長は、懇親会で、こう云ったのだ。

「うちももっと、御社の商品を売らせて貰うように頑張らないといけないと思うんですよ。御社の商品でも『A』や『B』は、かなり専門知識が必要で扱うのは難しいと思いますが、『C』なら、うちの全国の支店の若手の営業でも売れますよ。いい商品だし、第一、シショー・エヴァンジェリストさんだって売ってるんですからね」

正直な、いや失礼な課長さんだ。シショー・エヴァンジェリストがお客様の心を、お客様の信頼をいかに掴んでいるのか、ご存じないのだ。


(続く)




2017年8月19日土曜日

特報!『プロの旅人 Classic』をリセット、再開!

特報である!

『プロの旅人』の『再放送』(過去記事の掲載)である『プロの旅人 Classic』をリセット、再開した。


アクセスは、

http://gastondumas-classic.blogspot.jp

だあ!


尚、この記事の前に、『【実録】三匹の『仕事人』、仙台を行く』シリーズを更新しているので、そちらも忘れずご覧下さい。

【実録】三匹の『仕事人』、仙台を行く(その6)[M-Files No.3]です。








2017年8月17日木曜日

【実録】三匹の『仕事人』、仙台を行く(その4)[M-Files No.3]



以下に記すのは、M-Files No.3である。1996年5月に仙台に向った三匹の『仕事人』の記録である。


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「ディスカウント・チケット買うんだって?オレのも買っておいてくれるかな」

シショー・エヴァンジェリストが、新幹線の切符の手配をエヴァンジェリスト氏に依頼した。

ホテルの件で1人取り残されたエヴァンジェリスト氏に、これ以上惨めな思いをさせまい、と気を遣ったのかもしれなかった。

ディスカウント-「値引き!安い!」......という問題ではないのだ、きっと。いや、これは、シショー・エヴァンジェリストの優しさなのだ、多分。






…….えっ、あなたは、シショー・エヴァンジェリストの優しさを疑っているのか?

シショー・エヴァンジェリストは確かに、松江市への出張の際に、<航空券+ホテル>の超格安出張ビジネス・クーポンを利用した。

当時は、シショー・エヴァンジェリストの会社に限らず、今と異なり、出張精算は実費精算ではない企業が多かったので、格安出張ビジネス・クーポンを使う意味があったのだ。

1泊分の仕事しかなかったが、シショー・エヴァンジェリストが利用しようとした超格安出張ビジネス・クーポンでは2泊する必要があった。

その為、シショー・エヴァンジェリストが、同行するエヴァンジェリスト氏に頼み込んで、もう1泊分の仕事を創ってもらったことがあるのは否定できない事実である。

しかし、その一度の例をもって総てを同じように決めつけるのは、少々、性悪説的過ぎはしまいか。

エヴァンジェリスト氏は、今度は(ディスカウント・チケットの手配を頼んできたのは)シショー・エヴァンジェリストの優しさだと信じたいのだ。

仕事熱心でもあったのだ、きっと、きっと。

もう1泊して2泊3日の出張とすることは、若くはない、シショー・エヴァンジェリストには体力的にはきついが、それだけ多くのお客様を訪問できるのだ。それだけ沢山の仕事が、一度の出張でできるのである。

「値引き!安い!」という気持ちが一分もないとは云わない。700円でも安い方がいいではないか。

エヴァンジェリスト氏自身だってそうだ。他の多くの人だってそうではないのか(あなただってそうではないのか)?

松江市への出張の場合だと、超格安出張ビジネス・クーポンはホテル2泊分がついて、普通の往復の航空券代金より安いのだ。無理はない。

「ディスカウント・チケット買うんだって?オレのも買っておいてくれるかな」

と云った時のシショー・エヴァンジェリストの声に、ある種の必死さが込められていたことをエヴァンジェリスト氏だって知らない訳ではなかった。



だがやはり、エヴァンジェリスト氏に、シショー・エヴァンジェリストの優しさを信じる気持ちにさせる出来事があったのだ。


(続く)


2017年8月16日水曜日

【実録】三匹の『仕事人』、仙台を行く(その3)[M-Files No.3]




以下に記すのは、M-Files No.3である。1996年5月に仙台に向った三匹の『仕事人』の記録である。



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シショー・エヴァンジェリストの泊るホテルは、どうもエヴァンジェリスト氏のホテルとも、ヒトサシユビKのホテルとも違うホテルのようだ。

シショー・エヴァンジェリストが何故、自分の泊るホテルを同行者たちに明かさないのか、そに理由は分からなかった。






副部長のシショー・エヴァンジェリストと一応、課長職のエヴァンジェリスト氏と、そして、これまた一応、課長代理職のヒトサシユビKとは時々、一緒に地方に出張する。1996年の頃のことだ。

お客様の大半が地方の企業である。

3人はそれぞれ、月の半分くらい地方に出張していた。その頃(1996年の頃)、時々、協業先のハカセ社と一緒に地方各地で「セミナー」を開催していた。その時は、3人が一緒に出張した。

今回の「セミナー」は、仙台市での開催であったのだ。

この仕事はエヴァンジェリスト氏が一番長く、3年余り担当していた。シショー・エヴァンジェリストは1年程前から、ヒトサシユビKは3ヶ月前から、この仕事に就いていた。

エヴァンジェリスト氏の部署では、誰かと一緒に出張する時、普通は同じホテルを取っていた。そうしたい訳ではなかったが、普通はそうしていた。少なくともエヴァンジェリスト氏はそうしてきた。

しかし、その時の仙台出張では、シショー・エヴァンジェリストとエヴァンジェリスト氏、そして、ヒトサシユビKの泊るホテルは、別々となったのである。

出張中と云えども夜はプライベート・タイムであるから、宿泊するホテルが別々となったとしても、まあいいであろう。

シショー・エヴァンジェリストは、有名OK牧場大学の出身で、出世した同級生が全国にいるようだ。出張の夜も忙しいのであろう。

もっともエヴァンジェリスト氏も同じOK牧場大学の出身であるが、出世した同級生が全国にいる訳ではなかった。

しかし、さすがにシショー・エヴァンジェリストは副部長であった。

部下のエヴァンジェリスト氏の気持ちを慮ったのであろう、新幹線の切符の手配は、エヴァンジェリスト氏に依頼してきた。

「ディスカウント・チケット買うんだって?オレのも買っておいてくれるかな」





ディスカウント-「値引き!安い!」......という問題ではないのだ、きっと。いや、これは、シショー・エヴァンジェリストの優しさなのだ。

ホテルの件で1人取り残されたエヴァンジェリスト氏に、これ以上惨めな思いをさせまいとする副部長心なのであったのだろう。


(続く)





2017年8月13日日曜日

【道徳罪(後編)】トイレットペーパーで逮捕?





「『ウイーン』でのことも、ネタはあがっているんですよ!」

ウイーン』と聞き、ビエール・トンミー氏は、目つきの悪い男を振り切って、自宅の門の中に入ろうとした。

「逃げるのですか?逃げるなら、逮捕するぞ!」
「うっ!,,,タ、タイホ…..?」

門を開けようとした手を止めた。

男は、刑事なのか?週刊文春か、週刊新潮か、フライデーの記者なのではないのか?

「貴方は、ウイーンの地下鉄の駅のトイレに入りましたね?」
「私の記憶を辿る限り、入っていません」
「その駅は、東京でいえば銀座四丁目の交差点の地下鉄の駅ですね?」
「私の記憶を辿る限り、知りません」
「貴方は、ウイーンのその地下鉄の駅のトイレで、このうえもなくデカイウンコをしましたね?」
「私の記憶を辿る限り、してません」
「貴方の出したウンコは、このうえもなくデカイだけではなく、このうえもなく臭いものでしたね?」
「私の記憶を辿る限り、そんなに臭くありませんでした」
「ほ、ほ、ほー、ウンコをしたことは認めるのですね?」
「私の記憶を辿る限り、ウンコはしていませんが、そんなに臭くありませんでした」
「詭弁だ。『自衛隊が活動している地域が非戦闘地域』といった国会答弁でもあるまいし、そんな詭弁が通じると思っているのですか!」
「私の記憶を辿る限り、詭弁ではありません」
「記憶の問題ではありませんよ!それに、貴方は、ウイーンの地下鉄の駅のトイレに入る時、トイレットペーパーを一本貰いましたね?」
「私の記憶を辿る限り、もらっていません」
「トイレの入口には専任のオジサンがいたのですね?」
「私の記憶を辿る限り、オジサンはいませんでした」
「ほ、ほ、ほー、ウイーンの地下鉄の駅のトイレに入ったことは認めるのですね?」
「私の記憶を辿る限り、入っていません」
「ああ、詭弁だ、詭弁だ、詭弁だ!貴方は、ウイーンの地下鉄の駅のトイレに入った、そして、入る時に、入口にその為にいたオジサンにトイレットペーパーをタダでもらったのですね、買ったのではなく?」
「私の記憶を辿る限り、タダでもらっていません、買ったのではなくではなく」
「訳の分らない云い方をしますね。なんにせよ、地下鉄の駅のトイレに入る時、トイレットペーパーをオジサンに一本貰うなんてこと自体、訳が分らない不思議な仕組みだと貴方は思ったのですね?」
「私の記憶を辿る限り、思っていません」
「そして、貴方は、オジサンにもらったトイレットペーパー一本の残りをどうしたのか覚えていないのですね?」
「私の記憶を辿る限り、覚えています」
「えっ!覚えているのですか?」
「いや、しまった…..私の記憶を辿る限り、覚えていません」
「貴方、覚えていると云ったり、覚えてないと云ったり、そんないい加減なことが許されると思っているのですか?貴方は、総理大臣ではないのですよ!」
「私の記憶を辿る限り、私は総理大臣ではありません」
「当り前だ!貴方は変態だが、総理大臣のような愚かな人間ではないはずだ」
「私の記憶を辿る限り、私は総理大臣のような愚かな人間ではありません」
「だが、貴方は、もらったトイレットペーパーの残りをそのまま持ち去ったのではありませんか?」
「私の記憶を辿る限り、もらったトイレットペーパーの残りをそのまま持ち去ってはいません」
「もらったトイレットペーパーの残りをそのまま持ち去るなんてこと、道徳的に許されないのではないですか!?」
「はあ?道徳的に?何をほざいている」

ビエール・トンミー氏は思わずムキになってしまっている。

「ほざいてなんかいねえ!そんな偉そうな態度をとるなら、逮捕するぞ!」
「なにい!逮捕?どうして逮捕なんかできるんだ。ワシが何の罪を犯したというのだ!?」
パジャマを着て、外出しただろ!」
私の記憶を辿る限り、パジャマを着て、外出してはいないが、そうしていたとしてもそんなことで逮捕なんかできるものか!」
「それに、ホテル『アストン・ワイキキ・ビーチ・タワー』の部屋のトイレにウンコを詰まらせただろう!」
私の記憶を辿る限り、アストン・ワイキキ・ビーチ・タワー』の部屋のトイレにウンコを詰まらせはいないが、そうしていたとしても、そんなことで逮捕なんかできるものか!」
「更に更に、ウイーンの地下鉄の駅のトイレに入る時、トイレットペーパーを一本、入口にいたオジサンにもらったが、その残りをそのまま持ち去っただろう!」
私の記憶を辿る限り、ウイーンの地下鉄の駅のトイレに入る時、トイレットペーパーを一本、入口にいたオジサンにもらったが、その残りをそのまま持ち去ってはいない。だが、そうしていたとしてもそんなことで逮捕なんかできるものか!」
「いや、逮捕する!」


私の記憶を辿る限り、パジャマを着て、外出してはいないし、『アストン・ワイキキ・ビーチ・タワー』の部屋のトイレにウンコを詰まらせてはいないし、また、ウイーンの地下鉄の駅のトイレに入る時、トイレットペーパーを一本、入口にいたオジサンにもらったが、その残りをそのまま持ち去ってはいない。だが、そんなことをしていたとしても、何の罪になるというのだ!?」
「貴方は、何も分っていない。『道徳罪』ですよ!」
「はああ?『道徳罪』?そんな罪状なんて聞いたことはない。そんな罪はない!」
「あるんですよ、『道徳罪』は。アフガニスタンでは、家庭内暴力と受けたり、強制結婚をさせられようとして逃げると『道徳罪』となり、逮捕され、投獄されるのです」
「はあ?」
「兄の暴力から兄嫁が実家に逃げるのを手伝ったことが、兄嫁との不倫とみなされた男も『道徳罪』で投獄されているのです」
「そんな馬鹿な話があるか!」
「男友達が自宅まで来て話をしているところを密告されて収監された女性もいるのです」
「理不尽だ!」
「しかし、それは『現実』なのです」
「だが、それはアフガニスタンのことだろう?『道徳罪』なんて、この国にはない」
「いえ、じきに『道徳罪』は立法化されるでしょう」
「そんな馬鹿な!」
「そんな馬鹿なことも起き得るのです、この国では。この国では、教科外活動であった小学校・中学校の『道徳』を『特別の教科 道徳』とし、教科へ格上げし、2018年から完全実施されることになっているのですぞ」
「…..」
「もうお判りでしょう。『道徳罪』はこの国でも、もう目の前にあるのです。素晴らしいことではないですか」
「しかし、まだ『道徳罪』はこの国にはないではないか」
「『道徳』を『特別の教科 道徳』とするにあたり、2015年から2017年は移行措置期間となっています。なので、『道徳罪』成立前に移行措置として、『道徳罪』で貴方を逮捕します!」

その言葉を聞き、ビエール・トンミー氏は、目つきの悪い男を振り切って、自宅の門の中に入ろうとした。男は刑事なのだ。

しかし、門を開けようとした手を刑事に捉えられ、後ろに強く引かれた。

ビエール・トンミー氏は、バランスを崩して、背中から後ろに倒れた。

「ああああああ」

と思っている内に、ビエール・トンミー氏は、意識を失くした。


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「アータ、起きてえ。そろそろお昼にするわよ」

妻の声がした。

ビエール・トンミー氏は、パジャマが寝汗でびしょびしょになっていることに気付いた。

そして、夢を見ていたことにも気付いた。『道徳罪』で刑事に逮捕されそうになったが、夢だったのだ。

当り前だ。『道徳罪』なんて、あってたまるものか。

便意を催した。これから『お昼』ではあるが、便意を催した。

ベッドから起き上がると、ビエール・トンミー氏は、トイレに向った。

トイレで、このうえもなくデカく、このうえもなく臭いウンコを出した。

ウオシュレットでお尻を洗った後、トイレットペーパーを存分に使い、濡れた肛門を拭いた。

ビエール・トンミー氏は、得も云えぬ快感を覚えた。

パジャマのズボンをパンツと共に脱ぎ去り、下半身丸出しの格好で、このうえもなくデカく、このうえもなく臭いウンコを出したが、トイレを詰まらせることはなかった。トイレットペーパーを存分に使うこともできた。

しかし、だからといって逮捕されることはないのだ。『道徳罪』で逮捕されることはないのだ。

満面の笑みを浮かべながらトイレを出て、ビエール・トンミー氏は、愛する妻の待つダイニングに向った。



(おしまい)