1966年のこと、広島市立皆実小学校6年生の子供たちは、見てはいけないものを見てしまったのであった。
50mを「6.9秒」で走りきった同級生のエヴァンジェリスト氏である。
小学6年生で50mを「6.9秒」というのは、異常と云っていい記録であった。
であれば、同級生から賞賛されても良かったはずだ。しかし、誰も拍手せず、感嘆の声を出すこともなく、エヴァンジェリスト氏の周囲に漂ったのは、戸惑いの空気であった。
エヴァンジェリスト氏は、してはならないことをしてしまったのだ。見せてはならないものを同級生たちに見せてしまったのだ。
(参照:見てはいけないもの(その1)[M-Files No.1 ]の続き)
その時、50mをやはり「6.9秒」で走った児童がいた。イダテン君だ。
イダテン君は、スポーツ万能であった。だから、広島市立翠町中学から「スカウト」されていた。翠町中学の野球部に入部が決っていたのだ。
公立の学校が「スカウト」というのも妙だ。しかも、中学が小学生を「スカウト」というのも妙だが、それが事実なのだからしようがない。
翠町中学は公立中学だし、イダテン君の中学の学区は、翠町中学なので、私立中学に進学しない限りイダテン君は、翠町中学に入学する。そこに「スカウト」は不要だ。
だから、正確には、翠町中学がイダテン君をスカウトしたのではなかった。
翠町中学の「野球部」が、イダテン君が私立の中学への進学はせず、翠町中学でも他の部活動をすることなく「野球部」に入るよう、イダテン君を彼が小学生のうちに説得していたのだ。それが「スカウト」であった。
さほどに、イダテン君はスポーツ万能なのであった。
そんなイダテン君が、50m走で「6.9秒」という記録を出すことは、あってしかるべきことであった。
しかし、エヴァンジェリスト氏が(いや、当時ならエヴァンジェリスト君というべきであろうか)、50m走でイダテン君と同タイムの「6.9秒」という凄い記録を出すことは、あってはならないことなのであった。
エヴァンジェリスト君は、勉強は万能であった。しかし、スポーツは万能ではなかったのだ。
水泳では、25mを泳ぎきることはできなかった。
住んでいる町内(翠町)の小学生ソフトボール・チームに入っていたが、控えの投手兼9番ライトであった。
「ライ8」という言葉がある。周知の通り、ライトで8番ということだ。
子どものソフトボールの試合では、ライトには余り球が飛んでこない。だから守備が下手な子がライトを守る。
8番は、投手を除けば、一番打力のない子が座る打順である。
だから「ライ8」は、守備力も打力もない子の『ポジション』だ。
しかし、エヴァンジェリスト君は、「ライ9」なのだ。
勿論、守備が一番下手だからライトを守る。打力は、投手を含めても一番劣るので、打順は9番なのであった。
だから「ライ9」である。
控え投手ではあったが、登板したことはない。ブルペンでの投球練習もしたことがない、名ばかりの控え投手であった。
そんなスポーツ万能というよりも、スポーツ劣等生のエヴァンジェリスト君が、イダテン君と同じ50m走「6.9秒」という皆実小学校一番の凄い記録を出したのだ。
エヴァンジェリスト君が走るところを見ていた同級生の何人かは、先生がストップウオッチを押し間違えたのではないかと思ったであろう。
しかし、先生は、エヴァンジェリスト君に走り直しを命じることはなかった。ストップウオッチを押し間違えてはいなかったからだ。
それに、先生は、そして多分、多くの同級生は、エヴァンジェリスト君のタイムが「6.9秒」であるかどうかは別として、彼の走りが猛烈に速かったことは実感していたのだ。
エヴァンジェリスト君は確かに、速かった。一緒に走った子を遥か後ろに置き去りにする程、速かったのだ。
同級生たちは困った。スポーツ万能のイダテン君と同タイムの50m走「6.9秒」という驚異的な記録を出したエヴァンジェリスト君の取扱いに困ったのだ。
だから、エヴァンジェリスト君の周囲には、戸惑いの空気が漂ったのであったのだ。
(続く)