(参照:アメリカに自由はあったか(その21)【米国出張記】の続き)
2001年9月11日、エヴァンジェリスト氏は、同僚のダイスケ氏と18:05発のANA便に乗って、庄内空港に向った。庄内空港には19:05頃に到着し、空港バスに乗り、鶴岡駅まで行った。翌日(9月22日)、鶴岡のお客様のところを訪問する為に前日入りしたのであった。出張であった。
鶴岡駅から数分のところにあるホテルにチェックインし、20時頃、二人は食事に出かけた。
食事を終えた二人が、22時になるところであった。
ホテルの部屋に戻ったエヴァンジェリスト氏は、テレビの電源を入れた。
そして、その時、テレビの画面に映し出されたものをエヴァンジェリスト氏は、しばらく、それが何であるのか理解できなかった。
飛行機が、どこかの高いビルに突入していったのだ。
番組は、ニュースステーションであった。
ニュースステーションも、映像を流しながらも事態をよく認識できていないようであった。
エヴァンジェリスト氏の頭も混乱した。
それは、ドラマの映像なのか?ドラマにしても妙な場面であった。
程なくして、番組がニュースステーションであることが分った。ということは、その映像はニュース映像である。しかし、ニュースだとしても、見たことのない光景であった。
見たことがなくとも想像できる光景であれば、頭が混乱することはなかったが、想像できる範囲を超えた光景であった。
その混乱の渦に更にもう一つの混乱の渦が重なり、エヴァンジェリスト氏はただ呆然とテレビの映像を見ていた。
また飛行機がどこかの高いビルに突入していったのだ。
「?」
それは、先程の映像が再び流されたものであるのか?
….という疑問を抱いたのは、先程の光景に似ていたが、どこか少し違うような気がしたからであった。
ニュースステーションのアナウンスで、それが2機目のビルへの突入らしいことが分った。
ニュースステーションは、久米宏が不在の日の放送であったように思う。
ニュースステーションとしても、突然のニュースに事態把握は直ぐに、十分にはできないようであったが、やがてそれはニューヨークのことであり、ビルは『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』であることが分った。
『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』はツイン・タワーであり、2つのビルにそれぞれ飛行機が突入したらしいことも分った。
しかし、何故、飛行機が『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』に突入したのかは分らなかった。
事故であろうか?いや、『『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』』は超高層ビルではあるが、飛行機が飛ぶのはもっと高いところであるはずだ。
なのに、『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』に飛行機が突入したのは、飛行機に何らかの異常が生じ、制御不能となったからなのであろうか?
いやいや、もう一機が、ツイン・タワーのもう一つのビルに突入したらしいのだ。ほぼ同じ時間に、二つの飛行機が同じように制御不能となり、それぞれ超高層ビルに突入するなんて偶然があるであろうか?
事態が分ってきても、エヴァンジェリスト氏の頭は、混乱したままであった。いや、事態が分ってきた方がより混乱した。
その後、ペンタゴンにも飛行機が突入した等の情報が入ってきた。
米国で何が起きているのか?
………..そう、それは、後に『アメリカ同時多発テロ』と呼ばれるようになる事件が起きた日なのであった。
『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』は、周知の通り、飛行機突入後、ツイン・タワービルの両棟共、崩壊した。
ニュースステーションを見ながら、段々、テロかもしれないと思われ始め、エヴァンジェリスト氏は、翌日の庄内空港での手荷物検査を心配した。
ハイジャック等が起きると、その後の飛行機への搭乗の際のチェックが厳しくなるのだ。
翌日の搭乗の際のチェックもこれで厳しくなるかもしれない、と、『面倒臭いなあ』という思いを抱いたのだ。
そうしてもう一つの思いを、エヴァンジェリスト氏は抱いた。
「あの世界貿易センタービルが崩壊した…..」
ニューヨークの『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』を訪問したことがあったのだ。
そう、それは、『世界貿易センタービル』に飛行機が突入する10年程前であった。
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1989年6月、上司と共に、米国出張したエヴァンジェリスト氏は、ニューヨク滞在最後の日となる6月24日、その次の訪問先であるパリに向う前に、上司とニューヨークの散策に出掛けた。
宿泊した『Grand Hyatt New York』を出て、5thアヴェニュ、タイムズ・スクエア、そして、セントラルパーク付近を歩き、Wall Street(ウォール街)に行った。
そして、その後に、『トリニティ教会』、『US CUSTOM HOUSE』を経て、『バッテリー・パーク』まで行った。
『バッテリー・パーク』から海に向こうにある『自由の女神』を見た後、上司が云った。
「世界貿易センタービルに行くぞ」
『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』のツイン・タワーは、『バッテリー・パーク』からもその聳え立つ姿を見ることができた。
エヴァンジェリスト氏は、『世界貿易センタービル』にも関心がなかった。有名なビルであったので、その存在は知ってはいたが、それはただ、ビルに過ぎないのだ。
しかし、実際に、『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』まで行き、その中に入ると、エヴァンジェリスト氏は、ここでも、何だか自分が世界を股にかける『デキル』ビジネスマンになった気がした。
だが、その時、エヴァンジェリスト氏が、『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』について、それ以上の感慨を抱くことはなかった。
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しかし、それから(1989年)から12年後、その『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』が飛行機突入により、あえなくも崩壊する様子を鶴岡のホテルで見た時、エヴァンジェリスト氏は
「あの世界貿易センタービルが崩壊した…..」
としみじみした思いを抱いたのであった。
『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』が崩壊する様子を見た時、ただただその異様さに圧倒されていた。
その時は、直ぐに、『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』の中には、大勢の人がいたはずであることに思いが到らなかった。
不謹慎だが、『スペクタクル』を見ている感覚であったのだ。
しかし、それは決して『スペクタクル』な映画ではなく、『現実』に起きたことであったのだ。
その事件は、後に、アルカイダによる『テロ』とされたようだが、本当にそうであるのかどうかは知らない。
『米国』による自作自演とする説もある。
『米国』による自作自演とは思いたくはないが、エヴァンジェリスト氏は、その可能性がなくはないような気はするのだ。
『米国』は、イラクが大量破壊兵器を所有しているとしてイラクを攻撃し、フセイン大統領を殺害したが、イラクが大量破壊兵器を所有しているという情報は誤った情報であった。
『米国』は、誤った情報に基づき、他国を攻撃し、その国の大統領を殺した国なのである。
日本の『真珠湾攻撃』にしても、『米国』は事前に知っていたという説をエヴァンジェリスト氏は聞いたこともある。真相は知らないが。
だから、エヴァンジェリスト氏は、アルカイダによる『テロ』とされたようだが、本当にそうであるのかどうかも分らない、と思う。
そして、そのこと以上に、今(2017年の8月)、エヴァンジェリスト氏は思うのだ。
『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』の崩壊が、『テロ』によるものだとしても思うのだ。
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『テロ』は卑劣であるが『戦争』はそうではないらしい。
普段、攻撃を受けないところが攻撃され、そこで被害者が出ると『惨事』として扱われる。
普段から戦闘があるところで死者が出ても、その方が死者が多くとも、『惨事』ではないのだ。
自身が攻撃した時には、それは『正義』であるが、攻撃された時には、攻撃をしてきた相手に『正義』はない、となる。攻撃した方が、『正義』だと思っていたとしても、それは問題ではないのだ。
敢えて云うが、『世界貿易センタービル』が崩れって行くところは、ショッキングでなものではあったが、『アレ』に比べたら大したことではない、とエヴァンジェリスト氏は思った。非難されるかもしれないが、そう思ったのだ。
『アレ』……….そう、『広島、長崎への原爆投下』に比べれば。
いや、『広島、長崎』の方が、『世界貿易センタービル』に比して、悲惨であったとは思わない。
『世界貿易センタービル』での被害者(死亡者数)は、3000人近いらしい。
広島の原爆での死者は、投下された年(1945年)で14万人であり、その後の死者を含めると、正確なところは不明のようだが、『原爆死没者名簿』に記載された人数では2017年で30万人にはなるらしい。被爆者の数は、それよりもずっと多い。
その数は、いずれにしても『世界貿易センタービル』での被害者数(死亡者数)の比ではない。
しかし、だからといって『ヒロシマ』の方が、『世界貿易センタービル』よりも『悲惨』であったとは思わない。
被爆して死ぬことが(殺されることが)、他の武器で、或いは、素手で殺されることより『悲惨』であるとは思わない。
『世界貿易センタービル』は『悲惨』である。しかし、『世界貿易センタービル』だけが『悲惨』なのではないのだ。
『米国』は、『戦争』により他国を攻撃した。『米国』は、『戦争』により他国を攻撃する。
そこでは、死者が出る。『戦争』は人を殺す行為なのだから、死者が出るのは、必然である。
一人でも死者が出れば、それは『惨事』である。死者数の問題ではない。
そのことを米国民は知っているのか、理解しているのか?
『米国』以外の国でも『戦争』により他国を攻撃したであろうし、『戦争』により他国を攻撃するであろう。
その国の民は、自国が行う『戦争』により死者が出ることを理解しているのか?
『戦争』は正義だから、死者が出ても仕方がないと考えるのか?
『テロ』は正義ではないから、死者が出ることは許されざるべきものと考えるのか?
『テロ』を行うものは、その行為を『テロ』と思っているのか?『戦争』だと思っているなら、その攻撃を受けた方は、『戦争』は正義だから、自国で死者が出ても仕方がないと考えるのか?
それとも、自国は『戦争』をしていいが、他国は、或いは、『国』は『戦争』をしていいが、『国』を形成していない組織は、或いは、個人は『戦争』をしてはならないのか?
『国』とは何なのか?実は、『国』の定義は難しいのだ。
例えば、北朝鮮は『国』であるのか?日本は、北朝鮮を『国』として認めていないが、『国』として認めている国もある。
かつての(返還前の)香港は、『国』であったのか?
『国と地域』という言葉がある。それは、『国』を定義することが容易ではないからだ。
『テロ』を行う者(或いは、その組織)は、自身の行為を『テロ』と思っているのか、或いは、『戦争』と思っているのか知らないが、正義の戦いとは思っているのであろう。では、正義の戦いであれば、その行為により死者を出してもいいのか?
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2017年の8月の今、エヴァンジェリスト氏はそう思う。
『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』を訪れた1989年6月24日、エヴァンジェリスト氏は、それから12年後にまさかその巨大なビルが飛行機突入によりあえなく崩壊するとは思っていなかった。
その崩壊により多くの犠牲者が出て、『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』が『惨事』の象徴となることを想像することは勿論、なかった。そこが『惨事』の象徴となることに将来、自身が違和感を覚えるようになるであろうとは思っていなかった。
ただ、その当時も(1989年だ)、米国民は、『ヒロシマ』の『現実』を知らされているのか、という疑問を抱いていた。もし、知らさせれていないとしたら、それが真に『自由』の国であるのか、エヴァンジェリスト氏はそう思った。
アメリカ(米国)に自由はあるのか、エヴァンジェリスト氏はそう思いながら、『世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)』を後にし、『米国』を後にし、JFK空港からパリに向って発っていったのであった。
(おしまい)
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