「『ウイーン』でのことも、ネタはあがっているんですよ!」
『ウイーン』と聞き、ビエール・トンミー氏は、目つきの悪い男を振り切って、自宅の門の中に入ろうとした。
「逃げるのですか?逃げるなら、逮捕するぞ!」
「うっ!,,,タ、タイホ…..?」
門を開けようとした手を止めた。
男は、刑事なのか?週刊文春か、週刊新潮か、フライデーの記者なのではないのか?
「貴方は、ウイーンの地下鉄の駅のトイレに入りましたね?」
「私の記憶を辿る限り、入っていません」
「その駅は、東京でいえば銀座四丁目の交差点の地下鉄の駅ですね?」
「私の記憶を辿る限り、知りません」
「貴方は、ウイーンのその地下鉄の駅のトイレで、このうえもなくデカイウンコをしましたね?」
「私の記憶を辿る限り、してません」
「貴方の出したウンコは、このうえもなくデカイだけではなく、このうえもなく臭いものでしたね?」
「私の記憶を辿る限り、そんなに臭くありませんでした」
「ほ、ほ、ほー、ウンコをしたことは認めるのですね?」
「私の記憶を辿る限り、ウンコはしていませんが、そんなに臭くありませんでした」
「詭弁だ。『自衛隊が活動している地域が非戦闘地域』といった国会答弁でもあるまいし、そんな詭弁が通じると思っているのですか!」
「私の記憶を辿る限り、詭弁ではありません」
「記憶の問題ではありませんよ!それに、貴方は、ウイーンの地下鉄の駅のトイレに入る時、トイレットペーパーを一本貰いましたね?」
「私の記憶を辿る限り、もらっていません」
「トイレの入口には専任のオジサンがいたのですね?」
「私の記憶を辿る限り、オジサンはいませんでした」
「ほ、ほ、ほー、ウイーンの地下鉄の駅のトイレに入ったことは認めるのですね?」
「私の記憶を辿る限り、入っていません」
「ああ、詭弁だ、詭弁だ、詭弁だ!貴方は、ウイーンの地下鉄の駅のトイレに入った、そして、入る時に、入口にその為にいたオジサンにトイレットペーパーをタダでもらったのですね、買ったのではなく?」
「私の記憶を辿る限り、タダでもらっていません、買ったのではなくではなく」
「訳の分らない云い方をしますね。なんにせよ、地下鉄の駅のトイレに入る時、トイレットペーパーをオジサンに一本貰うなんてこと自体、訳が分らない不思議な仕組みだと貴方は思ったのですね?」
「私の記憶を辿る限り、思っていません」
「そして、貴方は、オジサンにもらったトイレットペーパー一本の残りをどうしたのか覚えていないのですね?」
「私の記憶を辿る限り、覚えています」
「えっ!覚えているのですか?」
「いや、しまった…..私の記憶を辿る限り、覚えていません」
「貴方、覚えていると云ったり、覚えてないと云ったり、そんないい加減なことが許されると思っているのですか?貴方は、総理大臣ではないのですよ!」
「私の記憶を辿る限り、私は総理大臣ではありません」
「当り前だ!貴方は変態だが、総理大臣のような愚かな人間ではないはずだ」
「私の記憶を辿る限り、私は総理大臣のような愚かな人間ではありません」
「だが、貴方は、もらったトイレットペーパーの残りをそのまま持ち去ったのではありませんか?」
「私の記憶を辿る限り、もらったトイレットペーパーの残りをそのまま持ち去ってはいません」
「もらったトイレットペーパーの残りをそのまま持ち去るなんてこと、道徳的に許されないのではないですか!?」
「はあ?道徳的に?何をほざいている」
ビエール・トンミー氏は思わずムキになってしまっている。
「ほざいてなんかいねえ!そんな偉そうな態度をとるなら、逮捕するぞ!」
「なにい!逮捕?どうして逮捕なんかできるんだ。ワシが何の罪を犯したというのだ!?」
「パジャマを着て、外出しただろ!」
「私の記憶を辿る限り、パジャマを着て、外出してはいないが、そうしていたとしてもそんなことで逮捕なんかできるものか!」
「それに、ホテル『アストン・ワイキキ・ビーチ・タワー』の部屋のトイレにウンコを詰まらせただろう!」
「私の記憶を辿る限り、『アストン・ワイキキ・ビーチ・タワー』の部屋のトイレにウンコを詰まらせはいないが、そうしていたとしても、そんなことで逮捕なんかできるものか!」
「更に更に、ウイーンの地下鉄の駅のトイレに入る時、トイレットペーパーを一本、入口にいたオジサンにもらったが、その残りをそのまま持ち去っただろう!」
「私の記憶を辿る限り、ウイーンの地下鉄の駅のトイレに入る時、トイレットペーパーを一本、入口にいたオジサンにもらったが、その残りをそのまま持ち去ってはいない。だが、そうしていたとしてもそんなことで逮捕なんかできるものか!」
「いや、逮捕する!」
「私の記憶を辿る限り、パジャマを着て、外出してはいないし、『アストン・ワイキキ・ビーチ・タワー』の部屋のトイレにウンコを詰まらせてはいないし、また、ウイーンの地下鉄の駅のトイレに入る時、トイレットペーパーを一本、入口にいたオジサンにもらったが、その残りをそのまま持ち去ってはいない。だが、そんなことをしていたとしても、何の罪になるというのだ!?」
「貴方は、何も分っていない。『道徳罪』ですよ!」
「はああ?『道徳罪』?そんな罪状なんて聞いたことはない。そんな罪はない!」
「あるんですよ、『道徳罪』は。アフガニスタンでは、家庭内暴力と受けたり、強制結婚をさせられようとして逃げると『道徳罪』となり、逮捕され、投獄されるのです」
「はあ?」
「兄の暴力から兄嫁が実家に逃げるのを手伝ったことが、兄嫁との不倫とみなされた男も『道徳罪』で投獄されているのです」
「そんな馬鹿な話があるか!」
「男友達が自宅まで来て話をしているところを密告されて収監された女性もいるのです」
「理不尽だ!」
「しかし、それは『現実』なのです」
「だが、それはアフガニスタンのことだろう?『道徳罪』なんて、この国にはない」
「いえ、じきに『道徳罪』は立法化されるでしょう」
「そんな馬鹿な!」
「そんな馬鹿なことも起き得るのです、この国では。この国では、教科外活動であった小学校・中学校の『道徳』を『特別の教科 道徳』とし、教科へ格上げし、2018年から完全実施されることになっているのですぞ」
「…..」
「もうお判りでしょう。『道徳罪』はこの国でも、もう目の前にあるのです。素晴らしいことではないですか」
「しかし、まだ『道徳罪』はこの国にはないではないか」
「『道徳』を『特別の教科 道徳』とするにあたり、2015年から2017年は移行措置期間となっています。なので、『道徳罪』成立前に移行措置として、『道徳罪』で貴方を逮捕します!」
その言葉を聞き、ビエール・トンミー氏は、目つきの悪い男を振り切って、自宅の門の中に入ろうとした。男は刑事なのだ。
しかし、門を開けようとした手を刑事に捉えられ、後ろに強く引かれた。
ビエール・トンミー氏は、バランスを崩して、背中から後ろに倒れた。
「ああああああ」
と思っている内に、ビエール・トンミー氏は、意識を失くした。
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「アータ、起きてえ。そろそろお昼にするわよ」
妻の声がした。
ビエール・トンミー氏は、パジャマが寝汗でびしょびしょになっていることに気付いた。
そして、夢を見ていたことにも気付いた。『道徳罪』で刑事に逮捕されそうになったが、夢だったのだ。
当り前だ。『道徳罪』なんて、あってたまるものか。
便意を催した。これから『お昼』ではあるが、便意を催した。
ベッドから起き上がると、ビエール・トンミー氏は、トイレに向った。
トイレで、このうえもなくデカく、このうえもなく臭いウンコを出した。
ウオシュレットでお尻を洗った後、トイレットペーパーを存分に使い、濡れた肛門を拭いた。
ビエール・トンミー氏は、得も云えぬ快感を覚えた。
パジャマのズボンをパンツと共に脱ぎ去り、下半身丸出しの格好で、このうえもなくデカく、このうえもなく臭いウンコを出したが、トイレを詰まらせることはなかった。トイレットペーパーを存分に使うこともできた。
しかし、だからといって逮捕されることはないのだ。『道徳罪』で逮捕されることはないのだ。
満面の笑みを浮かべながらトイレを出て、ビエール・トンミー氏は、愛する妻の待つダイニングに向った。
(おしまい)
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