(参照:アメリカに自由はあったか(その19)【米国出張記】の続き)
自分の妻の実家自慢をする上司に怒りを覚えたからなのか、そこが『バッテリー・パーク』(バッテリーの公園)なので感電したからなのか、エヴァンジェリスト氏は首筋が、ピリピリ、チクチクする感じがしたのであった。
エヴァンジェリスト氏は、『バッテリー・パーク』(バッテリーの公園)とはいっても、バッテリー(電池)の公園ではないことを知らなかった。
『バッテリー』という名の砲台が名前の由来であることは、ご存じの方も多いのであろうが、そのことをエヴァンジェリスト氏が知ったのは、2017年であった(つまり、今、である)。エヴァンジェリスト氏が、上司と『バッテリー・パーク』を訪問した1989年から28年後のことであった。
さすがに、本当に『バッテリー(電池)』の公園であろうとは思っていなかったが、どうしても頭の中には『バッテリー(電池)』が浮かんで来たのだ。
実のところ、エヴァンジェリスト氏は、『バッテリー・パーク』に興味はなかったのだ。
だから、『バッテリー・パーク』のこんな銅像を見ても、それが何であるのか、知らなかったし、知ろうとともしなかった。
それは、『エイズ被害者のためのモニュメント』であったのだ。
有名な銅像であるらしいが、エヴァンジェリスト氏がこのモニュメントを撮影したのは、その背後に、公園の木々があり、その向こうにいくつものビルが聳えている様子が、ニューヨークらしい、と思ったからなのであった。
撮影対象は、『エイズ被害者のためのモニュメント』ではなく、聳えるビル群であったのだ。
『バッテリー・パーク』には、次のような古い建物があったが、それについても何であるのか、知らなかったし、知ろうとともしなかった。
それは、『キャッスル・クリントン・ナショナル・モニュメント』であり、1812年の米英戦争時に、要塞として建てられ、その後、オペラ・ハウスや移民局、水族館として使われて来た歴史的建造物である。
しかし、エヴァンジェリスト氏は、そんなことは知らなかったし、由緒あり気な建物とは理解したが、それがどうしたと云うのだ、という心持ちでなのであった。
どんなに歴史があると云ったところで、たかだか200年程度であろう。歴史があればいいとも思わないが、歴史があると自慢するその歴史が、たかだか200年では自慢するには足らない、と考えるのだ。
要は、エヴァンジェリスト氏は、『米国』に関心がないのだ。『米国』が好きでなかった、という方が正しいかもしれないし、今も好きではないのだ。米国民を、ではなく、『米国』という国を好きではないのだ。
独善的だと思うし、本当に『自由』の国なのであろうか、と思うのだ。
その時(1989年6月24日である)、エヴァンジェリスト氏はまだ知る由もなかったが、その年の暮、『米国』は『パナマ侵攻』をするのだ。
(続く)
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