(参照:アメリカに自由はあったか(その16)【米国出張記】の続き)
エヴァンジェリスト氏と上司との男二人のニューヨーク散策はまだ続いている。
1989年6月24日、二人の米国滞在最後の日である。
5thアヴェニュ、タイムズ・スクエア、そして、セントラルパーク付近を歩き、二人が次に行ったのは、Wall Street(ウォール街)であった。
ビジネスマンたるもの、ニューヨークに行ったなら、『ウォール街』は、当然、行ってしかるべき場所であろう。
ビジネスマンたるもの......
ビジネスマンたるもの......
そう、ビジネスマンたるもの、遅刻してはいけない。特に、海外出張の飛行機便に乗り遅れるなんて論外だ。
ビジネスマンたるもの、部下に、通訳しないふりをして通訳させるようなことはしてはならない。
ビジネスマンたるもの、「う◯こ」をした際に、ホテルのトイレを詰まらせてはならない(うーむ、これはビジネスマンだけの問題ではないか)。詰まらせたトイレの蓋の上に、『OUT OF ORDER』と書いた紙を置いてくれば済む、というものではない。
ビジネスマンたるもの、海外出張先で、深夜に日本人ママのカラオケ・スナックに行き、午前3時過ぎまで、飲んで唄う、なんてことをしてはならない。
ビジネスマンたるもの、出張したニューヨークで深夜、『俺、おにぎりと味噌汁、喰いてえ』なんて、我儘を云ってはならない。
ビジネスマンたるもの、深酒の二日酔いで翌日の仕事をすっぽかしてはならない。ましてや出張先では。
エヴァンジェリスト氏と上司とは、ビジネシマンの範であり、だからこの日(米国滞在最後の日)、ウォール街に行ったのである。
おお、これが、『NYSE』か。エヴァンジェリスト氏は、心の中で少し気取って、『ニューヨーク証券取引所』ではなく、『NYSE』だ、と思った。
ビジネシマンの範として、『NYSE』まで来たものの、そこが株の取引をするところであることくらいは知っていたが、当時(1989年だ)、エヴァンジェリスト氏には、株式のことや、その取引の判断の材料のひとつとなる財務諸表のこと等についての知識は殆どなかった。
財務諸表って、何か数字が並んだ表なんだろう、くらいにしか思っていなかった。
B/Sって、衛星放送だとしか思わなかった(貸借対照表は、そういう言葉さえ知らなかった)。
P/Lって、甲子園でお祈りをするやつなんだろうと思った(損益計算書も勿論、そういう言葉さえ知らなかった)。
そんな輩をビジネスマンの範と云っていいのか大いに疑問ではあるが、エヴァンジェリスト氏の『専門』は本来、『フランス文學』であるのだ。
エヴァンジェリスト氏は、ご存じの通り、フランス文學界の最高峰のOK牧場大学大学院の修士課程を修了している。
『フランス文學』の中でも、エヴァンジェリスト氏が研究対象としたのは『カトリック文學』であった。より正確には、『カトリック文學』を研究対象としたというよりも、『カトリック作家』である『フランソワ・モーリアック』(François MAURIAC)について修士論文を書いたのであった。
そんなエヴァンジェリスト氏には、『NYSE』は実は遠い存在であったのだ。
しかし、『NYSE』の次にエヴァンジェリスト氏と上司とが足を向けたところは、エヴァンジェリスト氏の『専門』分野と云えるかもしれない場所であった。
(続く)
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