2022年4月1日金曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その185]

 


「ああ、別人になりすましたのは、その通りだが、覆面を被った訳でも、お面をつけていたのでもない」


と、『少年』の父親は、直ぐには答を『少年』には与えない牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「じゃあ、どうしたの?顔は変えられないだろうし…」


と、『少年』は、思考に行き詰った表情を浮かべた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させ、一対(つまり2匹)の『狛犬』が、『阿吽の呼吸』の『阿形』の像と『吽形』の像であることまで話を進め、それが『仁王像』へと展開させた。しかし、ようやく『狛犬』の『狛』(コマ)の由来から、『天満屋』の発祥である『小間物屋』という店の呼び方の由来、ひいては、歴史ある『天満屋』という存在へと、『少年』が、話を回収したところであったのだが、父親は、今度は、『天満屋』と『イネ』との関係に触れ、そこから『イネ』を養育し、医学を教えた『二宮敬作』の地元、『宇和島藩』、その藩主『伊達家』へと話の展開させていたものの、『伊達政宗』の『伊達家』と『宇和島藩』の『伊達家』との関係等に話は派生し、続けて、『宇和島藩』の7代藩主『伊達宗城』と『シーボルト』の弟子『高野長英』との関係に触れ始めた。ところが、『高野長英』の脱獄に関連して、今、話は『モンテ・クリスト伯』、そしてその翻案者『黒岩涙香』へと派生し、『黒岩涙香』の翻案作品が『重訳』的なものであることに触れていたが、ようやく『高野長英』の脱獄方法がテーマに戻ってきたのも束の間、脱獄方法に関連して、マッチ、『化学』という言葉、『川本幸民』、中国の雑誌『六合叢談』や、宣教師『ハドソン・テーラー』へと、話は大きく逸れていったところで、『少年』は、『高野長英』の脱獄にまで話を戻したのであった。しかし、話はまたもや、『御様』(おためし)という刀の試し斬りをした山田浅右衛門』に、そして、その人物を主人公とした『首斬り浅右衛門』という小説を書いた柴田錬三郎、更に、柴田錬三郎の代表作『眠狂四郎』を演じる『市川雷蔵』へと、更には、話は何故か、プロレスラー『デストロイヤー』についてとなっていたが、ようやくまた『高野長英』の脱獄、その後の逃亡生活へと戻ってきたのであった。


「おお、ところが、そうなんだよ。『高野長英』は、自分の顔を変えたんだよ」

「髭でも生やしたの?」


まだ今ほどに一般的ではなかった『整形』というものが頭に浮かばぬ『少年』が、そのくらいの発想しかできなかったのも無理はなかった。


「『硝酸』だ」

「え?『ショーさん』という人になりすましたの?」

「いや、薬品の『硝酸』だ」

「ええ!?『硫酸』みたいなもの?」

「『硫酸』ではないが、同じように危険な薬品だ。金属だって溶かしちゃうんだ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『硫酸と書いた。


「『高野長英』は、『硫酸』でどうしたの?」

「焼いたんだよ、顔を」

「ええ?ええ?ええー!?自分で?」

「ああ、自分で、自分の顔を『硫酸』で焼いたんだそうだ。それで顔を変えたんだよ」

「『高野長英』って、すごーい!本当に凄い人だったんだねえ。自分で自分の顔を焼くなんて、とても考えられないよ」

「おお、そうだなあ」

「でも、その『高野長英』を呼んで匿った『伊達宗城』も凄い藩主だね」


と、『少年』は、『高野長英』の衝撃の『変装』に驚愕しながらも、話を『伊達宗城』に戻した。


「そうだ。もう説明したように、『伊達宗城』は、『高野長英』と同じ『シーボルト』の弟子だった『二宮敬作』も大事にしたんだからな」

「『シーボルト』の娘『イネ』を養育した『二宮敬作』だね!」


と、『少年』は、話がようやく『イネ』まで戻ってきたことに、比喩的ではなく実際に肉体的に胸を踊らせるようにし、訊いた。


「『イネ』も宇和島で『高野長英』に会ったの?」

「いや、『高野長英』が宇和島にいたのは、1848年4月から1849年1月で、『イネ』が『二宮敬作』の許で養育されたのは、1840年から1845年だから、『高野長英』が宇和島に来た時はもう、『イネ』は宇和島にはいなくて、だから2人は会っていないと思う」

「なーんだ、残念だね」

「しかし、『高野長英』は、『二宮敬作』とは会っていた、というか、『二宮敬作』は、『高野長英』を自宅の裏庭の離れの二階に匿っていたそうだ。『二宮敬作』は、優秀であっただけではなく、人格者でもあったようだ」




「へええ、薪を担いで歩きながら勉強した『二宮金次郎』なら知ってたけど、『二宮敬作』という人も偉い人だったんだね」

「おおお、そうだ、そうだ。『二宮敬作』は、本当に素晴らしい人で、でも、一般にはあまり知られていないから、高名な地理学者『志賀重昂』(しが・しげたか)という人は、『二宮尊徳あるを知って、二宮敬作あるを知らず』と云ったそうだ」

「『イネ』も『二宮敬作』に養育してもらえて良かったね」

「『二宮敬作』も恩師『シーボルト』の娘を大事に思い、育て、医学も教えたんだろうが、大事にしただけに悔やんだことだろうなあ」


と、『少年』の父親がまた、謎めいたことを云い出した時、


「『E.H.エリック』は、耳を動かすイナゲナ男じゃが、あの『エリック』は怖いけえ…」


と、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、それまで『船を漕いでいた』老婆が、重力に逆らって、それまで閉じていた瞼をあげ、ようやく霞みが取れてきた瞼のその先に、バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声で呟き続ける青年を、フランスの美男俳優『ジェラール・フィリップ』のはまり役である映画『花咲ける騎士道』の『ファンファン・ラ・チューリップ』と見ていたが、その『ファンファン』の名前をニックネームに持つ俳優『岡田真澄』の兄である『E.H.エリック』については、自分の耳を動かすCMに疑問を持ちながらも、イナゲナ(変な)男としか見なかったが、また別の『エリック』のことを思い出したようであった。



(続く)




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