「10月1日だよ」
と、『少年』は、誕生日はいつか、という不可解な父親の質問に答えたものの、不満げな様子を隠さなかった。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。
「父さんだって、知ってるじゃない」
「では、今年の10月1日と来年の10月1日は、同じ日なのか?」
と、『少年』の父親は、『少年』の不満を無視し、またまた『少年』を混乱させる質問を投げかけてきた。
八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えたが、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、妙なことを云いだしたのだ。
「そりゃあ、同じ日だよ。あ、でも、来年の10月1日は、今年の10月1日から1年経過しているけどね」
「1年経過しているって、どういうことだ?つまり、1年って、どういう期間、時間のことだ?」
「ああ、それは、1年は1年だよ。えーっとお…そう、365日後だよ」
「おお、そうかあ?来年の10月1日は、今年の10月1日の365日後なのか?間違いないか?」
「そうだよ。あ!....そうかあ、来年の10月1日は、今年の10月1日の365日後じゃなくって、366日後だよ」
『今年』、つまり、『少年』と『少年』の父親が会話していたその年は、1967年であった。従って、『来年』は、1968年であった。
「では、再来年の10月1日は、来年の10月1日の何日後なんだ?」
「うん!それは、365日後だよ」
「変じゃないか?ある時は、10月1日が、前の年の10月1日の366日後で、ある時は、365日後だったりするのって?」
「だって、閏年があるからでしょ?」
「そうだな。閏年があるからだな。閏年は、2月が29日まであって、1年が1日多いんだな」
「そうだよ。そのくらいは知っているよ」
「では、1年は一体、365日なのか?それとも366日なのか?」
「どっちでもあるんじゃないの」
「そうだな。その通りだな。しかし、そうだということは、『1年』という時間は、『365日』だったり『366日』だったりと、一定じゃないということになるぞ」
「ああ…そうだけど…」
「だったら、『相対性理論』まで持ち出さずとも、身近なところで、時間って、長かったり、短かったり、つまり、遅かったり、早かったりしていることが分るじゃないか」
「そうだけどお….それって、なんか変な…誤魔化されているような」
(続く)
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