2022年4月10日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その194]

 


「『天満屋』が、実は岡山の百貨店だ、ということに、どれだけの意味があるのか」


と、『少年』の父親は、虚空に視線を送りながら、独り言のように、そう云った。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「ああ、勿論、意味はあるさ」


と、『少年』の父親は、視線を『少年』に向けた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させ、一対(つまり2匹)の『狛犬』が、『阿吽の呼吸』の『阿形』の像と『吽形』の像であることまで話を進め、それが『仁王像』へと展開させた。しかし、ようやく『狛犬』の『狛』(コマ)の由来から、『天満屋』の発祥である『小間物屋』という店の呼び方の由来、ひいては、歴史ある『天満屋』という存在へと、『少年』が、話を回収したところであったのだが、父親は、今度は、『天満屋』と『イネ』との関係に触れ、そこから『イネ』を養育し、医学を教えた『二宮敬作』の地元、『宇和島藩』、その藩主『伊達家』へと話の展開させていたものの、『伊達政宗』の『伊達家』と『宇和島藩』の『伊達家』との関係等に話は派生し、続けて、『宇和島藩』の7代藩主『伊達宗城』と『シーボルト』の弟子『高野長英』との関係に触れ始めた。ところが、『高野長英』の脱獄に関連して、今、話は『モンテ・クリスト伯』、そしてその翻案者『黒岩涙香』へと派生し、『黒岩涙香』の翻案作品が『重訳』的なものであることに触れていたが、ようやく『高野長英』の脱獄方法がテーマに戻ってきたのも束の間、脱獄方法に関連して、マッチ、『化学』という言葉、『川本幸民』、中国の雑誌『六合叢談』や、宣教師『ハドソン・テーラー』へと、話は大きく逸れていったところで、『少年』は、『高野長英』の脱獄にまで話を戻したのであった。しかし、話はまたもや、『御様』(おためし)という刀の試し斬りをした山田浅右衛門』に、そして、その人物を主人公とした『首斬り浅右衛門』という小説を書いた柴田錬三郎、更に、柴田錬三郎の代表作『眠狂四郎』を演じる『市川雷蔵』へと、更には、話は何故か、プロレスラー『デストロイヤー』についてとなっていたが、ようやくまた『高野長英』の脱獄、その後の逃亡生活へと戻り、今また『二宮敬作』と『イネ』に関する話へと回帰し、今、『二宮敬作』の薦めで『イネ』が産科を学んだ岡山の医師『石井宗謙』へと、そして、2人の間に子どもができたことへと話が及び、『イネ』もその娘『高子』も、『混血』の『美人』であったことに関連し、『少年』の父親は、2つの問題を提起してきた。『混血』とは何か、『美人』とは何か、という命題であった。そして今、その命題は、『天満屋』が、実は岡山の百貨店だ、ということに、どれだけの意味があるのか、へと転換してきたのであった。


「岡山は、『イネ』という日本で最初の女医を生んだ地、と云ってもいいだろう。『イネ』自身が、岡山というか岡山での生活についてどう思ったかは知らないが、日本で最初の女医『イネ』の医者としての存在が育まれたのが、岡山であり、『天満屋』は、その重要な意味を持つ岡山で生まれた百貨店だからな」

「うん、岡山というところのことは、まだよく知らないけど、日本の医学の発展に大きく関わった、とっても重要な意味を持つ土地だね」


と、『少年』は、云ったが、その時(1967年である)、岡山が、日本の医学の発展にとって重要な意味を持つだけではなく、自分自身にとっても重要な意味を持つことになることを知らなかった。自分が、社会人としての最初の一歩を踏み出す地が岡山となることを。


「しかし、さっき八丁堀で見た『天満屋』について、実は岡山の百貨店だ、ということに、どれだけの意味があるのだろうか」

「…」


『少年』は、黙した。その沈黙には、『天満屋』が岡山の百貨店であることを云い出したのは父親なのに、という思いが込められていたかもしれないが、『少年』の父親は、その思いを無視するかのように、独り言の如く、言葉を続けた。


「そう、『天満屋』は、岡山に本店を置く百貨店であることは確かだ。しかし、広島の『天満屋』は、広島の百貨店として、広島の人たちに向けて商売をしているのだ。問題は、その商売が、広島の人たちにとって良いものであるのかどうかではないのか。父さんは、『天満屋』にはまだそんなには行ったことはないが、『福屋』に劣らず、素敵な百貨店だと感じた。なら、それだけで充分ではないか。『出自』がどうであるのか、それを問うことに何の意味があるのか」

「『ひつじ..』?」



「『しゅつじ』だ。『出自』は、『出どころ』、『出てきたところ』のことだ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『出自と書いた。


「ああ、『天満屋』が、岡山の出身、元々は岡山の百貨店だ、ということだね。でも、そんなことなんか、どうでもいいんだね?」

「そうだよ。その通りだ」

「うん、ボク、今度、『天満屋』にも行ってみたいなあ」


とは云ったものの、『少年』の脳裏には、ある疑問が生じていた。そう、『天満屋』の『出自』なんかどうでもいいのであれば、父親は何故、先程、八丁堀で眼にした『天満屋』が、実は、広島の百貨店ではなく、岡山の百貨店である、などと云いだしたのだろう、という疑問が生じたのであったが、


「だけど…それにしても」


と、『少年』が、もう一つの疑問を口にしようとした時、


「このバス、牛田行きのはずだけど、でもお?…」


と、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、他の誰にも聞き取れない程度の小さな声で呟き続ける青年も、自分をフランスの美男俳優『ジェラール・フィリップ』のはまり役である映画『花咲ける騎士道』の『ファンファン・ラ・チューリップ』と見ていた老婆同様、なかなか牛田に着かないバスに疑問を持ったようであった。



(続く)




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