「ほほー、一体、どうやって『屏風の中の虎の退治』をするんだ?」
と、『少年』の父親は、反撃をしてきた『少年』に微笑みを返した。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。
「まさか、父さんに、『先ず、屏風の中の虎を出してくれ、そうしたら退治する』って云うんじゃなだろうな?」
「それじゃ、一休さんじゃない」
「ああ、屏風に描かれた虎の絵に、自分が虎を退治する姿の絵を描き加えるんじゃあないだろうな?」
と、『少年』の父親は、『少年』の心見透かしたような云い方をした。
八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいた。そこで、『少年』の父親は、日付変更線を越えることで、『昨日』にも『明日』にも行ける、と説明をしたのであったが、『少年』は、それは頓知だと批判しきた為、『少年』の父親は、今度は、1時間だけだが、日付変更線を越えなくても、『未来』や『過去』に行けるという、またもや頓知めいたことを云い出したので、『少年』は、自分は『屏風の中の虎の退治』ができる、と頓知返しをしたのであったが….
「っ…そうだけどお…でもお、だからあ、屏風に絵を描くように、未来や過去を絵に描けばいいんだ」
「ほほー。過去は、もう知っているから絵に描けるだろうが、未来はまだ分からないから絵に描けないんじゃないのか?」
「はっ…….いや、描けるよ!」
「どうするんだ?」
「未来を描いて、未来を、描いた通りに作ればいいんだ!」
「おおお!ビエール!」父さんの負けだ」
「え?ボクは、ただあ…」
「そうなんだよ。未来を予見するには、自分が、その未来を創ればいいんだ。ビエールがそこまで解っていたとは、ああ、父さんの負けだ」
という『少年』の父親の言葉は、後にパーソナル・コンピュータの父と呼ばれるよになる『アラン・ケイ』の言葉を予見していたかのようなものであった。『未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ』という『アラン・ケイ』の言葉を。
「んんん、考えがとってもふかーい父さんには、やっぱり敵わないよ。でも、父さんに負けないよう、んん、ボクは、未来を創るよ」
「ああ、期待しているぞ。だけどなあ…」
と、『少年』の父親は、またもや自らの口中に含みを持たせた。
(続く)
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