「『浦島太郎』は、竜宮城から戻ってきたら、『♪元いた家も村もなく、みちに行きあう人々は、顔も知らない者ばかり』だっただろう?」
と、珍しく、『少年』の父親が、『少年』に向け、歌った。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。
「うん、竜宮城にいた日数よりもずっと年が過ぎていた、ってことだよね」
「そのことを、玉手箱を開けて、あっという間に、お爺さんになってしまった、ということで表したんだろう」
「それが、『アインシュタイン』と関係あるの?お爺さんになった『浦島太郎』が、『アインシュタイン』にベロを出したんじゃあないと思うし…」
八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、『少年』の父親は、時間の進み方が遅かったのかもしれない、という、『少年』が思いもしなかったことを云い出し、更には、『浦島太郎』に『アインシュタイン』まで持ち出してきたのだ。
「『相対性理論』だ」
「ああ、中身は知らないけど、『アインシュタイン』が考えた理論でしょ?」
「そうだ。『相対性理論』が、『浦島太郎』と関係あるんだ」
「え?『相対性理論』って、『浦島太郎』があっという間に、お爺さんになってしまったことを説明しているの?」
「というか、さっきビエールが云った『竜宮城にいた日数よりもずっと年が過ぎていた』ということを説明しているんだ」
「『アインシュタイン』って、『浦島太郎』の話を知ってたの?」
「『相対性理論』といっても、正確には『一般相対性理論』ではなく『特殊相対性理論』の方だが、それに依ると、『時間は観測者ごとに存在する』んだ」
「え?ええ?...何だかよく分らないけど、時計は、ちゃんとネジを巻いていたら、誰が見ても同じ時間を指していると思うけど…」
「それがそうじゃないんだよ。『特殊相対性理論』に依ると、『速く移動する程、止っているものより時間の進み方が遅くなる』んだそうだ」
「まさかあ」
「『光速度不変の原理』というものがあって、『止っている人から見ても、光速に近い速さで移動している人から見ても、光の速さは、どちらも秒速30万kmで進んでいる』んだ。だから、例えば、光の速度に近い速度で宇宙旅行をした人が、何年かして地球に戻ってきた時には、地球は、宇宙旅行で経過した何年かではなく、もっとずっと先の未来になっている、ということなんだよ」
「えええ???全然、理解できないよお。だけど、それが『浦島太郎』で、村に帰ったらすっごく時間経過していたという話とおんなじだってことなんだね」
「そういうことだ」
『少年』の父親が話した内容は、俗に『ウラシマ効果』と呼ばれるもので、『少年の父親が『少年』に説明した時(1967年である)より少し前に、SF同人誌「宇宙塵」主宰者である『柴野拓美』が、命名したともされるが(SF作家であり大学の教授でもあった『石原藤夫』が名付け親ともされるようだが)、『少年』の父親が、『ウラシマ効果』なる呼び方をその時、知っていたかどうかは定かではない。
「でも、じゃあ、『浦島太郎』が乗った亀は、光の速度で泳げたの?ボクたちは、八丁堀から牛田まで、光の速度に近い速度で動くバスに乗っていたの?」
「さあ、それはどうかなあ…じゃあ、また別のことを訊こう。ビエールの誕生日はいつだ?」
と、『少年』の父親は、『少年』に謎の問いをしてきた。
(続く)
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