2022年4月29日金曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その213]

 


「未来はなあ、創らなくったって、もっと簡単に行けちゃうものなんだよ」


と、云いながらも、『少年』の父親は、何やら不本意という表情を『少年』に見せた。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「というか、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりすることがあるんだよ」

「強制的に?」

「ああ、こちらにそのつもりがなくても、だ。それも、一瞬にして、だ」

「えええ?また頓知?」


と、『少年』は、まるで少し前の過去にも出されたかのような感情を持った言葉を発した。


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいた。そこで、『少年』の父親は、日付変更線を越えることで、『昨日』にも『明日』にも行ける、と説明したかと思ったら、次に、1時間だけだが、日付変更線を越えなくても、『未来』や『過去』に行ける、とまで云い出した。それに対し、『少年』は、未来や過去を絵に描けばいい、そして、その未来を予見するには、自らが未来を創ればいい、と主張し、その慧眼に『少年』の父親は、驚きと共に喜びを表したが、またまた強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりすることがある、それも一瞬にして、と謎のようなことを云い出したのであった。


「いや、現実の話だ。今の日本ではないことだけどな」

「じゃあ、どこでなら、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりするの?」

「ああ、例えば、アメリカ、うん、アメリカ合衆国だな。一部の州はそうじゃないみたいだが。確か、イタリアもそうだったと思う。他にも、そういう国はあると思うぞ、日本だって、今は違うが、戦後少しした頃、確か、1949年からだったと思うが、3年くらいは、そうだったんだ。んまあ、なんか変な感じだったけどな」

「え?父さんも経験したことがあるの???」

「あるさ。母さんだってそうだし、その時は、日本人みんながそうだったんだからな」

「まさかあ!日本人みんなが、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりしたの?」

「そうだぞ。確か、最初の年、1949年は4月、それ以降は5月の第1土曜日の夜中24時に、1時間先の未来に連れて行かれ、9月の第2土曜日の25時になると、1時間昔に戻されたんだ。法律で決められたから、いいも悪いもなく、そうなったんだ」

「はああ?」


と、『少年』は、首を前に突き出し、更に、窄めた口を更に前に突き出し、驚きと疑問を体で表現した。




(続く)




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