「そうだあ…『1年』が、『365日』だったり『366日』だったりするのは」
と、『少年』は、何かを思い出す時の仕草をして、そう、黒目を斜め少し上にやったままで、言葉を続けた。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。
「『1年』が、地球の公転期間だからでしょ?地球が太陽の周りを1回、回るのが『1年』で、それは、正確には『365日』ではなく、『365日』より少し長くて、でも『366日』よりは短くて…」
八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があることから『1年』という時間は一定ではないと主張し、時間が長かったり、短かったり、つまり、遅かったり、早かったりしていると云いだしたが、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいたのだ。
「そう、『365.2422日』だ」
と、『少年』の父親は、即座に細かな数字を諳んじてみせ、『少年』はそれを受け、語り出した。
「でも、『1年』をその『365.2422日』という中途半端な日数にすると、1年の内のある日を、24時間じゃなくって、『0.2422日』分長い日という、変な日にしなくっちゃいけないから、それじゃ困るから、普通の年は、『365日』にして、4年に1回、オリンピックの年に1日増やして『366日』にして、1年に『0.2422日』分ずれたのを取り戻しているんだと思う」
当時(1967年である)はまだ、夏季オリンピックも冬季オリンピックも同じ年に開催されていた。夏季オリンピックと冬季オリンピックとが、2年ずれて開催されるようになったのは、1994年のリレハンメルの冬季オリンピックからである。
「おお、よく勉強しているな。その通りだな。もっと正確にいうと、4年に1回、閏年にして、ビエールのいう『ずれ』を取り戻しているとはいっても、『0.2422日』かける『4』、つまり4年分だと、『0.9688日』で、実は『1日』に満たないから、更に、そのずれを調整しているんだ」
「そうかあ。でも、どうやって?」
「『西暦が4で割り切れる年は、普通は、『閏年』だ。でも、西暦が4で割り切れる年でも、西暦が100で割り切れて、400で割り切れない年は、『平年』とするようにしているんだ。だから、『2000年』は、100で割り切れ、400でも割り切れるから、『閏年』で、『1900年』は、100で割り切れるが、400で割り切れないから、『閏年』じゃあないんだ」
「へええ、そうなのお。じゃあ、西暦が4で割り切れる年なのに『閏年』にならないのは、次は、いつなの?」
「『2100年』だな。『2100年』は、100で割り切れるが、400で割り切れないからな。だから、『2100年』は、ちょっとややこしい問題が起きるかもしれないぞ」
『少年』の父親は、その言葉を、コンピューター・システムへの影響を想定して口にしたものではなかったが、その直感的な指摘は、彼の聡明さを証明していたのであった。
「ああ、『2100年』って、ボク、生きていたら、146歳だ。でも、そんなに生きている訳ないから、なんか、ピンとこないよ」
「だが、これで分っただろ?一口に『1年』といっても『365日』だったり『366日』だったりして、それも、必ず4年に一回が『366日』になる訳じゃないんだから、『時間』って、結構、速かったり、遅かったり、うん、そうだなあ、ちょっといい加減って云っていいかもしれないもんなんだ」
「そりゃ、そうかもしれないけどお…」
と、『少年』は、父親の説明に反駁はできないものの、まだ納得しかねるという表情を隠さない。
(続く)
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