「16世紀から17世紀にかけてというのは、安土桃山時代から江戸時代の初めの頃だな」
と、『少年』の父親は、考えを巡らせることもなく、『少年』の疑問に答えた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。
「『ケプラー』が生れた1571年は、信長が比叡山を焼き討ちにした年だ」
と、『少年』の父親は云ったが、NHKで放送されていた子ども向けの番組『ものしり博士』の『ケペル先生』の『ケペル』の名前の由来の一つではないかと思われる天文学者『ケプラー』から『織田信長』、『比叡山焼き討ち』へと話を派生していってしまうと思ったのか、『少年』は、次の問いを父親に投げた。
「『ケプラー』が凄い人だっていうことは、分ったけど、『ケペル先生』になったもう一人の『コペルニクス』って、どんなな人だったの?なんか聞いたことがるような気もするんだけど」
「そうかあ、聞いたことがないかなあ?『地動説』だよ」
「『地動説』って、地球が宇宙の中心だという『天動説』の反対で、地球が太陽の周りを回っている、という考えでしょ?」
「そうだ。知っていたか」
「でも、『地動説』って『ガリレオ』じゃないの?」
「確かに、『ガリレオ・ガリレイ』は、『地動説』を唱えたことで有名だな。そのことで、『異端審問』にかけられているしな」
「『イタンシンモン』?」
「ああ、『異端審問』は、いわば、『宗教裁判』だな」
と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『異端審問』と書いた。
「中世のカトリック教会で、信仰に反する考えを持つ者を『異端』だとして裁判にかけたんだよ。当時は、地球が宇宙の中心だということが当然だと思われていたからな。そう、『天動説』だな。だから、『地動説』を唱えた『ガリレオ・ガリレイ』は、『異端審問』にかけられ、有罪になってしまったんだ」
「『それでも、地球は回っている』と云ったんだよね?」
「おお、その言葉も知っていたか」
「だから、『地動説』って、『ガリレオ』じゃないの?」
「『ガリレオ・ガリレイ』よりもずっと前、90年くらい前に生れた『コペルニクス』という天文学者が先に『地動説』を唱えていたんだよ」
「へええ、『コペルニクス』という人が、最初に『地動説』を唱え、その後に、ガリレオ』も『地動説』を唱えるようになったんだあ」
「いや、最初ではないんだ」
と、またもや『少年』の期待というか想像を裏切るような言葉を『少年』の父親が発した時、
「着いたわよ」
と、『少年』の母親が、バスの中でまだ話し込んでいた夫と息子に声をかけた。
(続く)
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