(夜のセイフク[その55]の続き)
「君には、愛国少年になって…..」
と云っているように聞こえた。エヴァンジェリスト君である。
口を開けたまま、彼の言葉に耳を貸しているのか貸していないのか分からないような顔をしたミージュ・クージ君に、エヴァンジェリスト君は、その時代にはもうそぐわない言葉を発している。
ビエール・トンミー君には、そのように聞こえたのであった。
1970年の広島県立広島皆実高校1年7ホームの教室である(クラスのことを皆実高校では『ホーム』と呼んだ。今もそうかもしれない)。昼休みであった。
「(愛国少年?)」
ビエール・トンミー君は、首を傾げた。戦後、既に25年経っていたのだ。
「(エヴァ君、一体、何を書いたのだ、君は?)」
机の上のちぎったノートのページをホッチキス止めした冊子に眼を落とした。
冊子『東大』の巻頭の読み物『されど血が』という脚本、のようなものは、主人公の苦悶から始っていた。
「え..!?.......ビエール!?」
思わず声を出してしまった。
「どしたん?ビール云うた?」
隣席の女子生徒が、すかさず反応して来た。
「いや、なんでもない……」
何でもなくはなかった。脚本、のようなもの『されど血が』の主人公は、『ビエール』という少年(或いは、青年)なのだった。
(続く)
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