(夜のセイフク[その59]の続き)
「(ボクは、戦争は反対だ!)」
日本には、軍隊はないことになっていたが、それが嘘であることをビエール・トンミー君は、知っていた。自衛隊があるからだ。
「(自衛の為であろうと、戦争は戦争だ)」
ビエール・トンミー君の動機が激しくなっていた。息づかいの激しさに、隣席の女子生徒が心配げに視線を送って来ていたが、ビエール・トンミー君は気付かない。
1970年の広島県立広島皆実高校1年7ホームの教室である(クラスのことを皆実高校では『ホーム』と呼んだ。今もそうかもしれない)。昼休みであった。
「(しかし、ボクに、『赤紙』が来るなんて!)」
想像だにしない事態であった。
「(でも、今は、1970年、昭和45年だ。戦争はもう終っているのに…..)」
秀才には、『赤紙』が来たのは、自分にではなく、、冊子『東大』に掲載された『されど血が』という脚本、のようなものの中のビエール君に対してであることは、分っていた。
「(分ってるさ。物語の中のことだ……でも、また『あんな』時代は来るかもしれないのだ)」
秀才は予見していたのだ。その後、確かに日本人の意識は変っていくのだ。
「(『国を守る為に』だとお……)」
それは、ビエール・トンミー君の心の中の言葉でもあったし、また、冊子『東大』に掲載された『されど血が』という脚本、のようなものの中のビエール君の科白でもあった。
(続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿