(夜のセイフク[その56]の続き)
愛国少年ミージュは、すすんでお国の為にと志願して兵隊になった。
「(いつもボーッとしているミージュ君に、そんな強い意志があったとは思えない…..)」
ビエール・トンミー君は、『されど血が』という脚本、のようなものを読み進めた。物語の中に引きずり込まれ、現実と虚構との区別が付かない程になっていた。
1970年の広島県立広島皆実高校1年7ホームの教室である(クラスのことを皆実高校では『ホーム』と呼んだ。今もそうかもしれない)。昼休みであった。
「(何故、今、この平和な時代に、エヴァ君は、こんなものを書くのだ?)」
『されど血が』という脚本、のようなものは、戦時中の物語であった。
「(エヴァ君の頭の中は、どうなっているのだ?)」
『されど血が』という脚本、のようなものは、読み物『月にうさぎがいた』や『ミージュ・クージ vs ヒーバー』のトーンとは、明らかに異っていた。
ビエール・トンミー君は、その時、友人であるエヴァンジェリスト君が、その頃、作家としては遠藤周作しか読んでいないことをまだ知らなかったが、そのことをもし知っていたら、遠藤周作に於ける『純文学』と『中間小説』との関係に思い至ったであろう。
「(エヴァ君は、ボク程ではないが、美少年で、しかも、これもボク程ではないが秀才だ。しかし、ボクとは違って、おチャラけた男だったはずだ)」
実際、その時また、エヴァンジェリスト君はまた、教室の中でミージュ・クージ君にコブラツイストをかけていた。何故か、コブラツイストをかけたまま、顎を前に突き出していた。
ビエール・トンミー君は、アントニオ猪木を知らなかった。
「(エヴァ君の頭の中は、いや、彼の心の中は、どうなっているのだ?)」
(続く)
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